ダウンタウンボーイ 前編
「霧島? ・・・おい、霧島はどうした?」
先生に尋ねられ、俺は肩をすくめた。
「さあ? どうせまた遅刻じゃないですか?」
「またか。・・・アイツ、なに考えてるんだ・・・」
ため息をついて、先生は点呼を再開した。
誰も気に留めない、いつもの風景。
ウチのクラスには、毎日必ず遅刻をしてくる不良生徒がいた。
名前は霧島哲平(きりしまてっぺい)。あだ名は番長。
俺と同じ犬人で、毛色は茶。体格がいい上に目つきが悪く、そのうえ左眉毛の上に大きなキズがあってさらに印象を悪くしている。成績は下の下。なぜ留年しなかったのだろうと、俺は密かに舌打ちしていた。
俺の名前は遠野修二(とおのしゅうじ)。犬人で、毛色は白に近いグレー。眼鏡をかけている、という事以外にこれと言った特徴はない。よって、あだ名も無し。
といっても、このクラスに俺の事を名前で呼ぶヤツはいない。なぜなら・・・
「おーい、委員長」
これがその理由。
自分で言うのもなんだが、成績優秀で人当たりのいい俺は、一年の頃からクラス委員長を務めていた。
「ん? なに、コースケ」
俺を呼んだのは、クラスメートの稲葉山浩介。通称コースケ(そのまんまだ)。
成績は中の下。だが、お調子者で陽気な性格の彼はクラスの人気者だ。彼女ができたとの噂だが、最近大人びて見えるのはそのせいだろうか。
「ほらこれ、この間のプリント」
コースケはそういって俺にプリントを渡してきた。
修学旅行のアンケートだが、彼だけ忘れてきて提出が遅れていたのだ。
「はい、ごくろーさん」
「やれやれ、やっと肩の荷が下りたよ」
「大袈裟だな」
俺は机の中からクラス名簿を出して、コースケの名前にチェックを入れた。
「もしかして俺が最後だった?」
「実質的にはね」
「?」
首を傾げるコースケに、シャーペンの背で名簿を指す。
霧島哲平。
チェックの付いていない生徒は、彼一人だった。
「ああ、番長か。・・・おーい、番長ー!」
「いいよ。どうせ提出しないだろうし・・・」
振り向くと、いつの間に登校してきたのか、霧島が自分の席で居眠りしていた。
彼は授業中いつも寝ていて、休み時間になるとまた寝る。
居眠りに厳しい三沢先生の授業はサボって、たぶん屋上あたりで寝ている。
アイツ、学校をなんだと思っているんだろう?
わざわざ遅刻までして寝に来るくらいなら、いっそ来なければいいのに。そのほうがクラスのためだ。
「いいのか?」
「いいよ」
俺はトントンとプリントを束ねると、机にしまった。
ちなみに、俺の席は最前列。霧島の席は最後列。
だから授業中はもちろん、休み時間も滅多に顔を合わせない。
多分、アイツは俺の事を知らないんじゃないだろうか。もちろん、あんな不良に知って欲しいと思わないけど。
そう。
まあ、だいたいわかると思うけど。
俺はアイツが嫌いだった。
・・・いや、好きとか嫌いとか以前に、無関心。いてもいなくても同じ。どちらかといえば、クラスのためにいなくなって欲しいな、くらいにしか思っていなかった。
あの事件が起きるまでは。
陽気も良くなってきて、新しいクラスにもすっかりなじんだある日のことだった。
――霧島が、暴力事件を起こして停学処分を受けた。
数人の大学生相手にケンカを仕掛けて、うち一人を病院送りにしたらしい。
起きるべくして起きた、当然の事件。
