「天上銀河英雄伝説」 第一章 ヴァルハラでティータイム

「いやあ、いい天気ですねえ。提督。」 「そうですねえ。こういう日には、やはりシロン製の紅茶が上手い。」 「それにしても、なかなかここは静かになりませんな。全く、騒動が好きな人間というの は、どこへ行こうとも絶えないものですね。ヤン提督。」 「そうですねえ。私としては、ゆっくり昼寝をしたいというのに、こううるさくては…… あ、そうだ。キルヒアイス提督、その『提督』という呼び方はいいかげんなしにしません か? お互い。」 「そうですね。」  にこやかな笑みをかわした二人。赤い髪の青年と、黒髪の青年……といっても三十歳く らいに見える男性との間には、いきなり一人の軍服姿の男が割り込んだ。 「待ってくださいよ、提督! 敵さんと何呑気に紅茶なんぞ飲みあっこしてるんですか!  あなたは!」 「シェーンコップ、それは正しくない。確かに、私が飲んでいるのは紅茶だが、キルヒア イス殿が飲んでいらっしゃるのは、コーヒーだ。」 「そういう問題じゃありません! 小官が言いたいのは、勝手に野原に白いテーブルなん ぞ広げて、呑気にティータイムしてる場合じゃないでしょう、ということです!」  額に青筋立てているシェーンコップに対し、ヤン・ウェンリーはおさまりの悪い黒髪を わしわしとかきむしると、足を組み替えた。 「いいかい。最近来たばかりの君には、まだ要領がつかめないかもしれないが、ここは、 いわゆる『あの世』なんだ。現世での敵味方など、細かいことを言っても始まらないだろ う?」  春の光をいっぱいに受け、にこやかに笑うヤンの顔には嫌味のかけらもなかったが、そ れを聞いた側の不良中年ことシェーンコップの眉間にはくっきりと皺が寄った。  しかし、シェーンコップの憤りをよそに、ヤンの言葉を受け、赤毛の青年も、頷きなが ら、コーヒーカップをテーブルに置いて口を開いた。 「そうですね。私も、同意見です。実は、私は、ヤン提督……いえ、ヤン殿とは是非、お 近づきになりたい、と生前より思っておりました。」 「あ、キルヒアイス殿もですか。実は私も……」 「おい、卿ら二人が歓談したいなら、せめて他の場所でやってくれ! こっちは今取り込 み中だ!」  またも「なごみムード」になりかけた二人を制したのは、黒髪、細面の顔、両の瞳の色 が違う、ヘテロクロミアの黒い軍服の男だった。 「そうは言いますが、ロイエンタール元帥……いや、この呼び名ももう改めるべきですね。 あなた方はどうせまた、ヴァルハラの美女の取り合いでもして口論なさっていたんでしょ う?」  これが図星だったのか、ロイエンタールと呼ばれた男は、かすかに後ろにのけぞった。  しかし、その横から、シェーンコップがずい、と進み出た。 「いやいや、赤毛の若いの。美女の取り合いをたかがと呼ぶことなかれ。この世界は女性 がいるからこそ、明るくもなりまた……」 「ふん。下らん。女など。所詮は雷を恐れて枕にしがみつくような生き物ではないか。」 「なに、貴殿は、女性蔑視の思想をもっておりながら、なお無垢な娘さんを口説いている というのか? これは異な。」 「卿には関係ない。」  いがみあいを続ける二人の間に、細面の青年が、さらに割って入った。 「おいおい、元帥、そのくらいにしておいたらどうだ。大人げないじゃないか。」  ロイエンタールの肩を叩いた、彼と同じ黒い軍服を着た青年に向かって、オスカー・フ ォン・ロイエンタールは向き直った。 「いや、ファーレンハイト、止めるな。こういう、無粋な輩には……」  その言葉に、シェーンコップが反応する。 「無粋だと?」 「はいはい。隊長、そのくらいにしておいて下さい。」 「止めるな、ブルームハルト!」  