「盆休み」

※この話は、あくまで「天上銀河英雄伝説」をベースにした番外編です。そこんとこ、よ  ろしくお願いします!    それを思いついたのは、アッテンボローだったとする説もあるし、ポプランだったとす る説もあり、実はユリアンだったとする説もある。だが結局の所、「伊達と酔狂」をモッ トーとしていた彼らであれば、 誰がやってもおかしくはない所行であった。  はるか彼方、地球にまだ文明の拠点かあった太古の昔、それもいち島国での風習を、真 似た者が旧ヤン艦隊の中にいた。八月の十三日に墓参りをした上で、使者の墓に「提灯」 と呼ばれる灯明をたて、自宅に使者の拠り所となる木の札を立てかける。  誰がやったかはともかくとして、戦争で失われた故人の墓の全てに提灯がつけられた結 果……、イゼルローン要塞は、死者を弔うつもりで各地から集まった人間達と、弔われた 筈の、幽霊達のたまり場となった。 「あなたっ!」 「提督っ!」  いきなり書斎に降ってわいた(まさしくその表現こそ彼には適当であろう)ヤン・ウェ ンリーは、フレデリカとユリアンに抱きつかれ……なぜかパジャマ姿の元・元帥閣下は、 寝癖が思い切りついた頭をぼりぼりとかいた。 「おかしいな。私は、ゆっくりのんびり寝ていた筈なのに……なんで私はここにいるんだ?」 「そんなことはどうでもいいです! とにかく、今すぐ紅茶を煎れますから、そこに座っ てください!」 「ああもう、私がいないと、すぐにこんな髪も伸び放題にして! 死んでも、あなたの寝 坊助は治りませんのね。」  照れながらも、ヤンはフレデリカに、髪の乱れを直されるがままになりつつ苦笑する。 「あのね、フレデリカ。普通は、『なんであなたがここにいるんですか?』とか『きゃー っ』とか言って、幽霊に恐怖するもんだよ?」 「あら、どうしてですの? 他ならぬ夫の幽霊に驚きこそすれ、怖がる妻がいるもんです か。……ああ、浮気でもしていれば、確かに怖いかもしれませんけどね。」  言いつつ、フレデリカはワンピースの胸元に揺れるペンダントを手に握りしめた。 「皇帝の真似じゃありませんけど、あなたの遺髪をここに入れて、いつも肌身離さず持っ てるんですのよ。おかげで、何回も暗殺されそうになりましたが、生き残りました。」 「何だって! 君を暗殺? 一体誰が!」 「大丈夫です。ユリアンが守ってくれてますから。ああ、カリンも一緒にね。」 「ああ、シェーンコップの娘か。後から来た者に聞いたよ。ユリアン、どうやらよろしく やってるようだね。」  厨房に立つユリアンの背に、からかうような、昔と変わらぬその口調に、ヤンよりもは るかに背の伸びた、ユリアン・ミンツは、亜麻色の髪に半分かくれた耳までも真っ赤にし た。 「もう、からかわないで下さいよ。提督!」 「いや、冗談だ。では、三日間しか味わえない、ユリアンの名人芸を披露してもらうとし ようか。」 「三日間?」  フレデリカの白い肌が、かすかに青ざめた。 「ああ。太古の古文書で読んだことがある。誰がやらかしたかは知らないが、とにかくこ れは、『お盆』とかいうもので、死者を一時的にこの世に呼び戻す儀式らしい。天国でも、 噂になってたことがある。死に別れた家族には確かに会えるが、三日たったら、強制送還 だ、って。」 「たったの……三日……」  ティーポットを運びながら、ユリアンは泣きそうな顔をした。  しかし、ヤンは、そんな彼の頭をわしゃわしゃとかき回し、笑ってみせた。 「なんだ。いい大人が。皆から聞いたぞ。お前は、もう私などいなくても立派にことを成 し遂げたそうじゃないか。これからも、頼むぞ。」 「いえ、僕はまだ、提督のやり残したことを少しでもやろうとしているだけです。