8 仮面の剥落
二人はその後、オルハーナと呼ばれる小さな街にたどり着いた。
小さな、といっても鉄道は通っているし、最低限の施設もある。
まずは宿を取り、バイクを預けると、食事のできる店を探す。時刻はすでに夕食時に近い。
「今日は久しぶりにまともなメシが食えるな」
「そうですね。・・・でもボクは御飯よりも、ベッドで寝られることが嬉しいです。あと、お風呂!」
「フロかー。そういや最近入ってねェな・・・」
・・・最近?
マリオンは不安を覚えて訊ねた。
「最近って、どれくらい・・・?」
聞かなければよかった。
後悔したが、後の祭りだ。
「ガルヴァさん・・・お願いですから、今夜はお風呂に入ってください!」
「あ? そりゃまァ入るけど・・・なんだ、もしかして一緒に入りてェのか?」
「そっ! そんなワケ無いじゃないですか!」
言った後、考え直す。
ガルヴァのことだから、せっかく風呂に入っても、体もロクに洗わず出てくるかもしれない。ここは一つ、一緒に入って全身をくまなく洗ってやった方がいいのではないか・・・?
その様子を想像すると、思わず頬が緩んだ。
「・・・なにニヤニヤしてんだよ」
「別にニヤニヤなんてしてません! とにかく、今夜は絶対お風呂に入ってくださいよ! じゃないとボク、もうガルヴァさんの後ろには乗りたくありません」
「んだよ、現金なヤツだな。嬉しそうに人の体に抱きついてやがったのは、どこのどいつだ」
「う、嬉しそうになんてしてませんよ! 抱きついていたわけでもないです!」
「へいへい」
耳をほじりながら、ガルヴァは店のドアを開けた。
お世辞にも品がいいとは言えない酒場。はたして本当に「まともなメシ」とやらが食べられるのかどうか。
不安になりつつも、マリオンは後に続いた。
早い夕食を済ませ、街へ繰り出す。
今はなにかバザーでもやっているのか、街は露店でごった返していた。
狭い路地いっぱいに店が並び、人であふれかえる。
頭上では建物の壁に紐が渡され、色とりどりの服が吊されていた。商品なんだか洗濯物なんだかわからない。万国旗のようにも見える。
露店の一つ一つを見て回って、マリオンがはしゃぐ。
「わあ・・・珍しい果物・・・」
ガルヴァにとっては何の変哲もない果物も、マリオンにしてみれば世にも奇妙な果物へと早変わりだ。
「お、かわいいお嬢ちゃんだね。どうだい? 安くしとくよ?」
店先の店員(ちなみに牛人だった)が、マリオンに声をかける。
マリオンは慌てて手を振った。
「あ、ごめんなさい、ボク、お金持ってなくて・・・」
「なんだ、欲しいのか?」
ガルヴァがひょいひょいと果物を手に取り、マリオンの返事も聞かずに金を払う。
「毎度!」
店員の人のいい笑顔に送られて、二人は露店を離れた。
「あの、ガルヴァさん、ありがとうございます」
「ん? ああ、気にすんな。安いモンだ」
果物を胸元でゴシゴシ磨き、皮のままかぶりつきながらガルヴァ。
マリオンもそれに習ってみた。
名も知らぬ果物の皮は予想以上に硬かったが、身はよく熟れていてとても甘かった。なにより、こういうワイルドな食べ方が新鮮で楽しい。またも自然に笑みがこぼれる。
「またニヤニヤして。そんなに美味いモンでもねェだろ」
「おいしいですよ。ガルヴァさんと並んで食べれば、なんだっておいしくなります」
臆面もなく恥ずかしいセリフを吐くマリオンに、ガルヴァの方が照れを覚える。
「そ、そうか。そりゃ良かったな」
照れ隠しに果物の芯をポイ捨てすると、マリオンが口をとがらせた。
「もう。ちゃんとゴミ箱に捨てなきゃダメですよ」
小走りに芯を拾ってきて、キチンとゴミ箱に捨てる。
めんどくせェヤツだな、と思いつつも悪い気はしない。いや、むしろマリオンとこうして歩くのは楽しかった。
「他に何か欲しい物はあるか?」
「いえ、ありません」
「子供が遠慮すんな。何でも買ってやるぞ」
「えと、ホントに無いんです」
フーン、と返事をしてガルヴァは考えた。
マリオンの性格だ。遠慮するなと言ったところで遠慮するだろう。
妙案を思いつき、ガルヴァは財布を開いてマリオンの手を取り、硬貨を握らせた。
「?」
