声が聞こえた。
いや、空耳だろうか。
少なくとも大きな声ではなく、耳を澄ましてやっと聞こえるか聞こえないかという程度。
…空耳だろうか。
それでも、重い扉を開け階段を登る。
あの頃よりほんのちょっぴり伸びた身長。
伸ばし始めてもう何年になるだろう、金色の長い髪。
成長の遅さと寿命の長さがその曖昧なバランスを作り出していた。
見せたい。見て欲しい。ほんのちょっぴり成長した自分を。
1階の廊下にあがり、右手へ向かう。
ここ、紅魔館に有る広い図書館へ。
…ぱたぱたと揺れる羽をゆっくりと閉じて廊下に足を着く。
分かっていた。
何年も繰り返してきた。
聞こえるはずの無い声。
声など無くても、分かる。
独特の魔力と不思議な存在感。
図書館に近づくにつれ、徐々にその足並みは遅くなっていった。
しかし足を止めることは無く、程なくして図書館の前に立つ。
一つ息をしてその扉を開く。
「…あら、フラン。」
扉を開けてすぐの机で、この図書館の主が本を読んでいた。
顔を上げ、一言挨拶を交わす。
「ん。おはよう、パチェ。」
あの日から、パチュリーは彼女の事を『妹様』ではなく『フラン』と呼ぶようになった。
あの日…最後にあの人間が姿を見せた日。
今のフランの髪型と同じ、綺麗な金髪をリボンで編んだ少女。
二人にとって、消せない罪を背負うことになった少女。
彼女はそれを望むことは無く、しかし口に出さずに何も言わずに。
二人は彼女にその自分達の我侭を秘密裏に押し付けた。
それ以来、彼女は紅魔館に…幻想郷に姿を現すことは無く。
黒白の魔女の家は主無き歳月を過ごし。
その禁の、果たしてその結果を知ることは無く。
既に、100年の月日が流れていた。
フランドールと魔理沙の帽子と。
フランにとってそれは日課に近かった。
気にすること無く本を読むパチュリーとそれをぼーっと眺めるフラン。
レミリアも時折寂しそうに窓際で紅茶を傾けるときがあるが基本的に昔と変わらない。
変わったことといえば、一緒に表に遊びに行く事だろう。
魔理沙に会ってから随分と成長したもので、今では表も一人である程度自由に飛び回ることができる。
窓の外を見ると、綺麗な満月。
図書館の窓からはみ出るほど大きな大きな月。
立ち上がり、窓際へ歩み寄る。
「…ねぇ。」
いつもの言葉。数秒して、奥からパチュリーの従者が姿を現した。
手にしているのは、黒い帽子。
リボンがついた、絵本に出てくるいかにも古風な魔女が被るような帽子。
そして、フランにとって一番大切なものでもある。
「ありがとっ。」
華の咲いたような笑顔でその帽子を受け取り、図書館の入り口へと方向を変える。
「フラン。」
パチュリーが声をあげる。が、その視線は本に注がれたまま。
「う?」
「…気をつけるのよ。」
「うん!」
元気良く返事をし、図書館から飛び出て行くフランの後姿を視界の隅に捉え、本を置く。
無邪気な笑顔。魔理沙の帰りを待ち望んでいる一番の…。
いや。小さく首を振る。
待っているのは自分も同じ。
だが…。
すがった細い糸と、自らのエゴに被せた希望という名の呪い。
後に霊夢から聞かされ、痛感した。
自分は、なんて浅はかだったのか。
しかし…完全に否定できず、今でもその針の糸よりも細い希望にすがっているのも事実。
妖怪である自分が、たかが人間のために酷く葛藤し、悩み、苦しむのは何故か。
あの日、フランにそうさせたのは自分。
その罪の重さは、彼女は理解していないかもしれない。
その時が来て、罪を被るとしたらすべて自分が被ろう。
瞳を閉じ、霊夢の言葉を思い出す。
冷静じゃなかった自分を、凍りつかせたあの言葉。
今でもその言葉に悩み、押しつぶされそうになる。
…魔理沙。
声には出さず、口だけを動かす。
会いたい。一言で良い。
怒られるだろう。ただではすまないかもしれない。
それでも…もう一目だけ。後ろめたさを断ち切りたい。
何故こんなにまで弱気になっているのだろう。
人間の寿命は遥かに越えた時間を過ごしてきた。
レミリアの隣にはもう彼女は居ない。
あの神社も、今はあのときの彼女は居ない。
それらはもう戻ることは無く、過去の出来事として存在するだけ。
だが、魔法の森のあの小さな家は…。
紅魔館の屋根の上。
ここがお気に入りの場所。
空一杯の星たちと、大きくて綺麗な満月。
湖に映った月は時折姿を歪ませる。
遥か彼方からゆっくりと季節の香りを運ぶ風を頬に受けて、その気持ちよさに薄く瞳を開ける。
深夜の散歩の楽しみは魔理沙に教えてもらったこと。
頭が良くて、強くて、かっこよくて…とても魅力的だった。
だけど…
ころん、と寝っ転がって夜空を仰ぐ。
人間は短命だ、と聞いた。
もちろん信じなかった。
彼女と会って5年の歳月の中で、彼女は随分成長した。
そして彼女が出かけると言って。。
数年後。
見た目の姿は変わらないままだったメイド長の姿が消えた。
最後にレミリアの部屋に入っていったのだけは目にした。
レミリアに聞いたことがある。咲夜はどうしたの?と。
少し寂しそうな表情になり、
『彼女の望みを叶えてあげたわ。よく尽くしてくれたしね。』
とだけ言ってそれっきり口を開かなかった。
パチュリーにも聞いた。
生身の人間であれだけの能力を行使してきた反動でしょうね。
元々無理のある器だったらしい。
それを踏まえ、レミリアが何度言っても頑として咲夜は人間であることを望んだ。
そしてそれは霊夢と魔理沙にもいえることだった。
時々一緒に寝ることが有りレミリアの部屋によく訪れるが、今でも咲夜がつけていたヘッドドレス鏡の前においてある。
レミリアは自分でもよくわからないけど。と言っていた。
霊夢はそのさらに数年後。
だが魔理沙は…。
出かけると言っていた。
今でも、また会えると信じている。
だから、声を待っている。
だから、この帽子を大切に持っている。
パチュリーも、預かっているものがある。
自分のしたことの意味を教えてはくれなかった。
時々酷く悩んでいるようなパチュリーの姿を見ると聞いて見るのだ、が答えは無い。
分からない。聞きたい。
答えが。
声が。
だから、早く帰ってきて欲しい…。
成長した自分を見て欲しい。
そしてまた…一緒に遊びたい。
最後に会った時みたいに…。
あの時もまた負けちゃったけど。今度は絶対に勝って見せるんだから。
あれから100年経ったんだもの、私だって強くなってるよ。
満月の光に目を細め。
内側で暴れる狂気の衝動に静かに語りかけながら。
魔理沙の帽子を強く握り締めた。
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