8 スタンピード

 

 

「うへえ・・・」

俺は顔をしかめて呻いた。

強烈な臭気が、犬人の敏感な鼻を突く。

「ツラそうだな。大丈夫か?」

というジーハーの顔もしかめられている。

犬人ほどではないとはいえ、熊人だって鼻はいい。

「この匂いは、女にだってキビシイわよー・・・」

ルシアが、鼻を押さえながらぼやいた。

もっともな意見だった。

 

 

濁った汚水が、文字通り怒濤の勢いで流れている。

通路には照明も何もなく、俺の持つカンテラだけが唯一の光源だ。

その頼りない光に照らされて、壁に落ちた大きな影が、右に左にと大きく揺れる。

まるで、何か不気味な生き物のように。

ここはファルリーザ東区画下水道。

俺達は、はなはだ怪しい目撃証言を頼りに、マンホールの下にいた。

 

 

「やっぱり帰ろう」

真っ先に音を上げたのは、俺だった。

この匂いは、犬人にはキビシすぎる。

「早っ。まだ一分と経ってないわよ?」

「いやもう充分。・・・鼻が麻痺してきた」

悪臭が感じられなくなってラッキー、などとはとても思えない。

気分が悪い。

昨日はクスリを飲んでいないというのに、血を吐きそうだ。

「とりあえず進んでみましょ? どうせダメもとなんだし。ねっ?」

「・・・そうだけど」

この匂いはカンベンして欲しいよ・・・。

辟易しつつも、俺は地図を取り出した。

カンテラはジーハーに持たせる。

「えっと、今この辺の地下。川がここに流れてるから、とりあえずこっちの方に進んでみよう」

「ういー」

明かりに照らされて、ネズミが驚いて逃げていった。

・・・子猫ぐらいの大きさのネズミだった。きっとHP100は下らない。

魔物とか出そうよね」

ルシアが、物騒なことを言う。

「ルシアは魔物に慣れてるのか?」

「まあね。前にも言ったと思うけど、あたしは元々魔物退治屋(モンスターハンター)だったからね」

「へえ。そりゃ頼もしいな」

「へへへー」

「ノヴィスはよう、魔物全然ダメなんだぜ?」

余計なことを言うジーハーを、俺は睨み付けた。

しかし、暗闇のせいか、俺の視線に気付かず、彼は続ける。

「蟲見ると、腰抜かすんだ」

「ばっ・・・! へ、ヘンなこと言うな!」

「へー、そうなんだ」

ルシアとジーハーはいやらしく笑った。

「だ、誰にだって苦手なものの一つや二つ、ある!」

俺は赤くなった顔を見られまいと、歩き出した。

「ま、正直言ってあたしも蟲は嫌いだけどね」

あんなものを好きだというヤツがいたら、見てみたいものだ。

ちなみに蟲(むし)とは、魔物の一種で、異常に巨大化した昆虫のことである。

アバドン、もしくはアバドンの使いと呼ばれ、恐れられている。

一匹一匹の攻撃力は大したこと無いが、やつらの脅威はその数。

何千匹とよってたかられたら、いかな屈強の戦士といえど、ひとたまりもない。

「・・・ぶるっ」

自らの想像に、俺は怖気を感じて身震いした。

それに気付いたのか気付いていないのか、二人は意地悪な会話を始める。

「ここ、ゴキブリの蟲とか、いそうだよね」

「!」

「ああ、いそうだな」

「!!」

ヤツのアバドンは全長30センチ弱。

なんというか、こう、もっともイヤなサイズである。

「ノヴィス! 足下!」

「ひっ!!」

俺は思わず飛び上がってジーハーにしがみついた。

が、俺の足下には何もない。

二人が腹を抱えて笑っているのに気が付くと、恥ずかしさは怒りへ変わっていった。

「・・・お、おまえら、いい度胸してるじゃないか・・・!」

ジーハーから降りると、俺はスクロール(巻物)を開いた。

描かれた召喚陣が淡い光を帯びる。

「なっ・・・お、おい! ちょっと待て!」

「ゴメンゴメン、冗談だって」

「・・・やっていい冗談と、悪い冗談があるッ!」

召喚された雷獣フェンリルは、二人のレントゲンを余すところ無く見せてくれた。

 

