仮面の告白

           
沖島夕美

 御手洗というのは、非常に不思議な場所です。それは人類の終着駅であり、様様なモノの集うところでもあります。それ故に、人は御手洗を嫌い、御手洗を愛します。そしてまた御手洗は、人間の理性を解放してくれる場所でもあります。人が御手洗で奇妙な行動をとってしまうのは、きっとそんな訳なのでしょう。
 これは、御手洗におけるわたしの経験とそれに基づく思索を描いた仮面(ノンフィクション)の告白です。決して皆様、私の正体を探らぬよう。
 そして、くれぐれも御手洗にはお気をつけ下さいませ。


(1)扉
 3年生の利用しているトイレには、両開きの扉がついています。南舎二階のトイレです。たぶんプライバシーを考慮して姿の見えないように、ということなのでしょうが、それならば何故他のトイレには扉がついていないのでしょうか。もっと大きな扉にしないのでしょうか。それよりも、開かれた空間で用を足す男子トイレにこそ、扉は必要ではないでしょうか。(南舎二階の男子トイレには扉はついていますけれど。そう言えば、何故男性職員トイレの扉はよく開いているのでしょうか)
 とやかく言っても始まりません。ここでは、この扉を用いた私の密かな楽しみをご紹介しましょう。
 みなさんは、「ガラスの仮面」というドラマをご存じでしょうか。漫画の方は、知っていればより深みが増しますが、知らなくとも問題はありません。ドラマ第一期エンディングに置いて、北島マヤ役の安達裕美さんが両開きの扉(この扉は透明でした)を押し開けて出てくるシーンがあったのを憶えていらっしゃるでしょうか。そう、私はこのシーンをトイレの扉で再現するのが好きなのです。
 両手を前に伸ばし、ぐいと押すと、それに応えるようにして開く扉。広がる世界。そして私がすり抜けた後に扉は反動で自動的に閉まるのです。ああ、この瞬間私は北島マヤになる! 何というすばらしさなのでしょう。この味を一度覚えてしまったら、もうやめられません。さあ、あなたもこっそり北島マヤになりませんか?
 ちなみに、扉の向こうにある足を見てその人物を当てる「足当て」も、私の密かな楽しみです。

(2)個室
 個室の中というのは、中途半端に区切られた非常に曖昧な空間です。今ではもうそんなことはありませんが、小学生の頃にはよく上から覗かれたりしないものかびくびくしながら用を足したものです。このような恐怖は、もしかすると男性の方が強いのかも知れません。
 ここでは、女性なら誰しも共感を覚えるであろう事をお話ししましょう。

 個室にはいる前、私達はスリッパから下駄へと履き替えます。たまに履き替えない人や下駄のなんたるかをはき違えている人もいますが、そう言う人は好きではありません。とにかく、履き替えたとします。下駄は、毎日多くの人が履きます。ですからやはり、老朽化も激しく、壊れてしまうのです。
 下駄は木とゴム製の鼻緒で出来ていますから、割れたり鼻緒が切れたりと言うことはまずありません。最も頻繁に起こるのは、板と鼻緒の接着部分が弱くなり、とれてしまうと言うことです。やがて手の着けられない状態になると新しいものに取り替えられますが、それまでは「まだ使えるから」という悲しい貧乏根性のせいで不幸な女生徒がそれと知らず使用することになります。
 見た目にはまったく違いはありませんから、多くは履いてから気づきます。しかし下駄を履いた後に元に戻すのはやはりばつが悪いのでしょう、なかなかそんなことをする人は居らず、履いて中にはいることになります。
 ここで最も緊張するのは、便器の川をまたぐときに他ならないでしょう。足の裏にひどく力を込めて「おっ…落ちるなよっ……」と心中で願いつつ川を越します。この度合いは、接着力が弱ければ弱いほど大きくなります。一段落ついた後、また川を戻って、ゆっくりと個室の扉を開きます。そして並んで待っている知らない方ににっこりと微笑み、なに食わぬ顔でその場を立ち去るのです。
 女子トイレというのは本当に恐ろしいところです。掃除の人が手を抜いているので、掃除の後は個室の中が水浸しであるのも、個室の恐ろしいと言われるゆえんだと私は思います。

(3)たまり場
 女子は何故かよくトイレに溜まります。連れだってトイレに行くこともままあります。それは何故なのか考えてみますと、トイレというのは異性の立ち入ることの出来ないいわば聖なる地なのです。……ずいぶんと汚い聖地もあったもんですが。まあそんなわけで、女子はトイレに溜まり、鏡の前で髪を整え、いらない雑談をしてまた散っていく訳です。
 そして次はまたこれとは違った見地からですが、女子トイレというのは非常に込み合います。特に昼休み、あるいはテスト中の休み時間などにはひどく混むのです。(これはたぶん女子トイレの少なさが原因です。もう少し増やしてもいいんじゃないですか?)そこで、他の人が個室から出てくるまでは待っていなければなりません。出てくるタイミング、というのがあるのですが、私はどうもそのタイミングが悪いようで、待ち時間によく当たります。しかも一番前で。
 アレはひどく居心地の悪いものです。水の流れる音はすれど、人の出てくる気配はない。わずか一、二分の間であるにもかかわらず、それは永遠にも思われるのです。後ろに並んでいる人が自分を見ているのではと考えるのも、居心地の良いものではありません。まあ、実際はまったく意に介されていないのでしょうが。
 やっと入って出てくると、並んでいる人はほとんどいません。後はスムーズに流れてゆくのです。何か私の運のなさをひしひしと感じます。並んでいたら並んでいたで、小心者の私はきちんと下駄をそろえて肩を小さくしながらコソコソと去るのです。どちらにしても心苦しいです。
 あと、用もないのに鏡の前でおしゃべりしている女性は嫌いです。こんなのは個人的意見なので、気にしなくていいですけど。



 奇妙なことばかり書いてきてしまいまして、本当に申し訳在りません。
 プライバシーの侵害だとおっしゃられる女性の皆様、おっしゃるとおりです。
 夢を壊されたと怒る男性の皆様、現実なんてこんなものです。
 全世界中から非難されようとも、私は自らの表現願望の充足のために、この随筆のような告白を書かねばならなかったのです。それは私の潜在意識のより深いところにあるくらい欲求なので、もはやどうしようもありません。
 皆様どうぞ私が虎にならないよう、祈っていて下さいね。


(4)追記
 友人がトイレの扉に攻撃されました。背中を思い切りトイレの扉に打たれて、痛がっていました。みなさん、南舎二階女子トイレの、奥に向かって右手側、二、三番目のトイレの扉にはご注意下さい。特に風の強い日と、月のない夜には。

 「あんた、人がそれまであえて書かなかったことを」とコメントを下さった友人O嬢。この随筆もどきが鬼本に掲載されるのはあなたのおかげです。
 温かい声援をありがとう。



コメント
私が通っていた高校には毎年文化祭に有志が参加する「鬼本」という何ともジャンル区分のしがたい本を発行するという伝統がありました。これは、その本に私が3年生の時に、「沖島夕美(オキシマ・ユミ)」というペンネームで書いたエッセイになります。
今思うと、しょうもないこと書いてますね。でも、こういうの、好きなんですって。小説もいいけど、たまには、ね。

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