6 サウンド・オブ・サイレンス
今ここに、一人の虎人がいた。
向かい傷のガルヴァ・ウォーレス。
大剣を背負って大型のバイクに跨り、天を衝く教会を見据えるその様は、さながら風車のドラゴンに立ち向かわんとするドン・キホーテか。
時計の針が揃って真上を指し、教会から荘厳なる鐘の音が響き渡る。
「・・・しゃあねェ、仕事すっか」
くわえていたタバコをぷっと吐き捨て、キックを踏み下ろしてエンジンをスタートさせる。
そのまま周囲の確認もせず車道に飛び出し、スロットルを開くと、バイクは轟音を轟かせてスピードを上げた。
セントリリア中央教会。その大聖堂。
普段は(一部の金持ちにのみ)結婚式用に解放されているチャペル。
ここで、今まさにマリオンの儀式が執り行われようとしていた。
パイプオルガンが聖歌を奏で、燭台に灯された炎が揺らぐ。
この儀式に参列できるのは教会の上部に位置する人間のみ。だというのに、参列席はほぼ満席だった。
なにしろ本物の天使を拝めるというのだから、無理もない。
天使が人に文明を授ける場面を描いたステンドグラス。
その真下に立つのは、枢機卿が一人、グレゴリー・ザン・ゲインズブールだ。
傍らにはルファエルがやれやれといった、やる気のない態度で立っている。
「これより、天使マテリエルの解放儀式を行う」
扉が開き、純白の衣装に身を包んだマリオンが現れると、参列者が息を飲んだ。
さながらウェディングドレスだ。マリオンの顔はヴェールに覆われており、表情まではわからない。
衆人環視の中、一歩一歩着実にバージンロードを進み、マリオンはルファの目の前まで来た。
「天使マテリエル、汝、天使ルファエルにその祝福をもってして付き従う事を誓うか。異議無きときは沈黙をもって答えよ」
「・・・・・・」
マリオンは俯いたまま、答えない。
「天使マテリエルに、大いなる福音を与える」
ルファエルがマリオンのヴェールを上げた。
マリオンの瞳は青く濁り、輝きを失っていた。それはまさに、ウルズエルと同じように意志の力を感じられない瞳だった。
ルファエルが手をかざし、言う。
前髪を上げられたマリオンの額には小さな宝石が埋め込まれており、その宝石がわずかに輝きを増した。
キィィィィン、と耳鳴りのような音が響き、音量が増すに比例して宝石の輝きも増していく。
――バサアッ。
マリオンの背に、純白に輝く光の翼が現れて、参列者が思わず声を上げた。
「イニシャライズ開始。・・・拡張領域解放。・・・倫理行動限界解除・・・」
ルファエルのインストラクションに応じて、マリオンの精神構造が書き換えられていく。
ふいに、マリオンの瞳から涙がこぼれた。
意識など無いはずなのに。
ルファエルがわずかに眉をひそめたその時。
大きな声が聖堂にこだました。
両開きの扉を大きく開け放ち、陽光を背にした丸いシルエット。
肩で息をしながら、ガルヴァは顔を上げた。
鋭い眼光がルファを射抜く。
「・・・貴様、なんのつもりだ?」
「マリオンは返してもらう。・・・そいつとは、ちょっとした約束があるんでね」
「ガルヴァ・ウォーレス。・・・蛮族が」
ルファがその名を口にしたとき、マリオンに変化が現れた。
「・・・ヴァ・・・さ・・・ん・・・」
「なに? 意識が・・・!?」
驚愕の表情でマリオンを見るルファ。
濁った瞳に、意志の光が宿っていく。
「――ガルヴァさん!」
「来いっ! マリオンッ!」
「――はいっ!」
ドレスを翻し、マリオンが走り出す。
そして、二人の手が結ばれた。
「バカな・・・! 意識が戻るなど・・・!」
「悪ィな! この花嫁は男を見る目がねェんだ!」
マリオンを背中に隠し、ガルヴァがマシンガンを構えてトリガーを引く。
弾丸はステンドグラスを打ち抜き、色とりどりの光のシャワーを降り注がせた。
「うわーっ!」
「キャーッ!」
悲鳴を上げて参列客が出口に殺到する。
おかげで、護衛の武闘僧達は二人までたどり着けずにいた。
「あ、はいっ」
いち早く大聖堂を抜け出した二人は、パニックに陥る参列客を後目にバイクに跨った。
タイヤを軋ませながら、大型のバイクが疾走する。
マリオンのヴェールが風に飛ばされ、舞った。
「・・・チッ。だから原住民の習慣など無視してしまえと言ったのに」
「は、はあ・・・。まさか、こんな事になるとは・・・」