なのだけど、クラスメートが停学になるなんて事態は、俺の学園生活の中で初めての出来事だった。
クラスの面汚しだ。
これを機会に、アイツ学校辞めてくれないかな。
俺はアイツの事が大嫌いになった。
その次の日の事だ。
「遠野」
帰りのホームルームが終わって、帰り支度をしていると、担任の先生が声をかけてきた。
「はい?」
「この間のプリント、まだ提出してないのがいるんだが」
「え」
霧島の事だ。
「期限、今週までなんだ。悪いけど、取りに行ってもらえないか?」
「げ、マジですか!?」
「霧島はしばらく自宅謹慎だろ? あれ提出してもらわないと、修学旅行の班決めにも困るしな」
しまったな。
こんな事ならあの時、無理にでも提出させておくべきだった。
俺は後悔したけど、後の祭りだ。
イヤとも言えず、俺は仕方なく頷いた。
「これ、アイツの住所。・・・悪いな、面倒かけて」
「いえ。これが俺の仕事ですから」
そう。仕事だから仕方ない。
俺は自分にそう言い聞かせて、先生から霧島の住所を受け取った。
聞いた事のない住所だった。もっとも、俺は寮生活で、この辺は地元じゃないから、当然なんだけど。
アイツと顔を合わせるのは非常に不愉快だったけど、これも仕事だ。
っていうか、アイツ、修学旅行来るつもりなのかな。不良のクセに。
来たとしても、どうせバスの中では寝てるだけだろうし、自由行動になっても班の人に迷惑をかけるだけだろうし、旅行先でケンカでもして、クラスどころか学校の評判さえ落としかねない。
いっそ、プリント未提出で修学旅行参加不可、とかにしちゃえばいいのに。
俺は道すがら、そんな事ばかり考えていた。
さっきも言ったけど、俺は寮暮らし。
学校から徒歩10分という、非常に快適な学園生活を送っている。
それに引き替え、霧島の家は遠かった。
まず学校から駅まで徒歩20分。
そこから電車で10分。
ローカル線に乗り換えてさらに20分。
快速も止まらない小さな駅に放り出されて、そこから徒歩30分。
電車の待ち時間や道を調べていた時間を含めれば、ゆうに90分を超える。
登校時間、90分だと?
ふざけているとしか思えない。ぶっちゃけ、ありえない。
1時間半もあれば、新幹線でナニワからオワリまで行ける。
「そりゃ、遅刻もするよ・・・」
口に出してから、考えを改めた。
それは違う。
家が遠いからって、遅刻していい理由にはならない。
家が遠ければ、もっと早く起きるだけの話・・・って、もしかしてアイツ、毎朝俺より早く起きてるんじゃ・・・?
霧島がだいたい登校してくる時間から逆算すると、そうなってしまう。
だから授業中寝てるのかも・・・って、いやいや。朝起きるのが早いからって、授業中寝ていい理由にはならない。
「まったく・・・これだけ遠かったら、普通寮に入るだろうに・・・」
何か理由でもあるのかな。
まあ、あんな不良に寮での暮らしまでかき乱されたらたまらないけど。
っていうか、これだけ苦労してもし霧島が家にいなかったら・・・。
そう思ってゾッとした。
今更だけど、あんな不良が自宅謹慎といわれて家でおとなしくしているわけがない。
留守にしている可能性は大なのだ。
「うわあぁぁ、最悪・・・」
まったく、アイツはどれだけ他人に迷惑をかければ気が済むんだ。俺が何かしたのかよっつーの!