「小遣いだ。なんか欲しいモンがあったらそれで買え」
「え、でも」
「なんだ、買い物も一人でできねェのか?」
「で、できますよ」
「ならいい。自分のモンは自分で買いな」
それだけ言うと、さっさと歩き出す。
「あの、ガルヴァさん」
「んー?」
「ありがとうございます。大切に使いますね」
「お、おう。・・・ほれ、行くぞ。はぐれたらコトだからな」
「はいっ」
その後も二人は買い物を続けて歩いた。
まずはマリオンの服。それに缶詰に携行食糧、寝袋等。その後も、旅に必要だと思える物を無造作に買っていく。
どうやら、お金の心配はしていないようだった。
「・・・お金、大丈夫なんですか?」
「心配すんな。気前のいいスポンサーがついてんだ」
「へえ・・・」
そういうものなのか、と深く考えずに納得するマリオン。
ガルヴァが立ち止まり、店先を見た。
「・・・とはいえ、軍資金にも限りがあるからなァ」
視線の先はモーターショップだった。
「ホントはサイドカーくらい欲しいんだけどな」
「サイドカーですか?」
「オレの後ろには乗りたくねェんだろ?」
「あ、いえ、あれはガルヴァさんが2ヶ月もお風呂入ってないなんて言うから・・・」
「どっちにしろ荷物が増えるからな・・・ま、もうしばらく辛抱してくれや」
サイドカーをあきらめ、歩き出す。
「辛抱なんて、そんな」
本当はガルヴァの後ろに乗って彼の体にしがみつくのは嬉しくさえある。
もちろんそんなことは言えないので、
「贅沢なんて言ったら罰が当たります」
「ヘッ。天使にも罰は当たるんだな」
「そりゃ、まあ」
少し考え、得意な顔で続けた。
「天使だって人間ですから」
「・・・・・・」
ざっと買い物を済ませてホテルに戻る。
「さて。じゃオレはちょっくら出掛けてくるから、とっととフロ入って寝ろ」
「どこへ行くんですか?」
「ああ、まァなんつうか・・・風呂屋だな」
「お風呂屋さん? そんなお店があるんですか? だったらボクも行きたい」
「バカ。女子供は入れねェんだよ」
「なぜですか?」
ガルヴァはボリボリと頭を掻いて答える。
「あー、えっとな、男ってェのは大人になると体に毒が溜まるんだ。それを出して洗い流してくれる店なんだよ」
慎重に言葉を選ぶが、早い話が風俗だ。
「そうなんですか・・・知りませんでした。・・・この星の人はそうなんだ・・・」
何も知らないマリオンは、ガルヴァの言葉を鵜呑みにして考え込む。
そんなマリオンに若干の罪悪感を覚えつつも、ガルヴァはドアを開けた。
「いいな。ウロウロ出歩くんじゃねェぞ」
「わかってますよ。子供扱いしないでください」
「へいへい」
・・・子供のくせに。
後ろ手でドアを閉めると、ガルヴァの顔から笑みが消えた。
マリオンは再び夢を見た。
まただ。
またあの悪夢だ。
不思議なことに、前回の夢は全て思い出していた。
「そういやな顔するなよ」
天使マテリエルが現れ、肩をすくめる。
「君は一体なんなの?」
「言ったじゃないか。僕はキミだって」
マリオンは嫌な言葉を連想した。
乖離性同一性障害。
一つの体に二つ、もしくはそれ以上の心を持ってしまう病気。
すなわち、多重人格。
「そう考えてくれてかまわないよ」
マリオンの思考を読み、マテリエルが答える。
「もっとも、僕等の場合、それとはちょっと違うけどね」
「どう違うっていうの?」
「さあ。実は僕にもよくわかっていない。何しろレシピエントと意識の同期が図れないなんてケースは、僕としても初めてだから」
これはいい経験値の蓄積になるよ。
マテリエルは嬉しそうに翼をふるわせた。
「・・・出ていってはくれないの?」
「出ていく? 僕が?」
マテリエルが驚いてマリオンを見た。
「おいおい、勘違いしちゃダメだよ。人格としちゃ僕の方が上位なんだぜ?」
「・・・え?」
「わかりやすく言うと僕がOS。キミは僕の上を走るアプリケーションだ。キミの一挙手一投足は、僕の許可が下りて初めて成立するんだからね」
「そんな・・・! ウソだ! ボクは今まで、全て自分自身の意志で・・・!」
マリオンの言葉が止まる。
・・・その自分自身の意志というものが、全てマテリエルの管理の元で発生しているのだとしたら?