額の汗をぬぐうフリをしながら、グレゴリーは恐縮してみせる。なかなかのタヌキだ。
「・・・まあいい。ウルズエル!」
ルファが天に向かって呼びかけると、そこから天使が舞い降りる。
まさにステンドグラスから抜け出してきたかのように。
「自律行動を許可する。マテリエルを連れ戻せ」
「・・・はい」
ウルズエルが声を出して答え、顔を上げた。
その瞳には、強い意志の光が宿っていた。
「連れの男は殺せ」
「・・・はい」
翼を広げ、ウルズエルが飛び立つ。
無惨に割れたステンドグラスの合間から空へ昇ると、きっ、と顔を向け、飛び去っていった。
「ガ、ガルヴァさん! スピード違反! スピード違反!」
虎人の太い身体に必死でしがみつきながら、マリオン。
「バカ野郎! こんな時にまでお行儀のいい事言ってんじゃねェよ!」
怒鳴り散らし、さらにスロットルを開く。
エンジンが咆吼を上げ、バイクはさらに加速した。
マリオンのドレスが風にたなびき、バタバタとやかましい音を立てた。
「っつーか、なんて格好してやがる!? やっぱおめェ、女なんじゃねェのか!?」
「違いますよ! 気が付いたらこんな服着せられていたんです!」
「なんだ、そういう趣味じゃねェのか」
「違います!」
「・・・似合ってっけどな」
「え? なんて言いました?」
なにしろ猛スピードで疾走するバイクの上だ。
大声で話さないと声は届かない。
「ねえ、ガルヴァさん! いまなんて!?」
「うっせェよ! 聞こえてただろうが!」
顔を赤くして怒鳴る。
バイクはやがて橋に差し掛かった。
セントリリアのはずれに流れる一級河川。
工場の排水で赤く濁ったその川を跨ぐ、大きな橋だ。
「・・・チッ」
スピードを落とし、ハンドルを切る。
車体を横滑りさせて、バイクは止まった。
「・・・ガルヴァさん?」
そのわけを聞くより早く、空から天使が舞い降りた。
ズシン、と重い塊を落としたようにアスファルトに降り立つ純白の天使。その足下が放射状に凹んだ。
「・・・ダイエットした方がいいぜ? 姉ちゃん」
「あなたに言われたくないわ」
翼を広げてウルズエルは言う。
まさか言葉を話すとは思っていなかったガルヴァは、正直面食らった。
それもなかなか可愛らしい女の子の声だったので、なおさらである。
「・・・ウルズエル!」
「マテリエル。バカな真似はよして。帰るわよ」
「・・・い、いやです! ボクは、ガルヴァさんと一緒にいたい!」
呆れたように首を振って、ウルズエルは言った。
「あなたはこの星の人間ではないのよ? ・・・いいえ、そもそも人間ですらないの。受け入れてもらえるわけが無いじゃない」
「・・・っ・・・そ、それでも・・・ボクは・・・っ」
マリオンの言葉を遮ってガルヴァはバイクを降りた。
「姉ちゃん、案外おしゃべりだったんだな。オレぁてっきり口が利けないのかと思ってたぜ?」
「現在は自律行動を許可されていますから。ですが、あなたと話す事は何もないわ」
「つれねェな。そう言わず一つ教えてくれよ」
マシンガンを構え、ガルヴァは眼光鋭くウルズエルを睨み付けた。
「知らないわ。原住民の事なんて」
「そうかい」
たたたたっ。
なんの前触れもなく、マシンガンが火を噴いた。
しかし、その弾はウルズエルに届くことなく軌道を変えられ、あるいはあさっての方向へ、あるいは足下のアスファルトにめり込んで消えた。
「・・・んな、アホな」
思わず顎を落とすガルヴァ。
ウルズエルはまるで動じることなく一歩踏み出した。
再びマシンガンが火を噴いた。
しかし、弾丸はまるで空気の壁に遮られているかのように、いずれもウルズエルには届かない。
「ちょっと待て。汚くねェか? それ」
マガジン一つ空になるまで撃ち尽くして、ガルヴァがぼやく。
「仕方ないじゃない。あなた達の原始的な兵器じゃ、あたしたちには傷一つ付ける事は出来ないわ」
「あたしたち」を強調してウルズエルは言う。
そう、そこにいるマリオンも「こちら側」の存在だと言わんばかりに。
「ウルズエル・・・見逃して、下さい」
「出来るわけない。あなた、自分の立場が理解できているの? 世界の運命を託されているのよ? 管理されていないIユニットが星にとってどれほど危険か、わかっているの?」
「・・・わかっています・・・必ず、戻りますから、今は・・・」
戻る?
せっかく連れ出してやったのに、戻るつもりなのか?
