天下の不如意

さぼさぬけ

 誰だって、人に振られるのは気分のいい物じゃない。もちろん私もその例には漏れない。そりゃあ、私はスタイルだって良くないし、顔だって卵形にはほど遠い。美人じゃないし、そんな私だから振られるのだって仕方がないとは思ってる。
 唯一の救いはといえば、色白なこと。でも、色白は七難隠すなんて言われていたのは昔のことで、今じゃ色黒の女の子が流行りなんだって、テレビで言っていた。
 私は今までずっと、彼に振られ続けてきた。私は耐えて、耐えて、堪え忍んで、それでも彼のそばにいることをやめなかった。彼の気持ちが私なんかに向いていないことは分かってる。私なんか、お遊びにもならない。お遊びの前座でしかないことも。
 でも、この間のことは許せなかった。彼は数人と一緒に、私を弄んだのだ。彼だけなら、私はきっとまた我慢もした。だって私は彼のそばにいたかったから。でも、まったく知らない人の手玉に取られてまでおとなしくしているほど、私は落ちぶれてはいない。そう、思いたかったのだ。
 私は彼のそばを離れることにした。
 でも、本気で離れようなんて思っているわけではない。ただ少し、彼を困らせることができたらと思ったのだ。彼はきっと、私がいなければなんにも出来ない。彼はいつも麻雀やら何やらをやってばかりだった。
 私のことをいつも振り回している彼が、今度は私に振り回される。その光景を想像すると、私は少しおかしくなった。
「おーい……どこいったんだよ……」
 彼が私を捜し回る声が聞こえる。いい気味だわ、と私は思った。私を振り続けてきた罰なんだから、もう少し困らせてあげないと。
 いくら、私がさいころだからって。






ピース・スピース(Peace Spiece)

さぼさぬけ

 ジャックは妙な男だ。
 彼の家はガラス工場から1キロほど離れた場所にあって、その窓ガラスはいつもぴかぴかに磨き上げられている。ジャックが毎日掃除をしているのだ。彼の家の窓ガラスは、有ってないがごとく、という表現がお世辞でないほどの透明ぶりで、かくいう私も何度かぶつかりかけたことがある。
 ジャックはそうやって、ここ数年間ガラスを磨き続けている。彼の家は資産家で、働かなくても食うには困らない。しかし、家も広い。その窓ガラスを全て磨くというのは、重労働だ。にもかかわらずジャックはそれをやめない。もはや彼の窓磨きの腕はプロ級であるといって良いだろう。高い窓の桟まで、ぴかぴかに磨き上げる。
 けれどジャックはその腕を自分の家以外のことに使おうとはしない。以前私はジャックに窓磨きを頼んだことがあったが、あっさりと断られてしまった。
「どうして、君は窓を磨くんだい?」
「そうだね、鳩を捕らえるためさ」
「鳩を?」ジャックはやっぱり妙な男だった。
「そう、鳩。以前僕が窓を磨いていたら、その窓に鳩がぶつかってきたのさ。きっと、ガラスのあることが分からなかったんだろうね。僕はその鳩を捕まえて、ペットショップに売った。それ以来僕は、ガラスを磨き続けてるってわけさ」
 私はそれを聞いてため息をついたものだった。
「ジャック、それを中国の言葉で『守株』って言うんだよ」
「違うね」
 ジャックは人差し指を一本立てて、ワイパー状に振った。
「人事を尽くして天命を待つ、さ」

