7 ドッペルゲンガーに口づけを

 

 

二人を乗せたバイクは街道を疾走していた。

ガードレールはなおのこと、標識もまばらにしかない、荒野の街道。

タンデムシートのマリオンが、ガルヴァにささやく。

「・・・あ? なんだって!?」

「だ、だから! ト・・・トイレ・・・ありませんか、って!」

「あー、便所か」

スピードを落とし、路肩にバイクを止める。

すでに日は傾き、世界は夜の顔を見せようとしている。

「・・・そうだな、今日はこの辺でキャンプにすっか」

街道を外れ、脇の林の中に押し入るガルヴァ。

木々が陽の光を遮ると、周囲は完全に夜の姿へと変わった。

「・・・なんでわざわざ森の中に?」

「バカ野郎、オレ達ぁ追われてるんだぞ。堂々とモーテルなんかに泊まれるワケねェだろ」

「そっか・・・そうですね・・・」

マリオンの声が沈む。

バイクのエンジンを切り、木にもたせかけると、ガルヴァはわざとらしく明るい声で言った。

「っつーか、こりゃゴーグルがいるな。目が乾いて乾いて仕方ねェ」

「運転お疲れさまでした。・・・それで・・・あの・・・」

「ン?」

「えっと・・・トイレ、なんですけど・・・」

「は? んなモンあるわきゃねェだろ。その辺でしろ。その辺で」

「そんな! できませんよ!」

真っ赤な顔で否定するマリオンに、ガルヴァが眉をひそめる。

「おめェ確か男・・・なんだよな? したことねェのか? 立ちション」

「あるわけないじゃないですか! そんなこと!」

確かに、マリオンのこの容姿では、男子トイレに入ることもままならないだろう。

ガルヴァはボリボリと頭を掻いた。

「しゃあねェなァ。教えてやっから、ついてこい」

茂みを掻き分け、適当な木に向かって仁王立ちする。

不思議なもので、目の前に何か無いとなかなかできないものだ。

「よく見てろよ」

チャックを下げ、逸物を取り出す。

飛び散らないようにちょっとだけ皮を剥いて、勢いよく放尿を始めた。

「・・・・・・」

「・・・あ、あんましジロジロ見んじゃねェよっ」

今更見られるのが恥ずかしいのか、頬を染めてガルヴァは言う。指ではちゃっかり皮を最後まで剥いていた。虚しい見栄だ。

「・・・自分でよく見ろって言ったくせに」

「いいから、同じようにしてみろ」

「・・・は、はい・・・」

スカートをたくし上げるマリオンに、ガルヴァは思わずぎょっとする。

下着まで女性物だ。当然社会の窓など付いていないから、膝まで降ろして用を足す。

「あ。・・・やっぱ男、なんだな・・・」

マリオンの股には見慣れた物が付いていた。

もちろんまだまだ子供の物だが、そこはさすがガルヴァ。喉をゴクリと鳴らす。

「あ、あんまり見ないでください」

「わーったよ」

放尿を終えたガルヴァは、プルプルと振って滴を飛ばすと、微妙に体積を増したそれをズボンの中にしまい込む。

「えっと・・・大の方も・・・やっぱり・・・?」

「あ? そりゃ野グソに決まってんだろーが」

「うう・・・」

大袈裟に肩を落とし、マリオンは下着を穿いた。

「なんだ? クソしなくていいのか?」

「しません!」

プリプリ怒ってスカートのしわを伸ばす。

「まァ・・・なにはともあれ、まずはそのヒラヒラの服を何とかしねェとな・・・」

 