かくして、だんだんと大きくなっていく人垣の横、ヤンとキルヒアイスはちゃっかり、 テーブルを移動させ、お茶と歓談の続きを楽しんでいた。    しかし、そんな平穏な(?)ヴァルハラの日々に、ある日突然異変が起こった。 「今日、新人が来るらしいですよ。」  パトリチェフの耳打ちに、ヤンは、ふうと溜息をついた。 「シェーンコップが来てから、余計にうるさくなったというのに、簡抜入れずに今度は誰 が来るって言うんだ? これ以上、騒々しくなるのはごめんだ。それに、まさか……」 「ああ、提督の大事な人達ではないようですよ。帝国側からのようですから。」 「いや、帝国側からだからいい、という訳ではないよ。第一……」  しかし、ヤンの言葉は「新人」つまり「新たに死んだ者」が入ってくるヴァルハラの門 が開くと同時に、彼自身によって飲み込まれた。 「キルヒアイス! キルヒアイスはどこだ!?」 「ラインハルト様!?」  豪奢な金髪に、白いマントをたなびかせ、王者然として悠然と入って来た青年の姿を見 るや、群衆の中にいた、背の高い赤毛の青年が真っ先に反応したことは言うまでもない。 勿論、ヤンも、パトリチェフ、その周りにいた旧ヤン艦隊の面々も、一斉に、 「皇帝ラインハルト!?」  と叫んだ。  だが、ラインハルトは、一目さんに赤毛の青年に駆け寄ると、いきなり両腕を伸ばし、 抱きついた。飛び付かんばかりの勢いであったのはキルヒアイスも同様なのであるが、彼 の方は、何故ラインハルトがここに来たのかつかみかね、とまどいを隠せないといった様 子のまま、彼の主君であり親友でもある者の金髪を見下ろした。 「お前に会ったら、まず謝らねばならぬと思っていたんだ。……すまなかった。」 「何をおっしゃいます、ラインハルト様。あなたは謝るようなことは何もしていませんよ。 先にここに来た者達から聞きました。銀河を手にお手になさったのですね。」 「いや、確かにそうだが、それは俺だけの功績ではない。手に入れたのは、俺とお前とで だ。だが、お前が生きていれば、もっと楽であったろうに……! あの者にも結局一度も 勝てぬままだった。……はっ、そうだ!」  キルヒアイスから離れると、ラインハルトはきょろきょろとあたりを見渡した。  ラインハルトが、まさか自分が捜されているなどとは思いもせず、呑気な顔をして、頬 をかいている青年をぴしりと指差したのは、ものの数秒後だった。 「ヤン・ウェンリー! 余は卿に死んでいいなどと許した覚えはない! なぜ勝手に死ん だ!」  いきなり名指しされ、ヤンは、間抜けにも自分で自分を指さした。  周りでは、彼の旧幕僚(毒舌軍団ともいう)達が、腹を抱えて笑っている。 「いや、そのようなことを仰られても、私も死にたくて死んだ訳ではありませんし……。」 「そのようなことはわかっている! 当たり前だ! だが、仮にも同盟軍最高の知将と言 われた卿が、簡単に暗殺されるなど、絶対におかしい! 生き返ってもう一度、余と勝負 せよ!」 「いや……そう言われましても、既に私、死んでますし……それに……」 「そうです。ラインハルト様、どうしてあなたはここに来たのですか!? まさか、暴徒 の手に……などということはないでしょうね?」  青ざめてラインハルトをのぞき込んだキルヒアイスに、ゆったりとラインハルトが微笑 んだ時、ヴァルハラの門から、哀愁を帯びた声があたりに響いた。 「心配ない。陛下は『皇帝病』と証される病気にてお亡くなりになられたのだ。」  その声を聞くや、ロイエンタールをはじめとした、旧帝国将校らの顔に、嫌悪を帯びた なんとも言えない表情が浮かんだ。 「オーベルシュタイン、お前まで来たのか。ちっ。」 「その、舌打ちの意味する所は聞くまでもないが、残念ながら私も陛下に同行することに なった。」  旧帝国幕僚達の不満げな顔をものともせず、パウル・フォン・オーベルシュタインは一 歩前に進み出た。 