 

「もう・・・! 大人げないんだから!」

プリプリ怒りながら、ルシアが頬をふくらませた。

自業自得だ。

「ああー、もう。静電気で毛皮が気持ち悪ぃよう」

ジーハーが、身体を掻きながらぼやいた。

自業自得だ。

「スクロール、一本無駄にしちゃったじゃないか!」

俺は召喚時の余波でボロボロに焼き崩れたスクロールをポイ捨てし、口を尖らせた。

・・・自業自得・・・か?

ともあれ、ここにいる全員が被害者であり、加害者だった。

「にしたって、問答無用で召喚魔法はねえだろ」

「ちょっとからかっただけで、10万ボルトは無いわよね」

「やかましい。コレに懲りたら二度と俺をからかうもんじゃない」

「もう。・・・不感症になったらどうしてくれるのよ」

「今夜にでも確かめてやろうか?」

刹那、ジーハーからものすごいプレッシャーを感じて、俺は口をつぐんだ。

「遠慮しとくわ。・・・あれ?」

ルシアの声に、俺はその視線を追う。

相も変わらず薄汚れた下水道の通路。

その突き当たりに、扉があった。

「・・・?」

「なんでこんなところにドアがあるんだ?」

俺に言われてもわかるわけがない。

ジーハーに目で合図して床を照らさせると、そこには無数の足跡が刻まれていた。

「・・・ごく最近に、何人もの人間が出入りした形跡だな」

「え? じゃあこれって、もしかして」

「ビンゴ?」

俺は入念にドアを調べて罠の類がないことを確認すると、ノブに手をかけた。

しかし、これが早計だった。

罠は存在したのだ。

そう、この扉自体が、いや、言うなればもっとずっと以前から、俺は罠にハメられていた。

「カギはかかってないみたいだ」

ゆっくりと扉を押し開ける。

地獄の釜の蓋を思わせる鉄製の扉が、重い音を立てて開いた。

 

 

そこは純白の部屋だった。

いや、正確には純白ではない。

真新しいコンクリート打ちっ放しの、灰色にくすんだ部屋。

しかし、今まで闇の中にいたため、俺達の目には眩しい白に映った。

「・・・なに? ここ・・・」

「さあな?」

ジーハーがカンテラの火を消して、ズタ袋にしまう。

そう、驚いたことに、この部屋には電気が通っていた。

決して明るいとは言えない。おそらく光度は「薄暗い」程度に分類されるのだろうが、少なくとも他に明かりが必要な程ではなかった。

「下水の管理事務所、って感じじゃないな」

それらしい機械や器具、備品などが見あたらない。

というか、何もない。

床も、壁も、天井にも、見事なほどに何もない。

目に付くものといえば、部屋の奥。さらに奥へと通じる扉だけだった。

「行ってみるか?」

「そりゃ、ねえ?」

俺は後ろ手で扉を閉めて、奥の扉に手をかけた。

今回の扉にも、罠の類は存在しなかった。

「おじゃましまーす・・・」

そこは通路のようだった。

相変わらず壁はコンクリートの打ちっ放し。

照明も薄暗く、お世辞にもいい雰囲気とは言い難い。

しかし、換気だけは行き届いているのか、悪臭は消えていた。これは何より助かる。

「ふう、ようやく一息付けるな」

深呼吸をしながら、俺は安堵のため息を漏らした。

「しかし、なんなんだろうな、ここ」

「・・・何かの施設かしら?」

「っていうより、秘密基地って感じだな」

「なんの?」

「・・・暗殺者?」

なにせ、サイラスが潜んでいるのかもしれないのだ。

ひょっとしたら、暗殺者の溜まり場なのかもしれない。

ってことは、暗殺者ギルド・・・?