とりあえずガルヴァの替えの服を着せてもらった。

当然サイズなど合うはずがないから、だぶだぶだ。あちこちヒモで縛って何とかする。おまけに尻には尻尾を出す穴が空いている。

「動きにくい・・・」

「あのドレスよりゃマシだろ」

「そりゃそうですけど・・・なんか、臭いますよ、これ」

まず洗濯などされていないだろう。

「うっせ、ガマンしろ。街に着いたら、ちゃんとした服買ってやっから」

「はーい」

ガルヴァはバイクに括り付けてある荷をほどくと、中から革袋をとりだした。

それをポンとマリオンに渡し、

「オレぁテント張っから、おめェは水汲んできてくれ」

「水ですか? どこでです?」

「ちょっと行ったトコに川がある」

「はーい」

「気ィつけろよ」

「はい。・・・でも、追っ手は振りきったんですよね?」

「いや、追っ手じゃなくて、蟲にな」

蟲。アバドン、もしくはアバドンの使いと呼ばれる魔物の一種。

巨大な甲殻種の総称で、小さい物でも30センチ弱、中には5メートルを越すものもいるらしい。

マリオンは実物こそ見たことはないが、博物館で生物標本を見たことならある。あんなグロテスクな物が目の前に現れるのかと思うと、ゾッとした。

「お、脅かさないでくださいよ・・・」

「いや、この森にはいるんだ。知らなかったのか?」

「・・・ガルヴァさんが水汲み行ってください・・・」

「ダメだ。おめェテント張れねェだろ。甘えんな」

「そんなあ・・・」

「甘えんな」

もう一度ぴしゃりと言って、ガルヴァは自分の仕事に取りかかった。

マリオンは頬を叩いて気合いを入れると、おそるおそる一歩を踏み出した。

 

 

いくら気合いを入れても、怖いものは怖い。

あんな話を聞いた後では、木の根がムカデのように見え、足下の石ころが甲虫のように見える。

「うう・・・」

しかも周囲はすっかり夜。

何度もくじけて逃げ帰りそうになるが、ガルヴァの「甘えるな」というセリフを思い出し、歩みを進める。

やがて唐突に視界が開けると、小川に出くわした。

サラサラと流れる清流が月の光を照り返し、水の中を泳ぐ魚の鱗が時折キラリと光る。

「わぁ・・・もしかしてガルヴァさん、この景色をボクに見せたくて・・・」

買いかぶりすぎである。

ともあれ、マリオンは蟲の恐怖も忘れ、その幻想的とも言える光景に見とれていた。

しかし、それも一瞬のこと。

ガサリという音を聞きつけ、背筋を伸ばす。

辺りを見回してみるが、何もいない。しかし、物音がしたということは、何かが動いたと言うことだ。

・・・どうか、風でありますように・・・

祈るように水を汲み、ガルヴァの元へ戻った。

最後の方は完全に駆け足になっていた。

「はあ、はあ、ガルヴァさん、はい、水・・・」

「おう」

ガルヴァの方はテントを張り終え、火まで起こしていた。

今は銃器の点検中だったのか、小銃を組み立てている。

手早く動作確認をすると、マリオンから革袋を受け取り、代わりにその小銃を手渡した。

「・・・え? なんですか?」

「持ってろ」

「・・・で、でもこれ・・・人を殺す道具でしょう・・・?」

「人だけじゃねェ。動物も魔物も・・・天使も殺す道具だ」

ゾッとして手の中の拳銃を見つめる。

黒々とした銃身に映る炎の光が、血のように見えた。

「ボ、ボク・・・こんなもの撃ったことありませんよ」

「今のうちに慣れておけ。オレだっていつでも守ってやれるワケじゃねェ。自分の身は自分で守れ」

甘えるな。

言外に言って、ガルヴァはタバコに火をつけた。

マリオンはゴクリとつばを飲み込み、銃をポケットにしまい込む。

・・・どうか、使う機会がありませんように・・・

 

軽い食事を済ませると、睡魔が襲ってきた。

目をこするマリオンに気が付いて、ガルヴァがテントをあごでしゃくる。

「寝袋がある。もう寝ろ」

「はい・・・ガルヴァさんは?」

「オレぁもう少し起きてる」

荷物の中からお香をとりだし、たき火にくべた。

毒々しい色をした、妙なお香だった。立ち上る煙も、体に悪そうなピンク色をしている。

「なんですか? それ」

「あ、ああ。これは・・・蟲除けだ」

聞いたことがある。蟲の嫌いな煙を出して、連中を追い払う線香だ。

マリオンは安心してテントの中に入った。

中にはガルヴァの言うとおり、寝袋が一つだけ。

「ガルヴァさんはどうするんですか?」

「オレぁ毛布にくるまって寝るから大丈夫だ。いいから早く寝ちまえ」

「はい」

寝袋の中は、ガルヴァの匂いがした。

「・・・おやすみなさい」

聞こえなかったのか、返事はなかった。

 

 

