I.ベルギー郊外を自転車で走る
詳報
1997年9月21日

注意:ここに示された情報は1994年5月時点のものです。
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1. きっかけ

 昔、仕事でベルギーに来た。ブリュッセル西30Kmくらいの、ゲントという町の会社で1週間研修した。ゲントの町も印象深かったが、暇なときにぶらついたブルージュの町が忘れられなくて、1994年の初夏に再訪する事にした。

 私の配偶者Yoshimiは、それまで一度も海外旅行をしたことがない。結婚したときは貧しく、ろくな新婚旅行もできなかったので、結婚後21年経っていたが、新婚旅行と称してヨーロッパに旅をすることとした。
 二人の希望を合わせて、印象派の絵画と自転車を旅の中心にすえ、約2週間の計画をたてた。1994年5月5日、この日から航空運賃が劇的に安くなるため、連休帰りの日本人を後目に名古屋空港を発つ。4月の中華航空墜落事故の残骸が滑走路の脇に残っている。

 ベルギーにくる前にパリに行き、オランジュリー美術館とオルセー美術館を主に、ルーブル美術館などを見学し、モンマルトルの裏道を歩き回った。
 パリで数日過ごした後、パリ北駅を朝7:50に発ち11時にブリュッセル駅に着いた。そこで一日町の中を歩き回り、昔現地人に教えてもらったムール貝料理のレストランにまた出かけた。ブリュッセルではとっても安い値段(普通の1/3くらい)で4星ホテルに泊まれた、今回の旅で唯一冷蔵庫のある部屋だった、インフォーメーションのお姉さんに感謝。
 翌朝9:52の列車でブリュッセル中央駅を発ち、約100Km先のブルージュに10:52に到着する。途中、検札の車掌が到着時刻を教えてくれる時、私の時計がベルギー時間になっているか否かを気にしていた。

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2.ブルージュに着く

 フランドルの水の都ブルージュBrugge(現地フラマン語ではブルッヘ)は中世ヨーロッパ最大の貿易港としての繁栄が突如衰退し、そのまま保存されたしまった不思議な街。 Brugge=橋、の名のように、無数の橋が運河に掛けられている。

 駅のインフォーメーションでBF20(20ベルギーフラン、約¥62)で地図を入手する。、町の中心にあり、貸し自転車屋もやっている'tKOFFIEBOONTJEというホテルを、駅前の公衆電話で予約する。ホテル名をなんと読むかは、わからない。歩いても2Kmだけど、バッグパックがあるので、バスで町の中心マルクト広場に行こうとする。しかし、どのバスかわからない。バス停にいる人に尋ねるがその人も旅行者らしく、わからないらしい。近くにいた家族連れのおとうさんが、バスが来たとき「これだよ」と教えてくれる。マルクト広場に来たら、その人がまた「ここで降りるよ」と教えてくれる。バス運賃は二人でBF80(¥250)で、すこし高い。名古屋市バスの一人200円よりだいぶ安い。

鐘楼から、手前中央左がホテル
(説明をクリックで写真拡大)
 ホテル予約時に教えてもらった様に、小路に入るとすぐにホテルがみつかる。「先ほど電話した」と言い、午前中にチェックインする。ツインに二人でBF2500(¥7750)と、やや高いが、バス、トイレ、たっぷりの朝食つきで、窓からの景色も良いので、連泊する。本当は、ホテル探しの日課に飽きてきた為。カリヨン(音階に組合わされた鐘)で有名な鐘楼のすぐ西で、窓からカリヨンの音が聞こえてくる。

 部屋に荷物を置き、部屋を出ようとすると、鍵が掛かからない。フロントに電話するとすぐに先ほどの女性が来てくれた。私のかけ方が悪かったらしく、彼女がやるとすぐに鍵が掛かる。お礼を言ったら、にこやかに帰っていった。
 フロントで先ほどの女性に自転車を借りる事を申し出る。自転車受け付け用の別の窓口に案内してくれて、そこで2台借りる。スポーツ車を借りたかったが、Yoshimiサイズのものは子供用しか無いらしく、結局普通の自転車を2台借りる。自転車は夜の9時までに返せば良いらしい。2台でBF500(¥1550)だが、支払いはホテルのチェックアウト時で良いと言う。ついでに、近くの本屋とスーパーマーケットの場所を教えてもらう。