「まさか、な。・・・でも用心に越したことはねえか」

「そうね」

俺達は気を引き締めた。

そいつの急襲に対処できたのは、そのおかげだろうか。

「っ!」

きん、という音と共に床に転がったのは、一振りの剣。

刃渡りはショートソード程度だが、その刃はつや消しの塗料で黒く塗られていた。だから最初、俺はそれがなんなのか理解できなかった。

「なに!?」

「甘いわよ!」

そいつのショートソードを振り向きざま叩き落としたのは、ルシアだった。

そのまま俺が止める間もなく、背後の敵を袈裟懸けに一刀両断した。悲鳴を上げる暇すらなく、絶命する敵。

「って、あら?」

「・・・問答無用はどっちだよ・・・」

「ごめんごめん」

いや、謝っても敵は生き返らない。

この女には命の尊さというものを教えてくれる人物がいなかったのだろうか。

そもそも、コイツって敵だったのか?

「もし一般人だったらどうするんだよ・・・」

「そんなわけないじゃない。背後から気配を消して人を襲うような一般人、イヤだわ」

振り向きざま、相手をまっぷたつにする女もな。

「しかしまあ、ここが暗殺者の溜まり場ってのは正解みたいだな」

その男は、どうやら暗殺者らしい。

見た目にはごく普通の狼人。しかし、その気配を消す物腰、そして何より手にしていた獲物が雄弁に物語っている。

「サイラスをかくまっているのね!?」

「さあ? でもまあ、たぶんそんなところだろう」

俺は新しいスクロールを取り出した。

色は赤。イフリートの召喚陣か。

「我が呼び声に応えよ! イフリート!」

床に開いたスクロールが燃え上がり、その炎の中から紅蓮の幻獣が姿を現した。

スクロールから呼び出したので、大きさはそれほどでもない。俺よりも一回り小さなサイズだ。

しかしその分、構成式にはたっぷり手間をかけてある。ディテールは申し分ない。

「さて」

俺は首をこきこき鳴らすと、歩き出す。

「間抜けな暗殺者さんを迎えに行きますか」

 

 

