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序章 「ドラゴンへの道」
両拳を顔の前に構えている。これで相手の攻撃に対してがっちり
と防御したつもりだったが、その間を、すっ、と抜いて、相手のグ
ローブが飛んでくる。まっすぐ顔に延びてくるので、その動きは見
た目には拳が二回りほど大きくなるようにしか見えない。
あっ、と思う一瞬、肇は顔面に二発食らっていた。一瞬遅れた反
応で両手のガードが上がったとたん、今度は、ぼんっ、という重い
音をたてて体が後ろに飛んでいた。
がら空きになった胴に蹴りを食ったのだ。
防具胴の上からではあったが、心の準備ができていなかったので、
水月(みぞおちのこと)にもろに蹴りが入った。倒れた瞬間に息が
とまり、顔に血が集まったまま目の前が暗くなる。
起き上がりながら、(一本取られて、これで終わりだな)と思っ
たが、審判の小島は冷酷にも「浅い、続行!」と叫んだ。
手をついて身を起こし、呼吸が戻った途端に、しびれた鼻から、
たらり、と血が落ちた。
咽に流れ込む血をごくりと飲み込むと、鼻の奥から、ぷんと鉄の
匂いがする。これは練習なのに、少しは手加減できねえのかと思っ
た。
「栗山、前へ出ろ、下がるな」と全員が応援している。
(くっそう!)
相手の胴を蹴りに行ったが、足がもつれて上がらない。前半の基
本練習で「屈伸蹴り」とか「うさぎ跳び」といったメニューをとこ
とんやらされたため、足の筋肉が限界まで張っていたのだ。
繰り出す突きは、いたずらに空を切った。
相手の上級生は、あえて受けを取らずに、軽い体さばきだけで攻
撃をかわして反撃してくる。そうしなければ練習にならぬほど肇の
攻撃は未熟なのだ。
ぼかぼかと殴られる度に後退したくなる。しかし、一年生に許さ
れるのは、殴られても蹴られても前へ出る根性だけである。下がれ
ば「気合いが足りない」と制裁が待っているかもしれない。それに、
少なくとも前へ出れば反撃の機会だけはあった。
実際には、反撃はおろか受けさえできないのだが、それでも入部
当時に比べれば多少は相手が見えてきた。
また右の突きがくる、受けは間に合わないが、一瞬首に力を入れ
て打撃に備えることはできた。
衝撃!
口の中が切れた。昨日も切れたところだ。それでも意識はしっか
りある。
相打ちを狙って同時に返した突きは軽くよけられてしまった。
少なくともよけねばならない程度の攻撃は返せたわけだ。
追いかけようとして、また足がもつれそうになり、はっと思った
瞬間またスリップダウンした。自分の流した汗で、床の上が光って
いる。転びもするわけだ。起き上がる肇の耳に、道場の外から楽し
げな歓声が聞こえてくる。
隣のテニスコートだった。
ちらりと窓に目を走らせると、揃いのユニホームに身を包んだ男
女が「楽しそうに」テニスをプレイしていた。
硬庭部は今日は休みのはずだ。多分、シーズンスポーツ愛好会「ラ
ブキャット」の連中だろう。現在、学内で最大の人数を誇るスポー
ツサークルである。四季折々のスポーツを楽しく「学ぶ」というの
がこの会のモットーだ。
そして学外の専門学校・短大にまでその手を広げているこの同好
会は、男女の中が「自由」なことでも有名だった。
肇は、それがけしからん、というほど堅い人間ではなかった。む
しろうらやましい。ああ俺も少林寺ではなくあっちに入会すればよ
かったと思うこともしばしばだ。
あの中に、田中由美子もいるのだろう、と思った。
(くっそう!)
肇は飛び上がるように起き上がると、気合いもろとも前へ出た。
やみくもに拳を出し、再び倒されるために前へ出た。