独自性 も、独創性もありません!」 「ユリアン。」  諭すように、彼の言葉を遮ったヤンの口調には、彼がユリアンに語りかける時特有の、 戒めともまた違った暖かみがあった。 「歴史上の偉人が成し遂げたことのほとんどは、既に過去に誰かがやったことの模倣・応 用にすぎない。私のやったことを、そのまま真似たというなら話は別だが、お前のしてい ることは、既に私の手を離れ、独自のものになっているよ。謙遜は美徳だなんて、私はお 前に教えた覚えはないがね。」 「あ、はい……」 「なんだぁ。その自信なさそうな顔は。さては、彼女と喧嘩でもしたか?」  いきなりラフな口調になったヤンに、ユリアンは、またも頬を赤らめた。 「もう、ちゃかさないでください!」 「まあまあ。そんなこと言ってる間に、折角のお茶がいれすぎになってしまいますわよ。 いただきましょう?」  口に手を当ててのフレデリカの言葉に、ヤンも、ユリアンも、ゆっくりと頷いた。  たったの三日……という限られた日を、有意義に過ごすために。  その数分後には、「運命に逆らわなかった」ルイ・マシュンゴも姿を現し、ユリアンは もう一杯の紅茶を煎れにかかることになった。   「おや、不良中年殿は、何を血迷って戻って来たのかな?」 「おおかた、生ける美女をお前に独り占めされるのがイヤで、迷い出て来たんじゃないか?」  酒場で、酒を酌み交わしていたオリビエ・ポプランと、ダスティ・アッテンボローの前 に、伊達男ぶってネクタイのを緩めながら現れた、ワルター・フォン・シェーンコップは、 ふん、と鼻先で笑ってみせた。 「いや、ヴァルハラの美女だけで、俺は手一杯さ。誰が、俺の墓に提灯なんぞぶら下げた か知らんが、無理やり呼び戻されたという訳だ。ところで……」 「ああ、お前さんの愛娘なら、ユリアンとよろしくやってるぜ。今日も、仲良く腕を組ん で歩いているのを見たさ。」  アッテンボローの言葉に、シェーンコップは、彼ら二人の間に割り込む形で腰を下ろす と、にやりと笑った。 「そんなことは聞いていない。あれは、母親似のいい娘だ。男の方が手放さないさ。」 「……よく言うぜ。ろくに覚えていない、って言ってた癖に。」  両手を広げ、溜息をついたポプランに向かって、シェーンコップはさらに意地悪く笑う。 「それとこれとは話が別だ。貴殿のように、漁色してる訳ではないしな。」 「おいおい、折角久しぶりに会えたんだ。間違っても、喧嘩なんかしないでくれよ。」  二人の前に、ブランデーグラスをかざしながら、アッテンボローが、あわや険悪になり かけた二人を制した。  すると、そこに後ろから、意気揚々とした複数の男の声があがった。 「よう。これで四人のエースが揃ったな。でも、お前老けたんじゃないか?」 「シェイクリ、ヒューズ! ……げ。コーネフ! てめぇ、なんでこのごに及んで、クロ スワードパズルなんぞ持ってくるんだ!?」  なぜかスパルタニアン搭乗用の服を着て現れた三人組を、ポプランは半分は嬉しさに、 半分はうんざりとして、指さした。 「なんで、お前ら戦闘服なんだ?」 「それそれ。俺達は、向こうでちょっとどんぱちの真っ最中でな。そこで、久々にお前と、 シミュレーションでもして、腕を磨いておこうと思って。つきあえよ。」 「……はあ?」  シェイクリの言葉に、ポプランは、思い切り首をかしげる。 「詳しいことは、後だ。とにかく、つきあえ。青少年育成係、ポプラン。」  コーネフの嫌味混じりの言葉に、ポプランは「やれやれ」と言いたげに腰を上げた。  ともあれ、久々に揃った四人のエースが退場した後、シェーンコップは、やっと静かに なった、とでも言いたげに、アッテンボローに顔を向けた。 