「っらぁ!」

ジーハーの拳が、虎人の胸にめりこみ、吹き飛ばす。

そのまま回し蹴りを放ち、背後に迫っていた犬人をなぎ払った。

「フッ、ハッ!」

背中を当てて体勢を崩した熊人に、振り向きざま両手を突きだして吹き飛ばす。

そいつは見事なまでに身体をくの字に折り曲げ、飛んでいった。

「ふん。不意打ちを封じられた暗殺者ほど、哀れなものはないな」

俺は悠然と部屋の中央に歩み進むと、幻獣イフリートに命ずる。

「――焼き払え!」

イフリートの口から出た炎――いや、それはすでに炎ではなく、光線だった――が、部屋を走り、一瞬の後に紅蓮の火柱を吹き上げる。

吹き飛ぶ暗殺者ども。

「ハハハハハ! 見ろ、人がゴミのようだ!」

そのゴミの中にジーハーの姿があったような気がしないでもないが、おそらくきっと気のせいに違いないと思う、たぶん。

「・・・気のせいじゃねえよ!」

「悪い悪い」

ひゅっ、と空を裂いて飛んできた短剣を、ルシアの刀が叩き落とす。

「ふふふ。思う存分、斬ってもいいのよね・・・?」

「あ、ああ・・・」

俺の許しを得て、ルシアが走った。

悪鬼羅刹の表情で敵を切り捨てる。

彼女が通り過ぎると、暗殺者は皆、動きを止めた。

まるで時間が止まったかのように。

ルシアが刀を鞘に収める。

チン、という音で時間は再び動きだし、暗殺者は鮮血を吹き出して崩れた。

頬に飛んだ返り血を舐め取るルシアの表情は、『壮絶』の一言だった。

「アレはさすがにどうかと思うな・・・」

「ああ。ノヴィスがマシに見えてくるよ・・・」

失敬な。

アレと比べられるのは、いくら俺でも心外だ。

「しかし、ここの連中は一体なんなんだろうな」

俺はイフリートに命令を飛ばしながら、背中のジーハーに訊ねた。

知らん、と短い返事をよこして、ジーハーは肘を繰り出す。

俺が幻獣を召喚し、その間の無防備な俺をジーハーが守る。

実は、これが俺達のいつものスタイル。

「暗殺者の集まり、っていうよりは、ゴロツキの集まりだ」

廊下を突き進んで出た、むやみにただっ広い部屋。

そこにはお出迎えがわんさか集まっていた。中には、知った顔もある。

ギルドで見た賞金首のリストに載っていたヤツだ。

驚いたことに、「ソールドアウト」になった賞金首の顔もある。

俺の記憶が正しければ、ヤツらは今頃、刑務所の中のハズなのだが。

「なんでそんなヤツらがサイラスを庇うんだ?」

「さあな。金で雇われたか、あるいは・・・」

ちらりと横目で見ると、ルシアが死体の山を築き上げていた。

イフリートに火炎放射をさせ、俺はルシアに叫んだ。

「あまり殺しすぎるなよ!? 足が出ちまう!」

「・・・ちっ」

凄惨な表情で舌打ちすると、彼女は刀の握りを変えた。

やれやれ。加減を知らない女だ。

 

「――やはり烏合の衆では『黒き翼のノヴィス』を倒せないか」

よく通る声に、俺は顔を上げた。

俺達が入ってきた入り口。そこに、その男は立っていた。

世にも珍しい、白い虎人。

無造作に抜いた剣。

防具としてより、装飾の意味合いの方が強いライトアーマー。

しかし、驚くはその男の放つプレッシャー。

「・・・! コイツ、できるぞ・・・!?」

相手の力量を見て取ったのか、ジーハーが緊張した声を出す。

「わかってるよ」

こんな登場の仕方をするヤツがザコのわけがない。

「光栄だな」

端正な顔に笑みを浮かべ、白虎は剣を持ち上げた。

「やっ!」

いつの間に迫ってきていたのか、ルシアの刀をその剣で受け止めた。

あろう事か、ルシアの刀を、だ。

これは素人目にもわかる。強い。

「・・・このっ!」

ルシアが刀を引き、二度、三度と斬り結ぶ。

今までのルシアの攻撃はすべて一撃必殺だった。

防がれることを想定していないルシアの技は、こうなると不利に転ぶのか、いつもの力を出し切れていないように感じる。

「・・・・・・」

白虎は、真剣な面持ちでルシアの剣戟を受け流していた。

今のところ反撃のそぶりはないが、その表情には余裕すら伺える。

「オイ! ルシアのヤツ、やべえんじゃねえのか!?」

「・・・わかってる!」

俺はイフリートに命令し、残っている雑魚共に火炎弾を飛ばす。

・・・マズイかもしれない。

イフリートの技と維持コストに魔力を払いすぎた。

雑魚を一掃した上で、あの白虎の相手をするのはしんどいだろう。

ちょっと飛ばしすぎたかな・・・?

「雑魚はオレに任せろ!」

ジーハーが俺のそばを離れ、雑魚の群れに突進していく。

さすが相棒。よくわかってくれている。

こう言っちゃなんだが、ジーハーが俺の魔力の残量を把握していたとはとても思えない。きっと、直感で俺の意志を汲んでくれたのだろう。

「よし。任せた」

俺はイフリートを傍らに呼び寄せると、白虎に向き直った。

「サイラスはどこだ? なぜ仕事に失敗したヤツをかばう?」

白虎は、ルシアの攻撃を受けながらも言った。

「さあな。今頃はどこかで野垂れ死んでいるか、運のいい賞金稼ぎに捕まっているか・・・」

「なんだと?」

サイラスは、ここにはいないのか?

じゃあ、こいつらは一体、なんだ?

それにさっきのセリフ。俺がここに来るとわかっていたのか?