マリオンは夢を見た。

そう、これは夢。

自分でもそう自覚しつつ見る夢。

夢の中で、マリオンは自分自身と対峙していた。

「やあ、マリオン」

姿形も、声も全くの同一。

ただ一つ、そこに浮かぶ表情だけが違っていた。

「・・・君は誰?」

マリオンが問いかけると、もう一人のマリオンはニヤリと不遜な笑みを浮かべた。

「ボクはキミさ」

「ボク・・・?」

「そうだよ。キミが儀式を途中で投げ出してしまったから、こんな形になってしまったけど」

「キミは・・・マテリエル・・・?」

そう気が付くと、もう一人のマリオン、天使マテリエルの背中に翼が生えた。

「ま、おかげでルファエルの支配も受けず、こうしてキミと話すことができるんだけどね」

「そんな・・・キミに・・・Iユニットに人格なんて」

「あるハズない? ま、本来はそうなんだろうね。・・・あのオッサンには感謝しないといけないかな」

「オッサンって、ガルヴァさんのこと?」

「そうだよ。実にいいタイミングできてくれた。これも『神様』の思し召しってヤツかな?」

マテリエルは翼をふるわせてクスクス笑った。

その仕草に戦慄を覚え、マリオンが一歩下がる。

「まあ、感謝はしてるけど、そろそろあのオッサンと付き合うのはやめにした方がいい」

「どうして!? ボクはこれからもガルヴァさんと一緒にいるよ!」

「おやおや、ちょっとやりすぎたかな。まさかあんなのに恋愛感情を抱いてしまうなんて」

「・・・! ボクは・・・! 別に!」

「そう。安心していい。その感情は、ウソだから」

「え?」

マテリエルの言葉が理解できず、マリオンは戸惑った。

感情がウソだなんて、そんなことあるはずがない。

「それに、あのオッサンはキミのこと、どう思っているのかな?」

「ガ、ガルヴァさんは・・・ボクと約束を・・・」

「まさか本気で『雪を見せてやる』なんて約束を守ってくれると思ってるの?

 大人はね、約束なんて守ってくれやしないよ。そんなのは子供に言うことを聞かせるための詭弁に過ぎない。キミだってそれくらいのこと、わかっているだろう?」

「そんなこと・・・」

マテリエルが音もなくマリオンに近づき、そっと耳打ちする。

「――そもそもあのオッサン、怪しいじゃないか」

怪しい? どこが・・・?

聞こうとしたとき、ガルヴァが二人の脇を通り過ぎた。

二人のことが見えないのか、全く気が付かない様子で歩き去っていく。

――ガルヴァさん!

呼ぼうとしたが、声は出ず、体も動かない。

「ま、あのオッサンが僕等に危害を加えるつもりなら・・・」

代わりに、マテリエルの言葉がマリオンの口を吐いて出た。

気が付くとマテリエルは消え、二人は一人になっていた。

「ボクとしても、容赦はしないけどね」

マリオンは銃を構えた。

先ほどガルヴァから手渡された、あの銃だ。

銃口はぴたりとガルヴァの背中に狙いを定める。

――危ない! 逃げて、ガルヴァさん!

「だからボクの邪魔はしないでくれよ。マリオン」

そう言って、マリオンは引き金を引いた。

 

 