「それにしても、お前さん達は皆、驚かないんだな。……死人がいきなり現れたってのに。」 「それがどうした? だてに、伊達と酔狂で人生やってないさ。ところで、何だ?『あっ ちでもどんぱち』って?」 「まあ、それはそれ。向こうにも、血の気の多い奴はいる、ということさ。ところで、俺 が並みいる美女を後回しにして、お前さん達なんぞに会いに来たには、理由があってね。」 「ほう。なんだ?」  口の端に笑みを浮かべ、アッテンボローは、手にしたグラスを、氷の音をたてからから と回した。  丁度、生前からシェーンコップをよく知っているバーテンが、彼の好む銘柄のブランデ ーを、ロックで彼の前に置いた時、不良中年は口を開いた。 「ヤン夫人……いや、ヤン未亡人だよ。再婚するとか、またはそのケがあるということは ないか?」 「ぶっ!」  唐突と言えば唐突なその問いに、アッテンボローはお行儀悪くも、口から酒を吹き出し た。 「バカ言え。そんな暇と器用さがあの人にあるか! 大変な重責に押しつぶされそうにな りながらも、亡き夫の遺志を継いで、民主制の旗印でありつづけてるんだぞ。……一生、 ヤン提督の面影を胸に、な。」 「ああ、そりゃ駄目だ。賭は俺の負けだな。」 「賭だぁ?」  心底残念そうに、頭をかいたシェーンコップに、アッテンボローは大声を出した。 「まあ、あの女性もまた違った意味で酔狂だな。容姿、性格、どれをとっても、再婚のク チなぞいくらでもあるだろうに。俺の筋書きでは、夫を失って傷心の彼女は、しばらくは 他の男に目が向かない。しかし、数年たてば、その悲しみも薄れ、その頃に、こう、彼女 のハートを射止めるような男性が……」 「物事を全部、自分の論理で量らないように。」  いともあっさり切りかえされ、シェーンコップは、楽しそうにブランデーグラスを掲げ た。 「とにかく、乾杯といこうじゃないか。三日間だけの、お祭りに!」 「三日?」  そして、シェーンコップもまた、ヤン同様、どうして自分が「生ける者の側」に来られ たのか、何故三日だけなのか、について説明し……その直後、ご婦人方との一夜の逢瀬を 楽しむために、酒場を離れたのであった。 「やれやれ。三日しかないんじゃ、急いでパーティの用意をしてもらわないといけないな。」  シェーンコップ退場後に、アッテンボローが、言葉尻の割には喜びを隠し得ないといっ た感でつぶやいた。   「それじゃあ、向こうでもあなたは元帥閣下をやらされて……いえ、拝命なさってるんで すの?」 「ああ。全く、何で死んでまで、馬鹿馬鹿しい戦争ごっこに加担しないといけないのか、 自分でもイヤになるよ。」  ソファに根っころがってふてくされているヤンに、膝枕をしつつ、フレデリカは微笑ん でみせた。 「なんだ。何かおかしいかい?」 「いえ。パジャマ姿で現れた時は、てっきりあなたは、お望みのままの『寝たきり気楽な ぐうたら生活』を満喫しているのだと思いましたのに。強制労働させられているなんて、 よくよく業が深いんですのね。」 「おいおい。君までよしてくれよ。まったく、折角キルヒアイス提督とも親交を深め、気 楽に毎日お茶をしながら、本を読んでは時々執筆活動をしてた、って言うのに。カイザー のお出ましで全て台無しだ。」 「まあ、そう言っても始まりませんわ。ともかく、この三日は、ゆっくりしていって下さ いね。夕食は、腕によりをかけて!」 「え、いや、あの、フレデリカ」  思わず起きあがりかけたヤンの額を、フレデリカはつついた。 「と、言いたい所なんですが、私も仕事が忙しくて、料理の腕は相変わらずなんです。キャ ゼルヌ夫人が、腕によりをかけて夕食をご披露して下さるそうですから、後で行きましょ う。」 