 マルクトMarkt広場から聖アマンドSint-Amands通りがゲルトムントGeldmunt通りに突き当たるところにあるスーパーマーケットで水BF39(¥120)、ポップコーンBF30(¥93)、あられBF45(¥140)、菓子BF25(¥78)を買う。「あられ」とはARAREと書いてあり、日本製だった。またマルクト広場に戻りハンバーガーショップでハンバーガー2個とサラダをBF150(¥465)で買い、お弁当とする。フラミンクVlaming通りの先、世界最初の証券取引所跡近くの大きな書店で地図 BF150(\465)を買う。やっと準備が終わり既に昼12時である、これからいよいよ自転車で郊外サイクリングに出発する。

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3.ダム Damme へ


Carmers通りに架かる橋
 地図を買った書店からアカデミーAcademie通りを東へ運河沿いに行き、カルメルスCarmers通りに架かる橋を渡り、聖アンSint-Annarel通りを南下し聖アン教会Sint-Annakerkのところを東に入り、教会を回ってレースセンタKantcentrumの前から十字の門Kruispoortに出る。この城門を通りぬけるとブルージュの街から出ることになる。この門は、かつての城塞都市名残のいくつかの城門の一つである。ここまではずっと石畳の道。馬車時代の舗装方法は、自転車には適していない、つまり尻が痛い、ので抜け出すことに少し喜びを感じる。

 街の外郭は門の先で環状の運河に囲まれている。運河をわたる橋のところ、道路右端の2輪車レーンに右折車が入ってきたのを、前を走っていた自転車のおじいさんが運転席へ行ってえらい剣幕で怒っている。この国では、自動車の通行の激しい道路には2輪車道路が備え付けてあり、信号のあるところ2輪車信号が別に設けられている。


聖ヤンハウス風車
 十字の門から北へダムの門Dammepoortへ行く途中の環状運河沿いには、300mほどの間隔で、低い丘の上に3台の風車がある。2輪車道路が丘の麓をうねるような形で公園の中にある。この風車は多分粉ひき用だが、19世紀には30台の風車が有ったという。聖ヤンハウス風車Sint-Janshuismoltenという風車はいわゆるオランダ風の洗練された形でなく、4枚羽根のついた四角い箱を回転させて風に向きを合わせるような物で、パリのモンマルトルの風車と同じような形だ。

 ダムの門から北東5Kmのダムの町まではダム運河がまっすぐ続いている。両岸はポプラ並木が続いている。運河だから右岸左岸とは言わないだろうから、進行方向右側の土手上の細い道を走る。この道は、馬や人が運河の船を引くために作られた道だが、今は自転車や歩行者専用道路になっているようだ。2.5Kmの一直線の先でわずかに10度ほど左に曲がり、再び一直線の運河を2.5Km行くとダムの町に着く。町の直前の対岸に風車があるので、町の唯一の橋を渡り、そこまで戻って昼食とする。土手に自転車を置き、ハンバーガーと野菜サラダをたべる。向かい側には桟橋がある、これはダムとブルージュを結ぶ運河観光船用の桟橋。


ダム運河
 郊外の運河は橋が極めて少なく、一度渡り損ねるとしばらくは橋がないので、気を付けないとずいぶん遠回りすることになる。ブルージュからここまでの途中の左側のコールケルクKoolkerke(以後、なんて読むかわからない地名は、適当にカタカナで呼ぶ)に五稜郭状の城跡がある。しかし橋が無くて対岸に渡れないので黙殺する。ダムの町も、地図で見ると直径600mほどの七稜郭状の城塞都市だったことがわかるが、その面影は周囲のごく細い堀跡にしか残ってない。

 昼食後、ダムのインフォーメーションに行くが、14:00まで昼食休みなので、しばらく町の中を散歩する。中高生のような若者が数人づつ何組か町の中を歩き回っているのは学校での郷土学習かと思う。それ以外にほとんど人を見かけない。市役所の前の石畳を工事で掘り返しているが、そこも昼休みか、誰もいない。中高生がいなければゴーストタウンのようだ。ノートルダム教会の43mの塔に登ろうと思っても誰もいない。ダムの教会の塔は真四角で上端が平らに切れていて、見て美しいとは思えず、是非とも登って眺望を楽しみたかった。後で調べたら12:00から14:30まで昼休みで、それ以降なら登れたようで、実に残念だ。