 しかしそれから一年後、ジャックは私達の間で憧れの的だったリサ……ガラス工場長のお嬢さんのハートを見事捕まえたのだった。






My only Star

さぼさぬけ

 数学の授業が終わっても、幸はシャープペンシルをくるくると回し続けたまま、不機嫌な顔をしていた。数学の大嫌いな彼女のことだ、いつもなら授業が終わると同時にノートと教科書を閉じて、友人の所へ走っていくか、そのままうつぶせて眠ってしまうはずなのに。浩太郎は、ふと不思議に思った。
 浩太郎は、よく斜め三つ前の席の幸を授業中に眺めていた。授業中の彼女の反応は、ひとつひとつがひどくコミカルで良い、そう思っていた。分からないときに右人差し指の爪をはじく癖とか、黒板と天井の中間あたりを眺めてぼうっとする癖、もちろん、真面目に授業を受けている姿もお気に入りだった。その感情に名前を付けることは容易なことで、もちろん浩太郎もそのことを認識していた。そんな事を思い起こして心が疼いたのか、浩太郎は読んでいた小説を置いて席を立つと、彼女の席までの距離を丁度9.5歩で進んだ。
「何悩んでるのさ」
 浩太郎はいつものようにおどけた調子で声を掛けた。幸は浩太郎の方を見ると、手にしていたシャープペンシルの先で問題番号の上にアンダーラインを引いた。問題番号の上には、星印「*」がついていた。
「星印が、どうかしたの」浩太郎が何気なくそう尋ねると、幸はキッと浩太郎を睨み付けた。「浩太郎まで、そんなこと言うのね」
「そんな事って?」
 浩太郎が聞き返すと、幸は尖らせたままの唇を小さく動かした。
「だって、これって星印じゃないもの。これはアスタリスク。ワイルドカードとも言うけどね。星印って言うのは……」
 そう言って幸はノートの端に「☆」を描いた。「…でしょう?」
「うん、そうだね。君の主張は正しいと思うよ」
「問題はそこじゃないの。なんで、これを『星印』なんて呼ぶのかって言うこと」
 彼女はまた、瞳をめぐらせ始めた。
「うーん、そうだね…重要だから。大切な、忘れちゃならない物だから…。あとは、そうだね。問題が輝いてるからとか?」
「なに、それ」
 幸の笑顔を見て、浩太郎はふと気の利いたフレーズを思いついた。
「やっぱり、最後の説が正しいかな。輝いてるんだと思うよ」
「そうなの?」
「うん、例えば君みたいにさ」






日記の「(かぎ)」(Key to her Diary)

さぼさぬけ

 どうやら最近、娘は日記を付け始めたらしい。勉強嫌いの娘が、私に急に「ノートが欲しい」なんて言うから、何事かと思ったのだが、どうやらそう言うわけだったのだ。もちろん私はその時は気づかずにノートを5冊も買ってやった。
 娘は今、中学二年生。いわゆる思春期のまっただ中で、友達と長いこと電話で話したりなどと、この頃に特徴的な動向を見せている。親としては娘の成長を喜ぶべきなのだろうが、父親のさがというのか、どうも心にひっかかることがあるのも事実なのだ。今のところは電話も女の子の友達からだが、もしこれが男の子からかかってきたりなどと想像すると、それだけで私はおろおろと心配になってしまう。
 こんな事ではいけないのだ、と思いつつも、機嫌の悪い娘の様子をちらちらとうかがいたくなる。そう言った状況下にあった私にとって、娘が日記を付け始めたというのは、一種の甘い誘惑だった。私は自宅で小さな事務所を開いている。つまり、娘が学校に行っている間も私は家にいるということで、それは計らずとも日記を見られる、という結果を生みだしてしまうのだ。もちろん私はこの誘惑に抵抗した。他人の日記を盗み見るというのは人間として良くない行為だし、もちろん私がそんなことをされたら(もっとも、私は日記を付けていなかったが)怒るに違いないからだ。
 しかしある日、私はとうとう誘惑に負けて、娘の机の引き出しを開いた。そこには、見覚えのあるノートが一冊入っていた。他の四冊はどうしたのだろう、とふと考えたが、そんな事よりも私は早くこの日記を読み終えてしまわなければいけない焦燥感に駆られていた。罪悪感だったかも知れない。
 ノートを開くと、しかしそれは真っ白だった。私は不審に思って、ぱらぱらとページをめくっていった。すると、ノートのちょうど真ん中あたりのページに、青いペンで何かが書かれていた。
「パパへ。
  きっとこのノートを読んでいるんでしょうね、ダメよ、そう言うことしちゃ。
  そう言うことするから娘に嫌われるのよ。
  本物の日記は、ちゃんと私は学校まで持って行ってるの。
  今度、新しい洋服買ってくれたら、このことはチャラにしてあげます。
  よろしくね。
皐月」
 薄い水色のラインの上に並ぶ少し丸っぽい文字が、きゃらきゃらとまるで娘がそこにいるかのように私のことを笑っている。なんということだ、娘は全てお見通しだったのだ。
 こうして、私が手にした日記への鍵は、その役目を果たさないまま霧散してしまった。私はノートを見たことを黙っていようと思ったのだが、結局は洋服を買わされる羽目になってしまった。娘は笑って言ったのだ。
「しらを切っても無駄よ。だって、鍵代わりにこっそり貼って置いたセロテープが、はがれてノートの間に挟まっていたんだもの」