「あ、ああ。そうしよう。」  心底胸をなで下ろしながら、ヤンは再び、自分が死ぬ直前とかわらず美しい、妻の顔を 見上げた。 「どうかしました? 寝てていいんですよ。ちゃんと起こしてさしあげますから。」 「いや、そうじゃなくて……そうじゃなくて……」  自分の額に手を当てて、もどかしそうにしているヤンの素振りに、フレデリカは、奇妙 そうな瞳を向けた。「私は、ここに戻って来てよかったんだろうか? 誰が盆の儀式をやっ たかは知らないが、君は、その、いつまでも私のような、死んだ者のことじゃなくて……」 「生きた者と再婚でもしてほしい。と、そうおっしゃるの?」 「ま、まあ、平たく言えばそうなる、かな……あはは」 「あはは、じゃありません!」  いきなり目を向いて、自らの膝の上にあるヤンに顔を近づけたフレデリカは、怒ってい るかのようにヤンには見えた。いや、実際彼女は感情を害していたのだ。 「あなたは、私の人生を一体何回、狂わせたと思います? エル・ファシルで会った十四 歳の時。あなたの副官になってから。結婚できてから。さらに、まだ新婚といえるような 状態で未亡人にされた時! もうこれ以上はたくさんです。私は私のやりたいようにやら せていただきます。」 「だから、ごめん、って言ったじゃないか……。死ぬ直前に。」 「誰も聞いてません! もっとも、どうせ末期の台詞はそんな所だろう、とは思ってまし たけどね。ともかく、私の今の立場は、どのみち、あなたなくしてはあり得ないものなん です。そこの所をしっかり踏まえてもらいたいものですわ。閣下。」 「その、閣下というのはよしてくれよ。もしかして、嫌味かい?」 「嫌味ですとも!」  ヘイゼルの瞳が、真っ直ぐにヤンを見下ろす。 『ああ、この瞳は苦手だ。』  考えながら、ヤンは降参、とばかりに両手を挙げた。 「無条件降伏しますよ。どちらにせよ、帰る所があるというのは、ないよりははるかにい いものだ。」 「わかればいいんです。今年、誰がこんな素敵なことをやって下さったのかはわかりませ んが、来年は私がやります。一年に一度でも、あなたに会えるなら。」 「ああ、その、私だって……」  先ほどから、やたらと言葉と言葉の間に間隔を開け、口ごもりつつ、また黒髪に手を当 てたヤンの頬に、フレデリカは掌を当てた。  室内には誰もいないというのに、ヤンはちらほらと辺りを見渡すと、自分の頬に当てら れたフレデリカの手を引いた。  しばし、夫婦の居間(であった空間)に沈黙が流れた。   「明日はパーティ?」  キャゼルヌ家の夕食に、ユリアン&カリンことカーテローゼ・ファン・クロイツェルも ろとも(なぜかマシュンゴ、パトリチェフ、ブルームワルトまでおじゃましていて)招待 されたヤンは、アレックス・キャゼルヌから、「納涼夏祭り、盆踊りバーティ」が翌日開 催されることを、ヤンはつげられ、あやうく肉包みのパイをフォークから落とす所であっ た。 「そんな金はどこから出るんです? だいたい、生者、死者入り乱れてのパーティなんて、 正気の沙汰じゃない。」 「そう言うが、現に今、ここにいる者だって、生きてる者と死んでる者が、仲良くテーブ ルを囲んで歓談してるじゃないか。」 「しかし、馬鹿げてる。」  ヤンの言葉に、キャゼルヌは腹を抱えて笑った。 「お前さんの考えてることなんざ、お見通しだ。どうせ、パーティはいいが、スピーチす るのはイヤだとか言うんだろ?」  まるきりの図星に、ヤンは喉に料理を詰まらせた。  慌てて、フレデリカがヤンに水を差し出す。命拾いした、とばかりに、ヤンはふう、と 息をついた。 「そこまでわかっているなら、何も言いません。