ダム、七稜郭は痕跡のみ
 14:00になったので市役所の中のインフォーメーションに行き、ダムの街の英語の案内書とブルージュの地図(駅のインフォーメーションでBF20で買った物)を無料でもらい、サイクリング用の詳しい地図BF57(¥177)を買う。最初にブルージュのインフォーメーションでこの地図を入手すればずいぶん役だったのにと思う。ここに来るまでにサイクリングにもっと適した道を見逃している。この地図は5色刷1/25000の地形図にお薦めのサイクリングコースを赤太線で記入してある。名所旧跡等の特徴的な物を番号で記入し、裏面にその番号の事物を解説してあるが、フラマン語(オランダ語のベルギー方言)なので全く読めない。コースごとに地図があり、一つのコースは地図1枚で足りる様になっている。現地には、道の曲がり目ごとに、コース名を記した6角形の直径30cmほどの看板が立ててある。

 日本にいる子供達に電話するために、インフォーメーションで公衆電話の場所を尋ねるが、この町には公衆電話はこの建物の左裏に1台あるだけだという。そこに行ったらカードの使えないコイン電話機があるだけ。今まで毎日、日本時間22時ころに留守宅に定時連絡をしていた。フランスもベルギーも電話カードを使えるので、国際電話が非常に楽になったのに、田舎にはカード電話機が無い。

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4.ダムDammeからリッスウェグLissewegeへ


レオポルド運河
 ダムから運河を離れて外郭7稜の2つの角に沿って東南の方向に少し進む。後ろを振り返ると牧場の牛の群の背景にノートルダームの塔がそびえ立っている。家が2、3軒のHoge Brug集落の所で北東に曲がり、細い道を2KmほどでアフレイディングAfleiding運河とレオポルドLeopold運河が平行に北海までつづいているのに交差する。ポプラ並木の土手をダム運河に交わるところまで北上する。2本の運河にはさまれた中間の部分は牛が放牧されている。ベルギーでは人の数より牛の数の方が多いという。このようなところは、気をつけて見ていると野兎がいる。


路傍のマリア祠
 ダム運河と交わる所の橋で東岸にわたると、橋の袂にブリューゲルという名の美しいレストランがある。テラスでコーヒーでもと思ったがダムの町でたっぷり休んだ後なので、素通りする。そのまま東岸を1Km進み、右に折れると800mほどの所に尖塔が見える。それがオーストケルクOostkerke(「東の教会」の意)で、教会の回りに数十軒の家が取り巻いている。集落の少し手前で南に曲がると300m先に小さな城がある。個人の持ち物のようで、100m四方の堀に囲まれ、一般道路から分かれた取付道路の正面に跳ね橋が架かっている。城から北へ少し戻り生花の供えられたマリアのほこらのT字路を東に曲がると、正面が教会になる。教会の回りを一周すると敷地の東半分は墓地だ。
 教会の北側の塀のそばに、公衆電話を見つけたが、これもコインのみの電話機。あまり遅くなると日本が夜中になってしまうので、手持ちのBF20(¥62)コインで電話をかける。それでも4枚有ったので何十秒かの通話が出来た。ここの集落でもほとんど人を見かけなかった。火曜日だから都会に出勤して仕事をしているのだろう。このあたりは、5Kmも東に行けばオランダとの国境。

 自転車旅行では昔からの道と水辺の道が好きだ、旧道は自然の地形のままで車が少なく、水辺は起伏が少ない。オーストケルクの集落から狭い道を北西に進み、やや広い通りにT字路で突き当たり、左折して50mですぐに右の狭い古い道に入る。その道は700mほどでレオポルド運河に行き着くので、再びポプラ並木の運河の土手を北西に進む。1.5Kmほど直線の運河を北西に行くとようやく橋に出る。次の目的地リスウェッグには北に行き過ぎのような気がするが、運河を渡る橋がここまで無いので仕方がない。この橋のある道はWestkapelse steenwegという。ウエストカペル街道とでも言うのか、ブルージュからドュゼルDudzeleを経て北東のウエストカペルという町をつなぐ幹線道路だ。橋を渡ってからドュゼルまでの3Kmを、この道を西に走る。この道路は自動車の通行も多少有り、フランドルの風景のなか、自転車専用部分を走っていても、それだけで興がそがれる。