ガルヴァはマリオンの肩を抱き寄せた。
「冗談じゃねェ。おめェは誰にも渡さねェよ」
「ガルヴァさん・・・」
思わず頬を染めるマリオン。
「・・・悪いけど、その子、男の子よ?」
「それがどうした。・・・そもそも性別とか歳の差とかいう以前に、オレ達ゃ異星人なんだろ?」
「それもそうね」
肩をすくめて、ウルズエルは説得を諦めた。
「どちらにしろ、あなたは殺すように言われているから」
すっと手を差し伸べると、そこに炎が生まれた。
呪文も無しに。
「いけない!」
翼を広げてマリオンが立ちふさがる。
伸びた炎は祝福の壁に遮られ、左右に分かれてかき消された。
「マテリエル!」
「ガルヴァさんを殺すなんて・・・絶対させない!」
睨み合う二人の天使。
風が吹き、マリオンのドレスが翻った。
そんな二人の間に、ガルヴァが性懲りもなく割って入った。
「マリオン、おめェは退いてろ」
「え、でも」
「おめェじゃ、アイツは殺せねェだろ?」
「い、いえ、・・・ボクの方が、位は上です・・・」
「出力だけで言えば、ね。でもあたしは戦闘に特化して調律されているのよ? いくらアンリミテッドとはいえ、ブランクのあなたに遅れは取らないわ」
「そうじゃねェよ。なんつーかその、力とか位とかじゃなくてよ。おめェは優しすぎるんだ」
バイクに括りつけられていた大剣を外し、ガルヴァが構える。
飛び道具がダメなら直接攻撃で。短絡的な思考である。
「で、でも・・・!」
「まあ見てろ。・・・伝説の賞金稼ぎの実力、とくと拝ませてやる」
巨大な剣をぴたりと正眼に構え、ガルヴァの短い足が大地を蹴った。
目にも止まらぬ早さだが、いかんせん相手が悪い。
剣先は見えない力に当てられ、まるで磁石の同極が反発するかのように軌道をそらされる。
「チッ。剣でもダメかよ!」
アスファルトを穿った剣先を持ち上げ、すくい上げるように剣を振る。
その太刀筋が、ウルズエルの生み出した炎の弾を真っ二つに切り裂いた。
「あぶねェ、あぶねェ」
軽口を叩きながら、ガルヴァは大剣を振るう。
常人なら持ち上げる事がやっとの重量を軽々と振り回す様子は見事だが、当たらないのでは意味がない。
「もういい。伝説の賞金稼ぎとやらの実力は充分拝ませてもらった」
「そうかい?」
きんっ、と硬い音を残してガルヴァは飛び退いた。
コロコロと転がるそれは――手榴弾。
「!」
――ドォンッ!
爆音が轟き、衝撃波の風が吹き荒れる。
「なっ、なんてムチャを・・・!」
「バカ野郎、バケモノ相手だ。多少のムチャは大目に見ろ」
同類をバケモノ呼ばわりされて一瞬だけマリオンの顔が曇ったが、一瞬だ。
次の瞬間には険しい顔で燃え上がる爆心地を睨み付けていた。
渦を巻く炎が、中から吹き散らされる。
「・・・雑魚め・・・やってくれたな・・・!」
大きく翼を広げたウルズエルの瞳は、怒りに青く燃えていた。
翼で身を守ったとはいえ、無傷では済まなかったらしい。
「ヘッ。自慢の祝福とやらも、爆発には効きめがねェみてェだな」
「・・・猿知恵を・・・!」
サル? サルってなんだ?
脳裏をよぎる疑問をうち消し、剣を構え直す。
手榴弾は残り4コ。
しかし、思ったほどの効果はなかった。不意打ちでなければダメージも通らないだろう。
「ガ、ガルヴァさん・・・に、逃げた方が・・・」
震える声でマリオン。
「逃がすわけが・・・無いっ!」
地面からわずかに浮いて、ウルズエルが迫る。
ガルヴァはそれを剣で迎え撃とうとして・・・やめた。
とっさに身を躱す。
ボゴッ、と鈍い音を立ててアスファルトがえぐられた。
「・・・!」
ウルズエルの右手が、地面に大きなクレーターを作っていた。
直感に身を任せ、躱して正解だった。あれをまともに受け止めていたら、無事では済まない。
「ウルズエルは本気です! 逃げて!」
「つっても・・・!」
相手は空を飛んでいる。
足の遅いガルヴァでは逃げられる道理がなかった。
必殺の威力を秘めた華奢な腕。
ガルヴァはそれを躱すのが精一杯だった。
とても手榴弾のピンを抜く猶予など与えてもらえない。そもそも接近戦で使えば自滅するだけだ。
「!」
ドンッ、と背中に橋の鉄骨が当たる。
――避けきれない。
仕方なくガルヴァは剣を構え、ウルズエルの腕を受け止めた。
ギシッと大剣が軋み、中程からへし折られる。
「っ!」
「捕まえたっ!」
「――こっちもな」
大きく腕を振り上げるウルズエルを、睨め上げるガルヴァ。
その手には、いつの間にか小銃が握られていた。
「――!」
この至近距離で撃てば、いくら祝福の壁が厚かろうと直撃は免れないはず。
たたっ!