私は、すみっこで勝手に飲ませて頂きま すよ。どのみち、主役は生きてる者です。」 「いやいや、ミラクル・ヤン。魔術師ヤンが、仮とはいえ戻ってきたとあっては、皆が大 興奮して、どのみちステージに引っ張り上げられるさ。それがイヤなら、さっさとスピー チして、上手いこと逃げ出すんだな。」 「……はあ……」  やはりこの先輩は、煮ても焼いても食えない。などと思いつつ、ヤンは、久しぶりに会 う面々に囲まれ、一時幸せな時間を過ごした。   「ええと、皆さん。適当に楽しくやってください。」  パーティの壇上、一番高い席で、あえて旧同盟軍の服ではなくスーツを着せられたヤン は、頭をばりばりとかきながら、緊張極まれりと言った感で、マイクに向かって言葉を発 した。 「……以前、新年パーティがあった時と、同じ挨拶じゃないですか?」 「いいえ。違うわよ。ユリアン。あの時よりも一言だけ長くなってるわ。『適当に』って いう言葉だけね。」 「はあ。どっちにしても、短いですね。」  呆れた、と言わんばかりの溜息をつきながら、ユリアンは溜息をついた。  その後は、言わずと知れたらんちき騒ぎ。  何しろ、数万の生きている者と、数万の死んだ者とが入り乱れている、イゼルローンを 上げての大騒ぎなのだ。暴動、混乱が起きなかったのは、ごく限られた時間の中、ひとえ に準備、手配を怠らなかったキャゼルヌのお陰といえた。 「何してるの。ユリアン。踊りましょう。」  カリンに言われ、ユリアンは、ちら、とヤンの方を見た。  見ると、はやくもジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩め、逃亡せんとしている元・元帥閣 下の姿が見える。 「そんなに、親が心配?」  カリンに言われ、ユリアンは、むっとした顔でカリンを見た。 「君こそ、シェーンコップ中将に会ったら、言うことがあるんじゃなかったのか?」 「あら、私は言うことなんてないわ。それに、あんまり提督提督ってくっついてると、夫 婦の仲を邪魔するんじゃない? そういうの、馬に蹴られてなんとやら、って言うんでしょ?」  言われて、ユリアンはばつが悪そうに頭をかいた。  ヤンは、フレデリカの先導(?)に従い、早々にパーティの場を抜け出そうとしている。  追っていくのは、確かに野暮なことであったろう。  ともあれ、彼は素直に恋人……のはずのカリンの手を取り、踊りの輪に参加した。  ユリアンの頭の中には、「三日間」しかいられないヤンに聞きたいこと、話したいこと か山積みになり、そのため、カリンの足を三度も踏むという醜態をさらしたが、カリンは それを怒るどころか、物憂げな顔で、ずっとうつむきかげんでいた。  彼女の考えていることは、ユリアンにも想像がついた。  娘の存在など、意に介していないかのように、美しい女性に言い寄っては口説いている、 元・中将シェーンコップの方を、思い出したかのようにちら、と見てはすぐに視線を逸ら す彼女を見ながら、ユリアンは考えていた。  『はやく死んだ者と、生きている者……どちらが、より得なのだろうか。』と。 (もっとも、ヤンやシェーンコップとて、天国においてまでローエングラム公と対峙させ られているというのだから、どっちも損には違いなかったが)    ともあれ、虚飾の祭典は、イゼルローン要塞を包みこみ、明け方近くまで続いた。    一方、かつて夫婦の寝室であった部屋へと、早々に引き上げてきたヤンは、堅苦しいワ イシャツを早々に脱ぎ捨てると、 「うーん」  伸びをしながら、ソファにどっかりと腰を下ろした。 「お疲れさま。……紅茶を煎れますね。ユリアンにはかなわないけど。」  