後援会設立から・・・



             30周年によせて

昭和50年6月、私の知人で東京福井県人会会長であった故青木良信さんに「僕の福井中学野球部の後輩で、彼はピッチャーだったよ」と紹介を受けたのが宇野先生との初めての出会いでした。宇野先生は東京でしか観られない演劇ではなく全国各地でとの姿に傾倒し、多くの皆さんの共鳴を得てスタートいたしました。これからも「劇団民藝ぎふ大垣地区後援会」が、民藝とともに発展し、郷土演劇文化発展に貢献していくであろうことを心から念じています。

           劇団民藝ぎふ大垣地区後援会の歩みとともに            


                      ぎふ大垣地区後援会会長  久世 弥平

 「人生は出会いを求めて歩く旅である」と言われていますが、私と民藝、又民藝のおかげで知り合いになった皆さんとの出会い・・・。多くの思い出が走馬灯のように脳裏を過り、今、感無量であります。
 昭和50年6月、私の知人で東京福井県人会会長であった故青木良信さんに「僕の福井中学野球部の後輩で、彼はピッチャーだったよ」と紹介を受けたのが宇野先生との初めての出会いでした。夜の更けるのも忘れて若々しく熱っぽく先生の語られる演劇論、東京でしか観られない演劇ではなく全国各地でとの抱負、これからの民藝への情熱。その素晴しい宇野先生に傾倒し、又、岐阜県出身の青木道子さん、箕浦康子さん、小沢弘治君が民藝で活躍していることを知り、(後には、戸谷友さんも入団し、活躍中)岐阜産業会館にできた小劇場、完成目前の大垣市文化会館のことを思い、岐阜に後援会を作ることを約束して帰岐しました。
 まず、箕浦康子さんの令兄卓夫さん、康子さんの岐阜高校の恩師で劇団はぐるまを主宰しておられた小林ひろしさん、大垣市社会教育課長時代からの知友で県ユネスコ協会会長の故伊藤健吉さん、郡上出身で役者さんの写真を撮っておられた金神徹三さん等にご相談し、共鳴を得てスタートいたしました。特筆すべきは、大垣中学同窓のご縁でコンビを組んだ山田昭男君の参画でした。劇団未来座時代からの彼の朋友清水昭八・武山博両君も加わっていただき、未来工業トリオの推進力が大きく貢献いたしました。
 同7月8日、初打合せ、7月15日、第一回世話人会が開かれました。他地区の後援会は「○○民藝の仲間」と呼称していましたが、我々は岐阜大垣の垣根を外し、又自主性を強調して「劇団民藝ぎふ地区後援会」としたり、「規約」と言わずに「きまり」とする等、山田君のユニークな発想を取り入れた後援会の立ち上げでした。知らず知らずのうちに民藝にのめりこんでいく毎日でした。楽しい思い出でのひとつです。
 一ヶ月の連日連夜の努力が実り、昭和50年8月18日午後8時、岐阜市長良ホテル・パークで結成準備会が開かれました。一ヶ月に渡る世話人の努力、劇団民藝の高い知名度、演劇文化への渇望等から反響は大きく、76名の賛同者名簿の外に百名近い方が参集、全員が賛同、二ヶ月で「劇団民藝ぎふ後援会」が誕生いたしました。
 当日、劇団からは宇野先生・青木道子さん・箕浦康子さん・日色ともゑさん・勿論火付け役の故青木良信さんも出席され、宇野先生を肴にしてのユーモアたっぷりのスピーチは満場を沸かせました。今、手元のアルバムをひもとき、その時の記録や写真を見ますと個人となられた方を含めて各界を代表する懐かしい方々のご尊名やお写真が拝見されます。県内の各界指導者の方々と演劇愛好家の若い人々が一堂に会しての船出という素晴しいドラマであったと思います。
 後援会誕生を記念しての第一回公演は、民藝の顔ともいうべき「セールスマンの死」でした。滝沢修先生と細川ちか子さんの主演で上演されました。細川さんが、この舞台を最後に死去され、その悲しみとともに運命的なものを感じました。共演者とともに岐阜の「しぐれ茶屋」で「美味しい」と言って板場さんにお願いした料理を喜んでいただいたのも忘れられぬ思い出でした。
 これまでの約30年の年月の間には公演の日の郵便のストや洪水、大雪等のアクシデントも数々ありました。そして、県内後援会の三つの支部の誕生。
 ある年の公演後に行った、我が家の庭で山田昭男・久世演出、梅野泰靖・米倉斉加年脚色の「宇野重吉誕生祝のガーデン・パーティ」の楽しかったこと。宇野先生には内緒のハプニング企画でした。百人近くの会員と劇団員が集い、夜中まで歌って飲んで食べて、本当に楽しい会となりました。
 宇野先生が「宇野重吉一座」の幟をたてて念願の全国公演行脚「三年寝太郎」も忘れられない出来事でした。そして、壮烈な死。名和嘉久・山田昭男両兄と一緒に青山での「偲ぶ会」に参列した時の感動にも似た思いー。
 思い出はつきません。
 「老年は過去、壮年は現在、青年は未来を語る」と言われるように、私はこれまでのあゆみと過去の思い出を記させていただきました。これからも「劇団民藝ぎふ大垣地区後援会」が、民藝とともに発展し、郷土演劇文化発展に貢献していくであろうことを心から念じています。

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