汗だくになりながら住所の所まで来ると、果たしてそこに霧島の家はあった。
庭付きの一軒家だが、ずいぶん古い。築20年は下らないだろう。
表札には「霧島」とある。間違いなさそうだ。
俺は深呼吸を一つして、祈るように呼び鈴を鳴らした。
ピンポーン、ではなく、ブブーッとブザーのような音がして面食らった。
「・・・・・・」
やっぱりいない、のだろうか・・・。
これから、今までの道を帰るのかと思うと、泣けてきた。
しかし。
「・・・はーい・・・」
中から人の声。
若い。霧島・・・だろうか。
そういえば、俺はあいつの声を知らない。会話をした事がないのだから、無理もない事だが。
ガラッと引き戸の玄関が開かれ、声の主が姿を現した。
体格のいい、茶色い犬人。厳つい顔に眉毛の上のキズ。
霧島だ。
今はそのほかにも痣がある。きっと例の大学生とのケンカの時にできた痣だろう。
なんていうか、えーと・・・。いや、正直に言おう。
怖かった。
「・・・あれ? おまえ・・・」
「ああ、俺・・・」
同じクラスで委員長をやっている、遠野修二って言うんだけど・・・
自己紹介をしようと口を開いたとき、タッチの差で霧島が言った。
「遠野か?」
驚いた事に、霧島は俺の名前を知っていた。
いや、クラスメートだから不思議な事ではないのだけれど、俺と霧島の接点のなさを考えれば、これは奇跡に近い。・・・まあぶっちゃけ、こんな不良に名前を覚えてもらっても、ちっとも嬉しくないのだが。
それでも、おかげで間抜けな自己紹介はしなくて済んだ。
俺の事を知っているなら話が早い。とっとと用件を済ませて帰ろう。こちとらにはこのあとまた90分の強行軍が控えているのだから。
「修学旅行のアンケート。取りに来た」
「は? ・・・わざわざ?」
「そう。わざわざ。アレがないと先生が困るんだってさ」
そうでもなければ、誰がお前の家なんかに。
そう言いたいのをグッと堪え、俺は手を差し出した。
「まあ、とりあえず上がれよ」
「いいよ、別に」
「でもすげえ汗だぜ? このクソ暑い中、ボタンも外さずに歩いてきたのかよ?」
「・・・そんなだらしない恰好で歩けるか」
俺は普段から、全てのボタンどころか、ホックもキチンと留めている。
対して霧島はボタン全開。プラスチックの襟も外してしまって、いつもだらしなく赤いシャツを覗かせていた。
「いいから上がってけよ。ジュースくらい出すぜ?」
「・・・長居はしないぞ」
別にジュースに気を取られたワケじゃないけど、あんまりしつこく勧めるモンだから、俺は頷いた。
「おう」
にかっと笑って霧島は家の中に消えた。
・・・へえ。アイツ、笑うんだ。
当たり前か。でも、だけど、俺はこの時初めて霧島の笑顔を見た。
「・・・別に怖くないじゃん・・・」
霧島の部屋は二階だった。
畳敷きの和室だけど、部屋にはベッドが置かれている。
部屋の中央には、多分机代わりのこたつ。今はさすがに布団は掛けられていないが。
テレビはないけど、小さなコンポがある。
置かれているCDは、よく知らないけど洋楽みたいだった。
「ふーん・・・」
かなり散らかっているが、思ったよりマトモだった。
てっきり、クギバットとか、特攻服とか置いてあるかと思ったけど・・・
「あんまりジロジロ見るなよ」
自分で通しておいて恥ずかしいのか、そんな事を言う。
別に、男の部屋なんて物色したって面白いわけがないから、俺はベッドの端にそっと腰掛けた。
「あ」
そのとき、見つけてしまった。
こたつの上に置かれた、タバコと灰皿。
「・・・あ!」
前言撤回。
ここはやっぱり不良の部屋だ。マトモなんかじゃない。
ああ、もう早く帰りたいよ。
「あ、あはははは・・・。
・・・・・・チ、チクる・・・か・・・?」
もしそうしたら、停学は伸びるだろう。ひょっとして退学とかもあり得るか。
コイツを学園から追い出すにはいい機会かもしれないが。
「別にそんなことしないよ」
「すまん。恩に着る」
「だからって俺の目の前で吸ったら許さないから」
「わかってるよ。マジメな委員長の前で、ンな事できるかって」
なんだか少し皮肉めいて聞こえたのは、気のせいだろうか。
「ちょっと待ってろ」
言い残して霧島は部屋から消えた。飲み物でも取りに行ったのだろう。