フレデリカが、彼女のヘイゼルの瞳と同じ色のワンピースの裾をはらいながら、キッチ ンへ向かう。  やがて入れられてきた紅茶は、ユリアンのいれたものの従姉妹くらいには進歩したもの であり、ヤンの舌をとりあえずは満足させた。 「ねえ、あなた。縁起でもないことを聞いてごめんなさいね。もし、その天国での戦争で、 戦死なんてことになったらどうなるの?」 「ああ、それは心配ない。結局の所、天国というのは、次に生まれ変わる場所が決まるま での待合い室、ということらしい。そこで死んでも、生まれ変わる時期が早まるだけさ。 まあ、だからと言って、戦死させてもいいや、と気楽になれる訳でもないが。」 「それは困りますわ。私が行くまで、あなたは天国にしてもらわないと。……あ、でもあ なたは若いままなのに、私だけがおばあちゃんになって再会というのはごめんですわね。 どうしましょう。」 「どうしましょう……って、そんなことを私に聞かれても……」  心底困った顔をするヤンに、フレデリカは、おかしそうに口を手に当てて笑った。 「冗談ですわ。でも、よかった。死人には触れられない、なんていうオチがなくって。」 「え?」 「私、思ったんですけど、こうやってあなたに触れることができるなら、いっそ、あなた の子を身ごもるということはできないものかしら。そうしたら、私も寂しくなくなります。」 「いくら何でも、それは無理だ! 不可能だ! 第一、こんなバカ騒ぎ、イゼルローンの 連中はいともあっさり受け入れているが、いくらなんでも、君が死人とその……なんとか して……妊娠できる筈は……」 「イヤですわ。それも冗談です。相変わらずですのね。」  とうとうお腹を押さえて笑い出したフレデリカに、ヤンは、やれやれといった感で頭を かいた。 「君も、毒舌軍団の影響を受けたのか、随分意地が悪くなったなあ。全く。」 「まあ、妊娠は冗談としても、今日はもう寝ましょう。あなた。」 「ああ、そうするか、慣れないスピーチで疲れた。」 「二秒半しか喋ってませんわよ。」 「量の問題じゃない。質の問題だ。」 「はいはい。わかりました。」  そんな会話をかわしながら、つかの間の夫婦の時間は、流れていった。    そして翌日、とうとう「天国の門」に皆が強制送還される時間がやってきた。 「提督! 行ってしまう前に、聞いておきたいことが!」 「なんだい。ユリアン。」  来た時と同じパジャマ姿のまま(何でも現世の服は持っていけないらしい)、かすかに 首を傾け微笑したヤンに、ユリアンは、昨日の夜、寝ないで考えたことを、せきを切った ように話し出した。 「これから、我々は帝国に対し、どのように対処するべきなんでしょう。僕は、どのよう に軍を維持し、温存すべきなんでしょうか。民主主義の種を腐敗させない為には、どうし たらいいんでしょう。そして……」 「おいおい、ユリアン。質問は一個ずつにしてくれないか。」  両手でユリアンを押しとどめるかのように制したヤンは、ゆっくりと、しかしはっきり とユリアンの目を見据えた。 「それは、もう私に聞くべきことじゃないよ。お前自身で、考えてゆくしかない。」 「でも、提督!」 「私はもう、こっちの世界に対して何ら干渉する権利を持たない。というより、してはい けないんだ。いいかい、ユリアン。死んだ人間に教えを請うなど、それこそ宗教じみてい る。私という一個人が、今や不本意ながら様々な研究対象になっているらしいが、私は、 そんな研究所から得られる以上のものを、お前に教えてきたはずだ。最初にも言ったが、 後は、お前が、私の教えた事を応用、発展させて、お前のやりたいようにすればいい。」 「僕は、まだ提督から、全てを教わった訳ではありません!」 