喜びも悲しみも・・・今のこの悩みさえも、全て作り物の感情だとしたら?
「おっと。それ以上不安定になられちゃ困る。アイデンティティークライシスなんて起こされたら、これから先面倒だ」
思考の泥沼に沈むマリオンを見下ろして、マテリエルは続けた。
「今夜はここまでか。またね、マリオン」
「――!」
電気を流されたように跳ね起きるマリオン。
ひどい悪夢を見た気がした。
まただ。
また、夢の記憶がすっぽり抜け落ちている。
そのくせ夢の中で感じたイヤな感覚だけは残っている。
「・・・・・・っ」
全身に汗をかいていた。
金糸のような髪がはらりと垂れると、それは額にかいた汗でべったりと肌に張り付いた。
気持ちが悪くて、マリオンはもう一度シャワーを浴びる。
「ガルヴァさん・・・もうそろそろ帰ってくる頃かな・・・」
時間はあれからほとんど経っていない。
今から迎えに行けば、間に合うかもしれない。
「ウロウロ出歩くんじゃねェぞ」というガルヴァの言葉を忘れたわけではなかったが、これ以上この部屋に一人でいるのは嫌だった。
もしかしたら、いや、もしかしなくても怒られるだろう。
ひょっとしたらゲンコツの一つでも落とされるかもしれない。
しかし、彼はすぐにニカッと笑って「一人でよく来たな」と褒めてくれるに違いない。
「そう、ガルヴァさんならきっと・・・!」
一刻も早く彼に会いたくて、マリオンは部屋を出た。
時間は少し遡る。
ホテルを出たガルヴァは、意外な人物に声をかけられた。
「ん? おめェは、たしか・・・」
声をかけてきたのは、異国の民族衣装に身を包んだ女だった。
以前一度だけ、列車の山賊事件で出会ったことがある。
「・・・あん時のサムライじゃねェか。って事ぁなんだ、アイツもこの街に来てんのか?」
ある犬人の顔が浮かぶ。
名前は、たしか・・・
「来てないわ。あたし一人よ」
「そうか。なんだ、フラれたのか?」
「・・・だったらま、良かったんだけどね。・・・ホントはあたし、アイツを捕まえるために一緒にいたんだ」
「何?」
以前会ったときは仲良さそうにしていたと記憶しているが、あれは演技だったのだろうか。
「・・・仲良くなって寝首を掻く、か。・・・たいした女だ」
「ありがと」
「いや、褒めてねェし」
「ま、途中までは上手くいってたんだけどね、最後の最後でしくじって、ひどい反撃喰らっちゃったわ。
おかげで彼も・・・あ、あたしの本当のパートナーは、フォルステッドっていう白虎だったんだけど・・・」
思わぬところで思わぬ名前を聞き、ガルヴァが声を上げる。
「あらなに? 知り合いだった?」
「知り合いも何も・・・」
フォルステッドといえば、裏の世界ではガルヴァに並ぶほどの実力者だ。
それに彼とガルヴァは、一時期「深い仲」だったこともある。もっとも、そんなことをわざわざ言うつもりはないが。
「で? フォルステッドはどうしてる?」
「さあ? ・・・けど彼、もうダメよ」
「ダメ? どういうこった?」
「利き腕と右足を無くしたの。彼はもう戦えないわ」
「・・・馬鹿な!? アイツほどの男が、そう簡単にやられるワケねェだろ!」
声を荒げるガルヴァ。
フォルステッドの力量はよく知っている。並の相手に後れを取るような男ではない。
「あの優男にやられたってェのか!?」
「・・・そうよ」
馬鹿な。
もう一度呟く。
山賊事件で、ガルヴァはあえて手を出さず、あの犬人の力量を計った。
結果は、取るに足らない相手。周囲への注意も散漫だったし、手際も悪い。自慢の召還魔法とやらも、言うほどたいした芸ではなかった。相棒と思わしき熊人も、せいぜい普通より多少できる程度の物だ。フォルステッドやガルヴァが本気になれば、苦もなく倒せる相手のハズ。
サムライは肩をすくめて、
「相手が悪すぎたのよ。命があるだけでも・・・いや、違うか。アイツはわざと生かしたのよ。戦士としての生命を絶ち、屈辱と後悔にまみれた人生を送らせるために、ね。
・・・あたしが五体満足なのは、奇跡としか言いようがないわ・・・」
「そこまで・・・。アイツはなんだ、やっぱりアレか、天使・・・だったのか?」
サムライはうなずいた。
「それも、とびっきりタチの悪い、ね。
・・・あんたもたぶん、天使を追ってるんでしょ? 悪いことは言わないからやめておいた方がいいわよ。あれは・・・人の手に負える相手じゃないわ」