「……オーベルシュタインの言う通りだ。私は、向こうの世界でやるべきことは全てやり 終えて来た。あとの事は、皇妃が全てよきにとりはからってくれよう。それよりも……」  そのまま、彼は、自分よりも少々背の高い、キルヒアイスを見上げた。 「ヴァルハラの門が開くまでの間、余は考えていたのだ。今度こそ、お前とともに、この 世界の全てを手に入れよう、と!」 「ラインハルト様! 私はどこまでもあなたについていきます!」  手を取り合い、自分達の世界に浸っている二人の間に入ったのは、「心の底から困って います」といった表情をたたえたヤン・ウェンリーだった。 「あの、お二人とも……? 何する気なんですか? この平和な天国で。」 「知れたことだ。ここに来るまでに、案内人に色々聞いたのだが、この世界は混沌と無秩 序に溢れ、皆が無益に惰眠をむさぼっているというではないか。嘆かわしい。地上でのや ることは全て果たした。この上は、このヴァルハラにて、余は良識ある秩序ある世界を作 る!」  ようく聞けば、無茶苦茶なことを言っているのであるが、旧ラインハルトの幕僚達は、 ファーレンハイト、ケンプ、シュタインメッツ、ルッツ、さらにロイエンタールまでが、 感嘆の意を禁じ得ないといった表情で、ラインハルトの前に跪いている。  『多少論理に矛盾があっても、威厳というもののもたらす威力は大きいものだな。』  などと感じつつ、ヤンは、最後の良心……の筈である、キルヒアイスに訴えた。 「キルヒアイス殿、あなたはこの世界に一番最初に来て、ちゃんと見ていたでしょう。こ こはでは皆が、無秩序で惰眠をむさぼっている訳じゃない。皆が平等に、のんびりと暮ら してるんです。あなたから、皇帝陛下に事情を説明してあげてください。何も、わざわざ 皆が平和に暮らしている社会に、戦火をもたらすこともないでしょう。」  だが、ヤンの言葉に、キルヒアイスはゆっくりと二度、首を振った。 「残念ながら、ヤン提督。私の道は、常にラインハルト様とともにあるのです。……確か に、ここは平和です。だが、秩序がないのもまた事実。ラインハルト様が、その規範をお 作りになられると言うなら、私はともにゆきます。」 「……そういうことた。ヤン・ウェンリー。この際だ。今度こそ、卿も我が陣営に属する 気はないか? もちろん、それ相応の地位は約束する。」  堂々としたラインハルトの態度に、ヤンは、溜息とともに肩を落とした。 「残念ながら、私は陛下のお役には立てないと思います。私は、生きている間、加重労働 しすぎまた。こちらでは、ゆっくりのんびり、昼寝をして過ごすことに決めているのです。」 「卿は、以前も、『退役します』とか言いつつ、しっかり事後に備えてイゼルローンに罠 を張るなどの策を弄していたではないか。忘れたとは言わせないぞ。それに……卿はどう あれ、後ろにいる卿の幕僚達は、どうやら余の専制をよしとしないようだが?」  ラインハルトの言葉に、ヤンが振り返ると、いつの間に揃っていたのか、シェーンコッ プをはじめとしたローゼンリッター達、パトリチェフ、フィッシャー、コーネフらの旧部 下、さらにその後ろには、何故だが、ビュコック、ウランフ、ボロディンといった旧同盟 軍司令官達までが居並んで、ラインハルト達に睨みをきかせていた。  ヤンは、慌てて両手で彼らに「どうどう」と言いたげに両手を振り回した。 「おいおい、皆して怖い顔して……どうしたって言うんだ。」 「何って、閣下。民主制の種を残すために、あなたは生涯、戦ったんでしょう? せっか く天国に来たのに、専制政治の旗下に置かれてよしとするつもりですか?」  嫌味たっぷりの口調で、シェーンコップが言う。  ヤンは、さらにさらに、両肩を落としてうなだれた。 