「くっ」

その時、ルシアの刀が弾かれた。

「やりすぎだ」

「え?」

がら空きになったその胴を、白虎の剣が薙ぐ。

「――ルシア!!」

吹き飛ばされ、壁に打ちつけられるルシア。

「バカな・・・悪鬼羅刹のルシアが、剣で負けるなんて・・・!」

「だ、誰が悪鬼羅刹よ・・・」

ルシアの苦しげな声が聞こえた。

無事・・・とはとても言えない状態だが、少なくともまだ生きているらしい。

「ほう」

白虎の感嘆。

よく見ると、ルシアの腰の鞘がひび割れていた。

あれを使って防御したのか。

俺はホッと息をつくと、白虎を睨み付けた。

「――どういう事だ? このお出迎えといい、お前の口調といい、まるで俺を待ちかまえていたみたいじゃないか」

「待ちかまえていたのさ。お前は・・・」

言い終わるより早く。

イフリートの口から熱光線が放たれた。

それは白虎の脇を通り過ぎ、余波で彼の毛皮を焦がす。

・・・外したワケじゃない。躱されたのだ。

「人に質問しといて、答える前に撃つか!? 普通!」

さすがの白虎も声を荒げた。

ちょっぴり意外なリアクションだったので、俺は満足した。

「だってチャンスだと思ったんだもん」

「だもん、って!」

「・・・それでこそノヴィスだよ・・・」

離れたところで格闘しているジーハーが、呆れたように呟いた。

「ちっ」

立ち直った白虎が、剣を携えて走る。

――迅い!

俺の前に立ちふさがるイフリート。

しかし、幻獣はたった一撃の元に切り伏せられてしまう。

上下二つに分かたれた身体が、ボンと炎に包まれて溶けた。

「一撃かよ!」

多少のダメージだったなら回復できるものを・・・!

俺は慌てて飛びすさって距離を取る。

新たなスクロールを取り出すが、白虎はそれを広げる時間を与えてはくれなかった。

矢継ぎ早に繰り出される剣を、何とか躱し、俺は舌打ちした。

「・・・!?」

ルシアをうち倒す程の手練れの剣を、俺が躱せるとは思えないのだが・・・。

なめられているのか?

いずれにしろ、このままではジリ貧だ。

・・・仕方ないっ。

俺は腹をくくって足を止め、その場でスクロールを一気に広げる。

「観念したか!」

「――俺を護れ! イグドラシル!」

右腕に焼け付くような痛みを感じて、俺は顔をしかめた。

「!?」

――バサァッ!

黒き光の翼が広がる。

 

 

黒き翼は、白虎の剣をがっちりと受け止めていた。

「――これが・・・天使の・・・っ!!」

白虎が言葉を無くす。

その間に、俺は召喚魔法に成功した。

「来いッ! バルバリシア!」

目の前で広げたスクロールが光り輝く。

刹那、俺と白虎の間に豪風が吹き荒れた。

「なにィ!?」

荒々しい突風に黒き羽根が舞い踊り、渦を巻いた。

そして、白虎の身体を吹き飛ばし、彼女は現れた。

「悪意」の名を冠する、白き乙女の幻獣。

「フン」

俺が腕を払うと、黒き翼も連動してバサリと振り払われ、幻獣バルバリシアに覆い被さる。

――傍らに、白き悪魔を従えて。

――黒き天使は、唇の端をつり上げた。

 

 