そんなことはわかっている。
ガルヴァだって二度に渡り天使と死闘を演じたのだ。
マリオンの助けがなければ・・・
「そうか・・・フォルステッドにはマリオンがいなかったから・・・」
「え? 何?」
「なんでもねェよ。・・・で、フォルステッドは今どうしてるんだ?」
「だから知らないってば。とりあえずサラトバの街に置いてきたけど」
「サラトバ? なんでそんな辺境に・・・」
「なんでも腕のいい錬金術師がいるんだってさ。彼、これからはルーンアーティストでやっていくつもりじゃないかな?」
その名の通り魔法を使った彫金師だ。
魔力のこもったアクセサリーや護符、武具を作り出す職人。錬金術と連携することで、その精度は飛躍的に向上するらしい。
「そういや、アイツぁエンチャンターだったな」
「そういうこと」
「フン・・・なるほど。アイツがルーンアーティストか・・・そいつぁいい」
「なにがよ?」
「こっちの話だ。有益な情報、ありがとよ」
軽く手を挙げてその場を去ろうとするガルヴァ。
そんなガルヴァを、思いついたようにサムライが引き留めた。
「そういえばあたし、セントリリアで女の子に出会ったの。あんたを捜してた。名前は、たしか・・・」
「マリオンのことか?」
「そうそう」
「心配すんな。合流した」
「そう、それなら良かった」
「じゃァな・・・えーと」
「ルシア。ルシア・シャーナードよ」
「そうか。じゃァな、ルシア」
「ええ。縁があったら、また会いましょ」
逓信省。この世界の一般家庭には電話が普及していない。しかし、街と街は電話線で繋がっているので、電報を使った通信は存在する。ここは、そんな電報を送受する施設である。
緊急の用件もあるおかげで、深夜まで窓口は開いている。もっとも、深夜料金はバカにならないが。
「電報頼む」
窓口の熊人に用件を告げると、彼は眠そうな顔で用紙を差し出した。
「はい、じゃあここに本文を記入してくださいねー」
差し出された紙にサラサラと要件を書き、突き返す。
「サラトバまで。・・・それと、電話の取り次ぎを頼む」
オペレーターの眠気が吹き飛んだ。
この世界の一般家庭には電話が普及していない。そう、一般家庭には。
王族や一部の貴族、枢機卿など、およそ庶民の手の届かないような権力者の家には、たいてい直通の電話線が通っている。
つまり、電話の取り次ぎを頼みに来る客は、ただ者ではないのだ。
「ファルリーザ。番号は1183−2。アンナマリー・サーティーンの自宅だ」
「・・・!」
熊人の表情が凍り付いた。
彼は仕事上、情報には長けている。
アンナマリーという人物がどのような人物なのか、人並み以上に知っていたからだ。
「し、少々お待ちください」
電話を繋ぎ、相手の交換士としばしやりとりを交わす。
「・・・あちらのブースでお待ちください」
「あいよ」
完全に個室になった電話ボックスに通され、受話器を取る。
まだ呼び出し中のようだ。
懐からタバコを取り出し、火をつける。
紫煙を燻らせていると、やがて電話が繋がった。
『・・・・・・』
相手の声は、ガルヴァ以外には届かない。
「そう言うなよ。こっちだって色々あったんだ」
『・・・・・・』
「ああ。一匹は殺しちまったが、もう一匹は確保した。・・・そうだよ、2匹、いや3匹いたんだ」
『・・・・・・』
「無茶言うな。一匹で充分だろ。最初っからそのつもりだったんだ」
『・・・・・・』
「ああ。とりあえずは北上だ。・・・そうだな、ナイーシャあたりで迎えに来てくれると助かる」
『・・・・・・』
「デウス・ゥキス・マキナをか? なにもそこまで・・・そりゃちょっと大袈裟すぎやしねェか?」
『・・・・・・』
「へいへい。どうせオレには事の重大さなんてわからねェよ」
『・・・・・・』
「ああ、その辺は大丈夫だ。上手く信頼させてる。ひょっとしたら、オレに気があるのかもしれねェなァ。ヘヘッ」
『・・・・・・』
「大きなお世話だ。いいじゃねェか」
言葉を切って、大きく煙を吸い込む。
「・・・その『変わった趣味』のおかげで、あんたは天使を一匹、生きたまま手に入れることができるんだからよ」
傷にまたがれた瞳に凶悪な光を宿し、
「まいどあり」
冷酷に言い放った。