銃口が火を噴き、飛び出した3発の弾丸はいずれもウルズエルの身体に命中した。
彼女はバランスを崩し、それでも腕を振り下ろす。
腕はガルヴァのこめかみのあたりを掠めて彼の毛皮を引き裂いた。
「ガルヴァさんっ!」
「ハァッ、ハッ・・・油断したな、姉ちゃん・・・」
流れる血に視界を塞がれながら、ガルヴァが言う。
「――確かにね」
しかし、ウルズエルは倒れなかった。
数歩後ずさっただけで、きっ、と顔を上げる。
「な・・・! バカな・・・直撃のハズだ!」
「直撃よ。致命傷だったでしょうね。・・・相手が人間ならね」
「バケモノめ!」
再びトリガーを引くが、当たらない。
ほんの少し距離を置いただけで、銃弾はまったく無力化されてしまう。
手榴弾を投げつけてみるも、ウルズエルのテリトリーに入った瞬間に跡形もなく「消滅」してしまった。
「!?」
「もう油断はしないわ」
翼を伸ばし、ガルヴァの身体を包み込む。
純白の翼は巨大な手となってガルヴァを握りしめた。
「クッ! クソッ!」
逃れようともがくが、もちろんそんな事で翼は解放してくれない。
それどころか、万力のように締め上げてくる。
「ぐあ・・・っ!」
悲鳴すら声にならない。
全身の骨が軋み、ガルヴァは咳き込んだ。
その口から、血の塊が吐き出された。
「さようなら」
「・・・や、やめて・・・!
――やめてえええええっ!!」
その声が波になって走り抜けると、ウルズエルの翼が弾けた。
「!?」
粒子となって昇華していく、天使の翼。
ガルヴァの身体が、ドサリと地面に落ちた。
「Iユニットが・・・! これは・・・歌!?」
人の耳には届かない、天使の歌。
その歌声が、ウルズエルの祝福をかき消していた。
力を消されたウルズエルの膝が折れる。
「――やめなさい、マテリエル! あなた、自分が何をしているか、わかってるの!?」
狼狽するウルズエルのこめかみに、硬いものが押し当てられた。
銃口。
流血に片目を塞がれた虎人が、感情のこもらない瞳で見下ろしている。
「――!」
顔色を変える、二人の天使。
バッ。
赤い河に架かった橋の上に、真紅の花が咲いた。
ウルズエルの遺体が、風に溶けていく。
「・・・なんだ、こりゃ・・・」
見下ろすガルヴァが、誰にともなく呟いた。
「ボク達は・・・この世に存在しない物でできていますから・・・」
青ざめた顔で、マリオンが答える。
自分のしでかした事の重大さに、今更ながら怯えているのか。
「・・・死んだら、死体も残らねェってか」
「・・・はい」
やがて風に吹かれた灰の中に、一つの宝石が残った。
ウルズエルの額に埋め込まれていた、天使の本体。
拾い上げようとしたガルヴァに、マリオンが続ける。
「・・・ボク達の情報はIユニットに記録され、次の天使へと引き継がれます」
「これが、Iユニット?」
「ええ。今はクリプトビオシスに入っていますが、生きています」
手の中で輝く小豆大の宝石。
とてもじゃないが、生物には見えない。
「これを付ければ、オレも天使になれるのか?」
「なれませんよ。この星の人間にIユニットが適合することはありません」
「フーン・・・」
とりあえず、ガルヴァはそれをポケットにしまい込んだ。
頬を伝う血に気付き、バイクまで歩く。
「・・・行くぞ」
頭に包帯を巻きながら、ガルヴァ。
「・・・あ、いま回復の歌を・・・」
「いい。追っ手が来ねェウチに街を出る。アイツも、まさか天使が返り討ちにあったなんて思ってねェだろうからな」
「・・・ルファさんは・・・気付いています。・・・管理者ですから」
「そうか」
バイクに跨ってエンジンをかける。
「乗れ。・・・それとも、帰るか?」
もちろん帰すつもりなど無いが、ガルヴァは訊いた。
マリオンは、すぐに答えられずに俯いた。
同胞であるウルズエルを、表情一つ変えず撃ち殺したガルヴァ。それほどまでに彼の天使への憎悪は深い。そして、その矛先は、いつ自分へ向けられるかわからない。
いや、もしかするとすでに・・・。
ガルヴァにとって自分は、他の天使をおびき出す「生き餌」に過ぎないのかもしれない。
でも、それでも。
迷いを断ち切ってマリオンは顔を上げた。
「・・・ボクは・・・ガルヴァさんと一緒に行きたい」