いつかみかんになる日まで

           
さぼさぬけ

 僕のクラスの佐藤さんは、あまり目立たない人だと思う。特にどこのグループ(いわゆる女子独特の「仲良しグループ」というやつだ)にいるわけでもなく、かといって特に仲間外れだとか、いじめられているというわけでもない。
 教室には、いないことが多いような気がする。もしかすると本当は、いても気付いていないだけかもしれない。なにせ彼女が休んだ日、先生でさえそのことに気付かずに、後で連絡を受けてから知ったくらいなのだから。
 彼女は、僕の左斜め二つ前、窓際の席に座っている。
 僕が、彼女のことを気にかけるようになったのは、二ヶ月前…そう、文化祭の打ち上げのことだった。

 その日、僕たちのクラスは、教室で打ち上げをやっていた。僕はくじで負けて、クラス全員分の飲み物を買いに行くハメになっていた。そのとき、僕と一緒に買い出しにいったのが、彼女──佐藤さんだった。
 僕は、彼女のことをよく知らなかった。何せ彼女は目立たなかったから、男子なら顔を知っていれば上等だと思う。僕たちは学校をでて100メートルあたりのコンビニまで、黙って歩いていった。
 沈黙が重く、僕の肩にのしかかっていた。僕は沈黙が嫌いだった。沈黙は、特によく知らない者同士のそれは、居心地を悪くしてしまう。何か話題を、そう思って左右を見ても、特に取り立てて目立つものなどなかった。気まずい雰囲気を抱えたまま、僕たちはコンビニを出てしまった。
 僕は気分が悪かった。コンビニの中ならばまだ、何か話題を作れたかもしれないのに。レジの女性の明るい声も、僕たちの気まずさを引き立てるだけだった。自分の好きな銘柄のコーヒーがそのコンビニになかったことも手伝って、僕の心はイライラしていた。大人ならここでタバコでも喫うのだろうが、そうもいかなかった。ただ僕は道路に行き場のないいらだちをぶつけながら歩いていた。
 ふと横を向くと、彼女がいなかった。
 僕があわてて振り向くと、彼女は自動販売機の前で立ち止まっていた。僕はため息と舌打ちをして、引き返すことにした。
 「おい、何やっているんだよ。」
 沈黙を破ったのは、そんなとげとげしい言葉だった。これじゃぁいじめているみたいだ、と僕はあわてた。
 けれど彼女はそんな僕をよそに、にっこりと笑っていった。
 「──飲み物、コンビニになかったから。」
 そういって彼女が取り出したのは、つぶつぶみかんジュースだった。僕の好きなコーヒーを出しているのと、同じ会社の製品だ。
 もしや、と思って見ると、そこには僕の好きな銘柄のコーヒーが並んでいた。僕がポケットに手を入れて小銭を探していると、彼女は、ついと僕の前にコーヒー缶を差し出した。
 「ああ、ありがとう…」
 それは僕の好きな銘柄のコーヒーだった。僕はそれを受け取った。少しふれた彼女の手は少し冷たくて、柔らかかった。

 それから僕は、彼女を目でおうようになった。彼女はいつも、つぶつぶみかんジュースを飲んでいた。
 彼女の一体どれくらいが、みかんで構成されているのだろうと思う。
 たぶん彼女は僕たちよりも、ほんの少しだけみかんに近い。
 彼女の体の中に入っていった何億ものみかんの細胞は、ゆっくりと彼女をみかんに変えていく。ゆっくりと、けれど着実に、彼女はみかんに近くなる。彼女はみかんになるために、つぶつぶみかんジュースを飲み続け、そして人は彼女を忘れる。
 でも僕だけは忘れない。
────いつかみかんになる日まで。

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