「……フレデリカ、ユリアン、助けてくれ……」 「あ、じゃあ、閣下の優秀な副官と、聡明な愛弟子も、こっちに連れて来ましょうか?  人をとり殺すというのは趣味じゃありませんが、閣下が望むというならば。」 「そんなことをしたら、一生恨むぞ!」 「そうでしょうなあ。……しかし、あなたは既に死んでるんですよ? 一生恨むのは無理 というものです。」  陽気なパトリチェフの言葉に、ヤンはとうとう、その場にうずくまってしまった。  その様子を、旧帝国側の人間は、面白いものでも見るような目で(実際、面白かったの だが)見ていたが、気を取り直したかのように、ラインハルトは言い放った。 「そういうことだ。ヤン・ウェンリー。生前では決着のつかなかった戦いを、今このヴァ ルハラでつけようではないか。では、再び会う時は戦場にて!」  言うと、きらびやかな金髪をなびかせ、ラインハルトは背を向けた。それに従い、キル ヒアイスをはじめとした一同が従い、旧帝国軍人達は、颯爽とその場を去っていった。    ヤンはというと、地面にあぐらをかいて、何を言っているのかよくわからないぼやきを 続けており、彼の回りの人間達は、そんな彼を、珍獣でも眺めるかのように見ていた。 「提督。そんなにふてくされることもありませんぞ。私も、微力ながら、あなたに力をお 貸しいたします。」  いつまでもぶつぶつと言っているヤンの傍らに最初に近寄ったのは、白髪の、黒い軍服 ……帝国軍と同じ仕様のものを来た老人であった。 「メルカッツ提督……しかし、こんな所まできて、あなたにまでご尽力賜るのは……」  あぐらをかいたまま、見上げるヤンに、もう一人の人物が手をさしのべた。 「まあ、立ってくれたまえ。提督。今さら君の前に姿を現せた身ではないが、私も協力さ せてもらおう。」  その人物を見るや否や、さすがのヤンも、目を見開き、即座に立ち上がった。 「グリーンヒル大将! 今まで何処にいらっしゃったのですか? 探しても探してもいらっ しゃらず、まさか地獄に行かれたのかと心配して……!」  とっさに直立不動になるヤンに、ドワイト・グリーンヒルは 照れくさそうに頬をかいて みせた。 「いや、あの金髪の小僧に踊らされ、軍事クーデターを起こしてしまった身としては、君 に会わせる顔がなくてね……。それに、その……大将というのは、やめてくれないか…… その、君は……私にとっては、その……義理の息子ということになる訳で……」  言われてようやく、大事な事実を思い出し、ヤンは頭をかきむしった。 「で、ではお義父さんと呼ばせていただきます! いやあ、本当によい娘さんをお持ちで。 結婚式に招待できなかったのが、唯一の心残りでした。」 「いや、死人を招待できんから仕方ないだろう。しかし、あれは昔から、ずばぬけて頭は よかったが、家事能力にはとんと駄目な娘でなあ。君を困らせることはなかったかね?」 「いえ、とんでもありません! 本当に、私のような者には過ぎた妻でした。」 「そうかね? いや、親としては、『あわよくば君が娘を気に入ってくれはしまいか』と 期待して、副官に推薦したんだが、この点だけは、私の作戦も上手くいったという訳か。」 「いやあ、まんまとその作戦に、してやられました。しかし、本望であります。」 「それにしては、結婚が遅かったじゃないか。本当なら、孫の顔も見たかったのに。」 「いや、申し訳ありません!」 「ストーップ! 何、親子の会話してるんです? 提督。さっさと話を進めてください。 このままでは、銀河英雄伝説が、ただの家庭ドラマになってしまいますよ!」  シェーンコップの言葉に、照れながら「義理の親子の会話」をしていた二人は、はた、 と現実に差し戻された。    かくして、天上での英雄達の戦いの火蓋は切って落とされたのである。   (続く……って続いていいのか?コレ)
戻る