俺は所在なく部屋を見渡し、ラックの中に無造作に突っ込まれた雑誌を見つけた。
・・・もしかして、エロ本かも。
少し期待して手にしてみたそれは、バイクの雑誌だった。
「ふーん・・・」
やっぱり不良だからバイクが好きなんだろうか。・・・って、いくら俺でも、そこまで古い考えは持ってないぞ。
雑誌をめくると、いろんなタイプのバイクが紙面を賑わせていた。
よくわからないけど、バイクがカッコイイと思うのには同感だった。
「・・・お待たせー」
霧島が戻ってきた。
手にはオレンジジュースの入ったグラスが二つ。
「お、なんだ、委員長もバイク好きか?」
「別に。そんなんじゃないよ」
雑誌をベッドの上に置き、俺はグラスを受け取った。
ひとくち口を付けてみて、俺は初めて喉がカラカラだったのに気が付いた。思わず一気に飲み干してしまう。
「・・・もう一杯持ってくるか?」
「いや、もういいよ。ごちそうさま。・・・そんな事より、早くプリント」
俺が急かすと、霧島は「ああ」と頷いて部屋をごそごそやり始めた。
ゴミだか荷物だかわからないものの中からカバンを発掘し、開く。
「悪い、まだ書いてないんだ。待っててくれるか?」
「そりゃ、そのために来たんだからな。早くしてくれよ」
「わかった」
霧島はこたつの上のゴミをなぎ払うと(呆れたものだ)、筆箱から鉛筆を取り出して、アンケートを書き始めた。
「結構書くトコあるな」
「マジメに書けよ」
「・・・わかってるよ」
眉毛の上のキズを鉛筆で掻きながら、霧島は不承不承といった感じでプリントに向かう。
こりゃ、しばらく時間がかかりそうだ。
「なあ、これなんて書けばいいんだ?」
「アンケートなんだから、自分の思った事をそのまま書けばいいだろ」
「そういうの苦手なんだよな、オレ」
「じゃあお題が決まってる文章なら書けるのか?」
たとえば、作文とかレポートとか。
「ンなワケねえって」
ダメじゃん。
肩をすくめてバイク雑誌を拾う。
「自由行動の行き先かあ・・・なあ、委員長はどこにしたんだ?」
「は? 俺? 俺は別に、普通にタワーとか中華街とかにしたよ」
「へえ。意外だな」
「何が」
「だって観光地じゃねえか。委員長の事だから、てっきり博物館とかお寺とか、そういうガッチガチに堅そうなトコをチョイスしたのかと思った」
「そういうのは団体行動で回るだろ」
「ああ、それもそうだな。じゃあオレもタワーと中華街にしよっと」
ちょっと待て。
そんなコトしたら、お前と同じ班になっちゃうじゃないか。
口を開きかけて、やめた。
こんな不良は野放しにするより、目の届くところに置いておいた方がいい。
「やれやれ」
思ったよりマジメにアンケートに記入している霧島を後目に、俺は雑誌をめくった。
大量のバイクの中から、カッコイイと思ったものだけじっくり見ていく。
「・・・あ、これカッコイイな」
「お? どれだ?」
「ほら、この赤いの」
俺が指したバイクは、赤いカウルの付いたレーサーレプリカ。
いかにも速そうで、レースとかで見かけそうなヤツだ。
「へえ。オレはコレだな」
霧島の指したバイクはマフラー剥き出しのネイキッド。
アメリカンとはちょっと違うが、なるほど確かに。無骨なデザインがいかにも霧島らしい。
「すげえだろ。排気量1100だぜ? 1100。逆輸入だからメーターも320まで切ってあるんだ」
「320?」
「アホだよな。なんだそれ、F1ブッちぎるつもりかよ、ってんだ」
「・・・そこまで行くとギャグにしか思えないな」
「ホントホント。オレ、センパイのケツに乗せてもらって180出した事あるんだけど、ヤベエって。マジで死ぬ。180でアレだもんな、300超えたらどんな世界が見えるんだろうな」
「へえ・・・」
はたと気が付くと、すぐ目の前に霧島の上気した顔があった。
子供のように目をキラキラさせて、普段からは想像も付かない嬉しそうな表情でバイクの話をしている。
「ん? どうした?」
「い、いや、なんでもない」
「そうか? ・・・なんか顔赤いぞ?」
「なんでもないってば・・・っていうか、早くプリント書けよ!」
「あ、ああ。悪い」
しゅんとして席に戻る霧島。
・・・あれ? ・・・なんで俺、赤面してるんだろう?