 ドュゼル手前で1/25000地図の範囲から外れてしまい、詳しい地形がわからなくなる。これからは1/20万の地図が頼り。ドュゼルで街道を右に離れて西に向かいゼーブルッヘZeebruggeとブルージュを結ぶ運河を横切る。このブーデウェィン運河Boudewijnkanaalは、北海に面した外港ゼーブルッヘ(海のブルージュ)と内港ブルージュとを一直線で結ぶ幹線運河で、幅も80mほどあり、大型船が十分すれ違う事ができる。その為、橋はブルージュとゼーブルッヘの間14Kmで、この橋と100m北側の鉄道橋の2つだけ。この2つの橋は、大型船通行時には回転して運河と橋桁が平行になる可動橋だ。

 橋の西側のたもとにヘルデルス・フッフェHerdershoeveというカフェがあり、そこで休憩する。この橋はヘルデル橋Herdersbruggeというらしい。カフェの前に自転車を止めてテラスに座り、コーヒーとアイスティーを注文する。私のコーヒーはエスプレッソが出てきたが、Yoshimiのアイスティーは、リプトンの瓶入りティーに氷入りグラスが添えられて出てくる。メニューにアイスティーがあるのは珍しいと思ったら、生まれてはじめて見る瓶入り紅茶。どちらもBF60(\186)で合計BF120(\372)。


リスウェッグ聖母教会
 ここから運河の土手を北に向かう。この土手は並木が無いので向かい風がまともに当たり、走りにくい。土手下に自動車道路が平行しているので、そちらを走るべきかと思ったが、それだと運河を行く船が見えないので、あえて上を走る。2Kmほどで下の道がリスウェッグの方に北西に曲がっているが、土手から降りることが出来ない。さらに2Kmほど土手を北上すると、リスウェッグの聖母教会の塔が真西1Kmほどに見えるあたりに、ようやく土手から降りる道が見つかる。詳しい地図が無い為に、こういったトラブルで苦労する。

 このリスウェッグは、高さ50mの13世紀の教会の塔を白壁赤屋根の集落とポプラが取り囲み、小さな運河が流れ、町の回りは牧草地で、牛が草を食べているという、典型的なフランドルの町だ。小さな運河の脇のカフェでは、派手な色の服を着た老人夫婦が休息している。インフォーメーションがあり、駅もある。教会前広場や運河脇に小さなカフェがある。この町も平日の昼間はほとんど人がいない。塔に登ろうと思ったら、塔の入り口が鍵が掛かっている。インフォーメーションに行ったら閉まっている。教会の中に入って尋ねれば何とかなったかも知れないと思いながらも、時間に追われ、この町を去る。


カフェ

リスウェッグ遠景
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5. リッスウェグLissewegeからメートケルクMeetkerkeへ


ジェントル・ルート地図
 ここからしばらくは、道の選択を誤り、自動車道路を走り続ける。もちろん車道脇の2輪車道路を走るから危険はないが、つまらない。リッスウェグから西300mを南北に走るN31を3Kmも南下してしまう。途中でリッスウェグを振り返ると麦畑と牧場の向こうにリッスウェッグの教会の四角の塔が見える。ドュゼルからヘルダー橋Herdersbruggeを経て西に続く道と交わるところで西に向きを変える。

 ちょうど真西に次の目的地ズインケルクZuienkerkeの教会の尖塔が見える。この道は交通量が少ないので快適に走る。そのまま西に向かいN371を横切る。この横断が、自動車が多くてなかなか困難で、Yoshimiはしばらく横断できないでいる。横断後100mほど先で道が私有地のような雰囲気になったので、N371まで引き返し、その道路を北上しながら西へ曲がる道を探す。翌日入手した1/25000地図で確かめたら私有地でなくレクレーション公園であった。地図ではそこからズインケルクへの古い道があったので惜しいことをした。地図は「あらまほしけれ」。

 N371を1.2Kmほど北に行ったところで、西に曲がる道を見つける。その道を西へ1Km、道路の北150mの所に堀に囲まれた城がある。さらに500m先の十字路にジェントル・ルートGentele Routeと書かれた6角形の自転車ルートの案内標識がある。しばらくはこの標識に従って走る。


路傍の祠、遠くに教会の塔
 すぐにズインケルクの集落となり、教会の石塀の前に出る。この教会は敷地の西半分が墓地になっている。この町は店もカフェも無く、人が全くいない。教会の前で南に曲がって集落を外れた所の道路わきで休憩し、ポップコーンを食べていたら、物見高い牛が脇の畑に集まってきている。人はいないのに、牛は多い。

 ジェントル・ルートに沿って南へ進む。集落から800mで右に曲がり、西に向かい500mのT字路には、またマリアの祠がある。さらに通行量の全く無い狭い道をジグザグとN9に出るまで南に下る。ズインケルクからN9までの約4Kmは車が来ないので、景色を楽しみながら走れる。