「――!」

マリオンは弾かれたように飛び起きた。

痛いほど高鳴る心臓を押さえ、気を落ち着ける。

ひどい悪夢を見た。

どんな夢だったか思い出そうとすると急速に記憶は消えていき、思い出せない。

まるで手の平を砂がこぼれ落ちるかのように。

砂が全てこぼれ落ちた後、マリオンの手の平には一つだけ記憶が残った。

衝撃的なラストシーン。すなわち、自らの手でガルヴァを撃ってしまうという。

「・・・・・・っ」

額に手を当てると、寝汗でぐっしょり濡れた。袖でぬぐう。

額の宝石が手に触れて、マリオンはなぜかそれが無性に腹立たしかった。

なぜあんな夢を見たのか、想像は付く。

寝る前に銃を手渡されたからだろう。あのずっしりとした重量感は、自分で思っていた以上にショックだったらしい。

それにもしかしたら・・・

自分は、同族殺しであるガルヴァを、心のどこかで・・・

「違う」

頭によぎった疑問を即座に否定する。

確信が欲しくて隣を見るが、ガルヴァの姿はなかった。

毛布が乱れているところを見ると、今まで寝ていたのだろう。

「・・・ガルヴァさん?」

時間はおそらく深夜を回っている。こんな時間にいったいどこへ・・・

毛布に手をふれてみると暖かい。ガルヴァのぬくもりが残っている。

そのとき、ガサリと音がしてテントがへこんだ。ガルヴァが戻ってきたのだ。

「ガルヴァさん?」

ごそごそとまさぐるように、テントを外から押している。

「寝ぼけてるんですか? 入り口は反対ですよ」

仕方ないなあ、と言ってマリオンはテントを出た。一刻も早くガルヴァの顔を見て安心したかったせいもある。

「ガルヴァさん? こっちが・・・」

マリオンの言葉は続かなかった。

相手はガルヴァではなかった。

物音の正体は、体長1メートルはあろうかという甲虫。アバドンと呼ばれる魔物だったからだ。

蟲はその複眼の全てにマリオンを捉えると、鋭い顎をぎちぎちと鳴らし、一歩踏み出した。

「――ひぃっ!」

腰を抜かし、尻餅を付く。

蟲は六本の足を交互に動かし、ゆっくりとマリオンに迫った。

「たっ、たす・・・助けて! ガルヴァさん!」

恐怖に顔を引きつらせながら、マリオンは大声で助けを求めた。

自分では大声を出したつもりだったが、声はかすれ、響かない。

もう一度叫んだが、結果は同じだった。

もしかしたら、ガルヴァもこの蟲にやられてしまったのかもしれない。

蟲が迫る。もうダメだ、とマリオンがあきらめて堅く目を閉じたとき、救いの声は蟲の背後から聞こえた。

「・・・んだよ、うるせェな・・・。クソくらいゆっくりさせろ・・・って、うおっ!」

ガルヴァだ。

よかった、無事だった!