わからないけど、たぶん他人とこんなに近くで話をした事がないから、照れてるんだろうな。
「まったく・・・」
「悪い悪い。・・・いや、ほら、オレの部屋に友達が遊びに来るなんて初めてだからさ。なんか嬉しくて」
友達?
冗談じゃない。
暴力振るって停学になるような不良と友達になった覚えはない。
「・・・なんでケンカなんてしたんだよ」
「・・・・・・」
霧島は答えなかった。
「なあ。なんで・・・」
「――うるせえな!」
いきなり大声で怒鳴られて、俺はビクッと肩をすくめた。
「おめえにはカンケーねえだろ!」
「――!」
カチンと来た。
カンケーないだと?
誰のせいで俺がこんな苦労してると思ってるんだ。
「――ああ、関係ないね。・・・お前がどこで何をしようが、俺には関係ないさ!」
くそっ。
なぜだか知らないが、目頭が熱くなってきた。
冗談じゃない。何で俺が泣かなきゃいけないんだ。絶対に泣くものか。
「早く書いちまってくれよ」
「わかってるよ! ・・・ホラ!」
最後の方を適当に書き殴って、霧島はプリントを突きだした。
俺はそれをひったくるように受け取ると、立ち上がる。
これでやっと帰れる。この不良とこれ以上顔をつきあわせるのは、もうたくさんだ。
「じゃあな」
「・・・・・・」
霧島は答えなかった。
「――バカバカしい!」
見送りにも来ない霧島に悪態を付きながら、俺は玄関を出た。
荒々しく戸を閉めて・・・
「きゃっ・・・」
「え?」
小さな悲鳴に、俺はギョッとした。
すぐ目の前に、女の子がいた。
制服からすると、桜ヶ丘女子の生徒だ。
「あ、ごめん!」
「いえ、ちょっとビックリしただけで・・・」
可愛い子だった。
霧島の・・・彼女・・・? いや、まさかな。妹だろうか?
「あの。霧島の・・・?」
「霧島さんのお友達ですか?」
俺が聞くより早く、その子は聞いてきた。
友達? だから冗談じゃないって。
「まさか。友達じゃないよ。あんな不良・・・」
「霧島さんは不良なんかじゃありません!」
吐き捨てるように言う俺に、その子は反論した。
霧島さん、か。少なくとも妹では無さそうだ。やっぱり、彼女、なんだろうか・・・。なんだよ、アイツ彼女いたんだ・・・。
俺はひどく落ち込んで・・・あれ?
・・・・・・。
・・・なんで俺が落ち込まなきゃいけないんだろう?
首を傾げたとき、その理由に思い当たった。
そりゃそうだ。あれだけ好き勝手やってる霧島に彼女がいて、日々真面目に過ごしている俺に彼女ができないのだから、落ち込むのは当然だ。それも・・・こんな可愛い子を。
「えっと・・・あの・・・?」
俺の百面相をどう思ったのか、女の子は首を傾げる。
「あ、ああごめん。霧島は部屋にいるよ」
ちょっと機嫌悪いかもしれないけど、こんな子が訪ねてきてくれれば、一気に機嫌も治るさ。
・・・もしかして、アイツ、これからあの部屋で・・・あのベッドで、エッチな事するのかな・・・。
そう考えたら、なぜか胸が張り裂けるように痛んだ。
「ええ・・・でもあの・・・私、会ってもらえなくて・・・」
「はあ!?」
アイツ、なんて罰当たりな事を!
「私、どうしてもお礼がしたいんですけど、霧島さん、全然相手してくれなくて・・・」
「は? お礼? ・・・ちょっと待って、話が見えない。
・・・きみ、霧島の彼女じゃないの?」
「ちっ! 違いますよ!」
その子は真っ赤になって否定した。
そっか。違うんだ・・・。
・・・よかった・・・。
・・・・・・。
・・・あれ? 何で俺、ホッとしてるんだろう?