「なるほど! それが天使の加護というワケか!」

ストン、と音もなく地面に降り立ち、白虎は声を上げた。

「その通り。『祝福』を受けた俺を、お前は殺せないよ」

「それは・・・どうかな?」

白虎の構えた剣が、かすかに光を帯びた。

同時に、フィィィィン、という甲高い共鳴音も。

・・・魔法剣、か。

確かにあれなら、イグドラシルの翼を断つ事ができるかもしれない。

道理でイフリートが一撃で叩き斬られるわけだ。

「ふーん。いいもの持ってるじゃないか・・・。だが、近づけさせるものかよ」

ヤツの間合いに入るつもりは毛頭無かった。

これが地上であれば、俺は天高く舞い上がって空の上から幻獣に命令するだけで良いのだが、地下の部屋ではそうも行かない。

しかし、バルバリシアの召喚に成功した今、俺に怖いものはない。

「行け! バルバリシア!」

彫刻のように美しい顔をした乙女が、地上を走った。

むろん、足で走るわけではない。彼女の身体は、常に地面から数センチ浮いていて、滑るように移動を行う。

風の属性をイメージしているので、彼女の周りには常につむじ風が渦巻いている。

膝まで届く翠の髪は風になびき、その半裸の身体をイイカンジに隠していた。

白魚のように細く華奢な腕が白虎に伸びる。

もちろん、見た目とは裏腹の攻撃力を秘めた腕だ。

その腕を、白虎が魔法剣で迎え撃つ。

ぢいいいいっ、と不快な音を立てて、白虎の剣とバルバリシアの腕が火花を散らした。

「なに!?」

白虎が驚愕に目を開いた。

どうせ、こんな細い腕、一撃で切り伏せることができる。と踏んでいたのだろう。

「甘く見るなよ? イフリートとは、コンストラクションが根本から違うんだ!」

・・・その分、スクロールの作成に丸三日はかかるけど。

おまけに、召喚および維持コストがバカっ高い。再生と技の発動にも、魔力がジャブジャブ消費される。

その分威力は折り紙付きだが。

「ちっ」

伸ばされたもう一本の腕を躱すように剣を引いて、白虎が距離を取る。

俺はすかさずバルバリシアの腕を再構成し、命令を飛ばした。

「逃がすな!」

パシン、と豊かな胸の前で手を合わせるバルバリシア。

彼女を取り巻いていたつむじ風が、白虎に向かって撃ち出された。

そのいくつかを魔法剣で払うが、すべて防ぎきれるものではない。

渦巻きに絡め取られ、白虎が動きを鈍らせた。

その背後に風が集まり、バルバリシアの身体を形作っていく。

「な・・・!」

これこそバルバリシアの得意技、トランスファー・ヴィエント。

自らの身体を風に変え、どこでも好きな場所に現れることができる。

・・・割に合わないコストを要求されるので、滅多に使わないが。

「・・・なんてインチキな!」

「インチキ言うなっ!」

ともあれ、バルバリシアから逃げることはできない。

白虎は、悪意という名の風に抱擁された。

――俺の勝ちだ。

俺はニヤリと笑みを浮かべた。

「切り刻め!」

バルバリシアの、エメラルドのような瞳が怪しく輝き、二人の周囲にかまいたちが発生した。

「させるか!」

強引にバルバリシアの腕を振り解いて逃げると、白虎はかまいたちに切り刻まれるのもいとわずに地面を蹴った。

いい判断だ。これがもっともダメージを抑える方法なのだから。

白虎は地面に降り立つと、その足で跳躍し、召喚者である俺に向かってきた。

これもいい判断だ。

不死身の幻獣といくら戦っても意味はない。

大元を叩くのが最良の方法。

しかし。

「戻れ! バルバリシア!」

トランスファー・ヴィエントの効果で、俺の目の前にバルバリシアが現れる。

そして、白虎の魔法剣を、腕をクロスして防いだ。

「残念だったな。・・・あばよ」

俺は黒き翼を羽ばたかせ、舞い上がる。

そのまま天井に手をついて、白虎から遠く離れたところに着地した。

奇しくも、白虎にはじき飛ばされたルシアの傍らだった。

「ちっ!」

舌打ちし、白虎は剣を引いた。

その目の前で、傷ついたバルバリシアの腕が再生されていく。

「なによあれ・・・無敵じゃない・・・」

腹を押さえて、ルシアが呻くように呟いた。

出血はしていないようだが、アバラの一、二本は持って行かれたか。

「・・・そうでもない」

「え?」

実を言うと、見た目ほど一方的な戦いではない。

ルシアにしか聞こえない程の声で、俺は言った。

「・・・そろそろ魔力がヤバイんだ」