軌跡の奇跡

さぼさぬけ

 点と点を線でつないだ折れ線グラフ。中学校の理科の授業から、ここ数年見たことはなかった。彼から借りた数学の問題集には、そんな物が描かれていた。
 目次ページの前にある、一ページの空白。その空白を幾何学的な形に点と線が分断していた。私がそのことに気が付いたのは、問題を解き終わってその本にお礼のメモを挟もうとしたときだった。それは、とても不思議な模様だった。
 かたかたと昇ったり降りたりするライン。一体何を表しているのだろう。折れ線グラフを用いるような単元は、この薄い問題集の中には収録されていない。まだ結ばれていない点もいくつかあった。
 ただの落書きだろうか。そうも思った。何か内容に関わりがあったのだろうかと、私はページをペラペラとめくっていった。
「あれ?」
 私はふとページ数の上にうがたれた点に気が付いた。くまなく全ページに小さな青色の点がうがたれている。それは各ページで少しずつずれていた。ただの落書きとは少し違っていた。問題集は全部で百ページほどしかないとはいえ、その全てに点をうっていくのには、何か彼の意図があったのだろう。そう考えながら私はまた、最初からページをたどる。
 そして、気が付いた。その点は、言うなれば折れ線グラフの亜種だった。この点を全てうがつのに、一体彼はどれだけの時間と、そして勇気を費やしたのだろう。それを考えると、思わず私の喉からは笑いがこぼれた。きっと最初のページに描かれた折れ線グラフは、彼のちょっとした賭だったのだろう。気づいてもらいたかった、けれど素直には言い出せない。いかにも彼らしいヒントだった。
 その点はページをたぐることによって結ばれる。
 小さな点の軌跡は、ささやかな愛の言葉を描いていた。


コメント
 小早川氏と合同で書いた作品から、さぼのものだけを抜き出しました。テーマを決めてショートショートを書いていたのですが、そこからいくつか作品を取り出して「木霊」に発表したのです。いわば、競作と言う形でしょうか。
 テーマは順に「さいころ」「ガラス」「星」「日記」「落書き」となっています。一日一本というペースで書いていて、中には駄作も混じっていますが、まあそんなものでしょうと読み流していただければ幸いです。
 それぞれの作品について、一言ずつ。
 「天下の不如意」;個人的名作だと思っています(笑)。
 「ピース・スピース」;鳩とハートをかけたギャグです。ただし、鳩は本当にガラスにぶつかってきます。
 「My only Star」;昴? いや、アスタリスクです。大蚊に似てます。米印とも言いますね。
 「日記のかぎ」;皐月ちゃんは、「裕也と皐月シリーズ」の皐月ちゃんです。お気に入り。
 「軌跡の奇跡」;分からんと言われました。わからんでしょうな。ぱらぱら漫画です。

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