「それで、えっと・・・」
「あ、ごめんなさい。私、神尾智子です」
「かみおともこ、さん?」
「はい」
「あ、俺は遠野修二。霧島のクラスメートで、今日はプリントを取りに来ただけなんだ」
「そうだったんですか」
「それで神尾さん。お礼って・・・どういう事?」
あの不良が人に感謝されるなんてあり得ない。
きっと何かの間違いだ。
「えっと・・・その・・・」
言いにくそうにもじもじしている。
恥ずかしがっている、というよりも、話したくなさそうな雰囲気だ。
「ごめん、ヘンな事聞いて。・・・俺、もう帰るよ」
「ま、待ってください!」
呼び止められ、シッポを掴まれる。
・・・こりゃ、振り解いて立ち去るわけにも行かないし、どうしよう・・・。
っていうか、シッポを握るのはやめて欲しいんだけど・・・。
「えっと・・・?」
「・・・やっぱり、なにも聞いてないんですね」
「は?」
「霧島さんが、停学になったのは・・・私のせいなんです」
「月曜日の、放課後でした・・・」
近所の公園のベンチまでやって来て、俺から紅茶の缶を受け取ると、ようやく彼女は事の顛末を語り始めた。
なかなか言い出しにくい事らしく(そりゃそうだ。人一人停学に追いやったのだから)、何度も逡巡していたが、俺は急かさなかった。それが功を奏したらしい。
「駅で、私、声をかけられたんです・・・」
ナンパ、か。
なるほど。可愛いもんなあ。
「・・・私、嫌がったんですけど・・・半分ムリヤリ連れて行かれて・・・あの時、私が大声を出していれば良かったんですけど、怖くて・・・」
ん?
なんか雲行きがおかしくなってきたぞ。
これって、まさか・・・。
「・・・路地裏に・・・連れて行かれて・・・」
まさか。
レ、レイプ・・・とかいうヤツじゃ・・・?
「・・・その・・・イタズラを、されそうになったんです・・・」
イタズラって。
そんな言い方すれば聞こえはいいかもしれないけど。
「・・・・・・」
「そこを、アイツに助けられたんだね?」
皆まで言わせるのは可哀相だ。
俺はそういって話を切り上げた。
「・・・はい。騒ぎを聞きつけて、警察の方が来てくれて、でも、私、逃げろって言われて、そのまま・・・」
「なるほど」
自分は捕まってでも神尾さんを逃がしたわけだ。
事情聴取で根ほり葉ほり聞かれるのを不憫に思ったんだろう。
で、被害者がいなくなれば、当然それはただの暴力事件だ。大学生側もレイプを認めるわけはないからな。
「・・・あのバカ・・・」
なにカッコつけてるんだよ。
言い訳くらいしろよ。
「私・・・どうしたらいいのか・・・やっぱり、警察に・・・」
「いや、そんなコトしたらアイツのした事が無駄になる」
「でも・・・」
「それに、警察沙汰にはなってるけど、それほど大袈裟でもないんだ。大学生側も、訴訟とかそういう事できるわけないしね。アイツの停学が明ければこの事件はおしまい。それで解決なんだよ」
「でも、それじゃあんまり・・・」
そう。
あんまりだ。
冗談じゃない。
こんな理不尽な処分、放っておけるわけがない。
「神尾さん、霧島の事、助けてくれないかな」
「え?」
「・・・ツライかもしれないけど、ウチの学校まで来て欲しいんだ」
俺はほとんど無意識に神尾さんの手を握りしめていた。
「お願いします。霧島を、助けてください」
「そんな、やめてください。当たり前じゃないですか」
「じゃあ・・・」
「はい。霧島さんは私の命の恩人です。大袈裟かもしれないけど、私、ホントにそう思ってます」
「よかった・・・! ありがとう、神尾さん!」
「いえ、こちらこそ・・・。・・・それで・・・あの・・・」
「?」
「手、痛いです・・・」
言われて初めて、俺は神尾さんの手を強く握りしめている事に気が付いた。
「あっ、ご、ごめん・・・」
慌てて離す。
「・・・いえ・・・別に・・・」
赤くなって俯く神尾さんの顔は、とても可愛かった。
それにしても。
・・・女の子の手って、すべすべしてて気持ちいいなあ・・・。
つづく。