メートケルク教会の尖塔
 N9から西へ1Kmほどでメートケルクへ続く道に出るので、そこを左折する。道路工事中で自転車はかろうじて通ることが出来る。N9に出た所からジェントル・ルートを見失ってしまうが、教会の所で再び見つける。この教会の尖塔は、ズインケルクの尖塔と全く同じ形をしている。向こうの教会は1本の木があるだけだが、こちらの教会は8本のポプラの木が南西側に植えてある。教会のすぐ西の小川のほとりで休憩していたら、またすぐ横に牛の群が集まってきた。この集落でも、牛は多いが人は全く見かけない。

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6. メートケルクからブルージュへ

 ジェントル・ルートを西に走るが、500m走ると南に行く道がある。このままジェントル・ルートを行くとブルージュから離れていきそうなので、この道を南に曲がり、メートケルクの南に出る。麦畑の中の道から見るメートケルクは美しい。メートケルクの南東で先ほどの小川の下流に出る。小川に落差が1mほど作ってあるところに水車があり、その横に風車がある。

 そこから畑の中の道をまっすぐ南に走り、ゲント・オステンデ運河という名前の、オステンドとブルージュ、ゲントを結ぶ運河に出会う。その運河沿いを東にブルージュの方向へ走る。途中から高速道路と化したN31の下をくぐると左手に大きな病院があり、対岸が公園になっている。さらに高架道路をくぐり鉄道を越えると市街地になる。時刻は19:30、日没までにまだかなり時間がある。

 最初の橋がN9で、この橋からロバの門まで700mだ。途中のGB(ジェイビー)というスーパーマーケットに入り、ビール4缶と水とあられを買う、BF192(\616)。
 このスーパーでは、6個パックのビールをばらして4個レジに持っていったら、バーコードリーダーで「6個パック掛ける4個」で読み込んでしまい非常に高い値段になってしまった。レジ係に苦情を言ったら、「事務所に行ってマネージャに言ってくれ」と言われ、中年女性マネージャと一悶着。彼女はパックをばらしたら困るといい、私は4個しか必要ないのだと主張し、結局彼女が手打ちレジで修正して返金してくれた。ビール一缶¥89で、やや高めの価格。このビールは冷蔵庫のないホテルで室温で飲んだが、こくと香りを強く感じて、冷やすより美味しく思える。ビールの銘柄は記録するのを忘れた。


ロバの門
 ロバの門から、外周運河の土手の自転車道を反時計方向に、鍛冶屋の門、ゲントの門と回り、街の外殻を半周して、マルクト広場前に帰って来る。町に入ると石畳道で自転車から骨盤に振動がひびいてたまらない。

 ホテルにたどり着いたのが20:00過ぎだが、まだ昼間の明るさだ。ホテルのレストランで夕食を食べる。オードブル、スープ、パン、野菜、ムール貝のワイン蒸し、チキンのウオーターズーイ(牛乳煮)、ワインとビッテル(水)で計BF1450。自転車借りた人には10%値引きしてくれたのでBF1305(\4050)。例によってベルギーの料理は量が多く、メインは半分食べきれずに残す。貧乏性のため、ウエイターに「不味くて残すのでなく満腹なのだ」と、つい説明してしまう。ベルギーではサービス料金込み請求(セルビス・コンプリ)の事が多いので、チップで煩わされる事が無く、気楽だ。でもウエイターに言わせると、サービス料とチップとは別だという。食事が終わって10時近くになって、ようやく周りが暗くなる。部屋に帰ると、ライトアップされた聖母教会の塔が、窓から見える。


貝と海老
 翌日は徒歩で街の中を観光する。魚市場で、茹でた手長海老(0.5KgBF220=¥704)、ばい貝(0.5Kg BF70 =¥224)を新聞紙に包んでもらって食べたのが印象に残る。昔食べた名前不明のでっかい茹で蟹を食べたかったのに、無かった。北海名物酢漬け鰊の立ち食いはさすがに抵抗がある。

 翌々日から聖血行列という名の有名な祭がある。街の至る所に観客席が作られ、インフォーメーションでは座席の切符が売られている。キリストの本物の血がこの街にあるらしい、十字軍がエルサレムから運んできたという。残念だが、祭を見るのが目的の旅行では無いため、ますます観光客が多くなるのを恐れて、早々にオランダに行く。

 

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