さすがのガルヴァも蟲の出現には驚いているようだが、取り乱しはしていない。

「ガ、ガルヴァさん・・・たす・・・助け・・・」

「わあってるよ」

つかつかと蟲に歩み寄り、その腹を短い足で思い切り蹴飛ばす。

蟲はギイ、と不快な鳴き声、いや、音を立てて吹っ飛び、空中で翅を広げて体制を整えた。鱗粉のようなものがキラキラと飛び散ったが、とても綺麗だとは思えなかった。

「ったく・・・安物はダメってことかぁ?」

虫除けのお香のことを言っているのだろうが、マリオンには何のことだかわからなかった。ただ歯をがちがちと鳴らして、震えていることしかできない。

ガルヴァは手早くテントの中に手を伸ばし、マシンガンを取り出した。

狙いを定めるまでもなくトリガーを引く。

たたたたたたっ、と軽い音がして弾丸が蟲の甲殻を穿った。

変な色の体液が飛び散ってマリオンが思わず頭を抱える。それが功を奏したのか、幸い体液はかからなかった。

「・・・・・・」

射撃を止め、ガルヴァが様子を見る。

蟲の足が動いたのを見て、もう一度トリガーを引いた。

今度こそ、蟲は動かなくなった。

「オイ、もういいぞ。死んだ」

マシンガンを肩に担ぎ上げて、ガルヴァ。

マリオンがおそるおそる顔を上げ、振り返る。恐ろしい蟲の死骸が目に入り、またも小さな悲鳴を上げた。

「・・・男のくせに情けねェ声出すんじゃねェよ」

「だ、だって・・・」

自分だって屋上から落ちそうになったとき、似たような悲鳴を上げたのだが、もちろんそんな都合の悪いことは忘れている。

「あの蟲はたいしたヤツじゃねェ。近づいても、蹴飛ばしゃ逃げてく」

こともなげに言うが、マリオンにはとてもできそうにない。

「・・・ったく。腰まで抜かしやがって。世話かけさせんじゃねェよ」

ガルヴァはマリオンに手をさしのべ、引っ張り起こした。

マリオンはそのままガルヴァの太い腹に抱きつき、泣き出してしまう。

「お、おい・・・なにも泣くこたねェだろ」

ガルヴァはオロオロしていたが、やがてため息を一つ吐いて、マリオンの頭を優しく撫でた。

「・・・怖い目に遭わせて悪かったな」

「・・・・・・」

しゃくり上げながら、マリオンは首を振る。

「もう寝ろ」

「・・・ガルヴァさんは・・・?」

「オレも寝る。今度はずっと一緒にいてやるから、安心しな」

ガルヴァは荷の中から新しい香をとりだし、たき火の残り火にくべた。

おそらく今度の蟲除けは高級品なのだろう。先ほどのものと形が違った。漂ってくる匂いも煙も違う。

最初からそれを使ってくださいよ、と言おうとしたが、歯の根が合わず、うまく文句を言えなかった。

「ホラ、とっとと寝ちまえ」

「は、はい・・・」

テントの中に戻るマリオン。

ガルヴァは、それを見送って、

「・・・怖い目に遭わせて悪かったな・・・」

無感情な瞳でもう一度呟いた。

 

 

翌日。

タンデムシートのマリオンはガルヴァの背中にしがみつき、寝息を立てていた。

結局昨夜はあまり寝られなかったからだ。

蟲の恐怖もさることながら、悪夢の続きを見るのが怖かった。

しかし、バイクの振動は心地よく、すぐ眠りに落ちてしまった。ガルヴァに抱きついている安心感からか、悪夢も見ずに済んだ。

「・・・オイ。起きろ」

運転しながら、ガルヴァが不機嫌そうに言う。

「・・・え? あ、おはようございます」

「おはようじゃねェよ。人に運転させておいて、自分だけグースカいびきかきやがって」

「ご、ごめんなさい。昨夜、あんまり寝られなくって・・・」

「まァいい。ホラ、見てみろ」

ガルヴァに言われて初めて、周りの景色が変わっていることに気が付いた。

目の前には水辺が広がり、陽の光をキラキラと照り返している。

最初、それが何かわからなかったが、すぐに海だと気が付いて顔を輝かせる。

「わあっ・・・。海だ! 海ですよ、ガルヴァさん!」

「海じゃねェよ。これァ湖だ」

言われてみれば、対岸が見える。

それでもマリオンにとっては十分すぎるほど新鮮な光景だった。

「湖かあ。これが・・・。綺麗ですね!」

「ああ、まァな」

純白の砂浜。異常なほど透明度の高い水。

不思議なことに、植物の類は見られない。だから余計に神秘的に映った。

「これが湖・・・。なんて言う湖ですか?」

「・・・知らねェのか? ここはな、クリステラってんだ」

「へえ・・・クリステラ湖、ですか。・・・ホントに水晶みたいで綺麗な砂浜ですね!」

ガルヴァは「ホントに知らねェみてェだな」と呟き、スロットルを閉じた。

「・・・ちょっと寄ってくか?」

「いいんですか!?」

「ああ」

湖岸に降りてバイクを止める。

マリオンが待ちきれないように飛び降りて、砂浜まで走った。

「・・・? 砂じゃない・・・?」

「・・・ああ。・・・塩だ」

「塩?」

手近な塊を拾い上げ、割ってみる。

こぼれた結晶をおそるおそる舐めてみると、確かに塩だった。植物が生えていないわけである。

「不思議ですねー」

「・・・何も聞かされてねェのか?」

「はい? 何がですか?」

ガルヴァはすぐには答えず、タバコを取り出して火をつけた。大きく煙を吸い込んで、はき出す。

「・・・ここはな、昔・・・そうだな、15年くれェ前か。その頃は、街だったんだ」

「街? ここが?」

「ああ。ま、そこそこ活気のある、大きな街だったよ。・・・ホーリークライシスで滅びるまではな」

「え・・・」

ホーリークライシス。

神聖科学と呼ばれるロストテクノロジー、その暴走によって起こる、未曾有の大惨事。

規模はまちまちだが、小さなものでも街の一区画、大きなものでは大陸の形が変わるほどの惨劇を引き起こす。

「じゃあ、この湖って・・・」

「ホーリークライシスの爆心地だ」

マリオンが言葉をなくす。

そんなマリオンの様子を横目で見て、ガルヴァは続けた。

「目撃者の話じゃ、巨大な黒い蛇が、一晩のうちに建物も人も、地面すら塩に変えちまった、って話だ」

「巨大な黒い蛇・・・」

「聞いたことねェか?」

「・・・ありません。ボク、天使の科学のことはほとんど知らされていませんから・・・」

「そっか」

フィルターまで吸ったタバコをぷっと吐き捨て、ガルヴァは歩き出した。

「よし、休憩終わり。行くぞ」

 

 

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