「そりゃそうだ。私自身、自分の考え全てをお前に語った訳じゃない。それに、私の考え、 主義主張を全部聞いたからといってどうするんだい? 矛盾の象徴、ヤン・ウェンリー二 世で終わるほど、お前の未来は狭義ではない筈だよ。私を反面教師として、お前には、よ り先を見て欲しいんだ。……言ってることは、わかるだろう?」  ひょうひょうと語られたその言葉には、前のめりになったユリアンを諫めるだけの説得 力が、確かにあった。 「そうですね……。全て提督の真似、では、僕は自分の名を名乗る資格もありませんよね。」 「そういうことだ。お前は、私の養子だが、私のコピーじゃない。大丈夫。保護者よりも よほどしっかりしていたお前だ。今さら私なんぞの指示を受けない方がいいのさ。」 「はい。わかりました!」  ついつい、ヤンに向かって敬礼するユリアンの横から、大柄な男が笑いながら姿を現し た。 「あーあ、偉そうな事を言って。ご自身はいつも天国、『年金ももらえないのに、不合理 だ!』といつも叫んでいるくせに。全く、ユリアンの前に出ると親気取りなんだから。」  からかうように笑っているパトリチェフに、ヤンはぷう、とふくれて見せ、腕組みをし てみせる。  その様子がいかにも子どもっぽかったので、生きている者一同は知らず微笑んでいた。  しかし、ただ一人、笑うことのできない者が一人いた。  その存在に、最初に気づいたのはユリアンで、彼は、彼女の歩み寄ると、その肩に手を 置いた。 「ほら、カリン。今言わないと後悔するよ。」  ユリアンに背を押されながらも、まるでそうされることを望んでいたかのように、カリ ンは、シェーンコップの前に、一歩進み出た。  そして、ぴしりと自信の父親を指さすと、まるで決闘状でも突きつけるかのような口調 でまくしたてた。 「次に来る時には、あんたの孫を見せてやるわよ! 『おじいちゃん』と呼ばれつつなお、 あんたは、女あさりができるかしら?」 「そうだな。ロマンスグレーの、伊達男も悪くないな。」  それが、シェーンコップの最後の……少なくとも、今年最後の言葉になった。 「まったく、素直じゃないなあ。」 「あら、あれが私の本心よ。」  腕組みをしてふくれてみせるカリンをよそに、ユリアンは肩をすくめて笑った。   「じゃあ、あなた。来年をまた楽しみに。」 「おいおい、来年もまた呼び寄せる気かい?」 「ええ。それじゃあ。」  言うと、フレデリカは、軽く背伸びをして、パジャマ姿の夫の髪を撫でると、その唇に 触れるだけのキスをした。 「……じゃあ、また。」  その言葉とともに、ヤン・ウェンリーの姿は、静かに、ゆっくりと 霧の中に沈むように 消えていった。  ヤンだけではない。シェーンコップ、パトリチェフ、コーネフをはじめとしたエース達。  さらに、しばしの帰還を楽しんでいた提督達の姿も、霧の中に消えてゆき、イゼルロー ン要塞は、元の静けさを取り戻した。 「お祭りが、終わりましたね。」  ユリアンの言葉に、フレデリカは小さく頷く。    生者と死者、これからも時を刻み続ける者と、既に時の止まっている者。  両者の時が交わることが、来年もまたあるのかどうか、そもそも今回の儀式をおっぱじ めたのは誰なのか、結局わからぬままであったが、ただ一つ言えることがあった。  来年もまた、誰かがこのバカらしくも楽しい陰謀を企てるであろう、ということである。  伊達と酔狂の旧ヤン艦隊に、願わくは行ける世界での発展と希望のあらんことを……そ う信じてやまぬ、ユリアンであった。   おわり
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