ただでさえ、バルバリシアはコストパフォーマンスが低い。

その上俺は、イフリートで飛ばしすぎているのだ。

はっきり言って、俺の魔力はガス欠寸前。

「って、ヤバイじゃない」

「だから早めにケリを付ける!」

俺はバサリと翼を払うと、バルバリシアに指を突きつけた。

「――バルバリシア! テンペスト・バースト!」

俺の命令を受け、妖艶に微笑むバルバリシア。

腕を広げ、胸を突き出すようなポーズを取る。

まるで、帆船の船首に飾られる女神像のように、神々しく。

その彼女の胸元に、目に見えるほどのエネルギー粒子が収束していき、神々しさに拍車をかけた。

「・・・綺麗・・・」

目を見開いたルシアが、思わずそう呟くのも無理はない。

彼女は、俺の最高傑作なのだから。

「!?」

金縛りにあった白虎が、顔色を変えた。

「無駄だ」

すばしっこいヤツの動きを封じるための布石は、すでに打ってある。

いまや白虎の動きは、完全に風に絡め取られていた。

「インブレイス・バインド。先ほどのバルバリシアの、抱擁の効果だ」

俺が勝利を確信したあの時、ヤツはすでに術にかかっていたのだ。

「・・・甘く、見るなよ・・・!?」

白虎の筋肉が膨れあがった。その身体に力がみなぎるのが、傍目にもわかる。

まさか自力でバインドを解くつもりか?

それは困る。俺は慌ててバルバリシアに命令した。

「――撃て!」

カッ!

バルバリシアの胸元から、銀色に輝く風の奔流が撃ち出された。

余波が吹き荒れ、俺の髪を、翼をなびかせる。

見ると、ルシアの着物の裾もバタバタとはためいていた。

「おおおおおおっ!」

金縛りを破った白虎が、魔法剣を構えた。

それが、俺の目撃した最後のシーン。

爆発的に広がる閃光に、視界は一瞬で白く染まった。

 

 

もうもうと立ちこめる土煙。

部屋の片隅でジーハーと格闘していたゴロツキも、みな埃を吸い込んで咳き込んでいる。

・・・うーむ。いくら広いからと言って、部屋の中で使う技じゃないな。これからは気を付けよう。

「やったの?」

「そのハズだ・・・」

俺は黒き翼を閉じる。

部屋の中がわずかに明るくなったような気がした。

翼が完全に畳まれたのを確認すると、俺はバルバリシアに命令して土煙を吹き飛ばした。

そこで目にしたものは、剣をまっすぐ構えたままボロボロになった白虎の姿だった。

「――バカな!」

原型など留めていないと踏んでいたのに。

あの魔法剣、かなりの業物らしいな。

「なんてしぶといの・・・!」

魔法剣を一振りし、白虎はニヤリと笑った。

「おれの勝ちだな」

「なんだと・・・?」

たしかに、俺にはもうバルバリシアを活躍させるだけの魔力が残っていないが、そんなことは俺にしかわからないハズ。

それともコイツ、まさか他人の魔力の残量がわかるのか?

俺はバルバリシアを傍らに呼び戻す。こうなってしまったら、彼女はもう盾としてしか使えない。

「おっと! 下手な真似はやめた方がいいぜ?」

白虎が魔法剣を真横に向ける。

反射的にそっちを見て、俺は絶句した。

「・・・ジーハー・・・!」

そう。

そこには、ボコボコに殴られたジーハーが組み敷かれ、こめかみに銃口を押しつけられていた。

「す、すまねえ、ノヴィス・・・」

「さあ、その物騒な姉ちゃんを下げてもらおうか」

「・・・物騒な姉ちゃん、ってのはルシアのことかな?」

「バカ! そんなわけないでしょ!?」

そうだろうな・・・。

俺に言わせればバルバリシアより、ルシアの方がよっぽど物騒なんだけど・・・。

「ノヴィス! オレに構うな!」

声を上げたジーハーが殴られ、顎を床に押しつけられて強制的に黙らされる。

「わかった。・・・ジーハー、お前の死は無駄にしないぞ」

ジーハーを除く全員が(もちろん白虎含む)目を見開いて俺を見た。

「ちょっ・・・! 正気!?」

「仲間を見捨てるっていうのか!?」

「へっ、バカめ! ノヴィスはなあ、そういうヤツなんだよ!」

・・・少し悲しかった。

俺はバルバリシアに命令し、敵を掃討する・・・

「――って、ワケにもいかないな。・・・この、役立たず!」

俺はジーハーに罵声を浴びせると、バルバリシアを解放した。

圧搾した空気が抜けるように風に還り、白き乙女は姿を消していく。

「ノヴィス・・・! そんな・・・オレなんかのために・・・!」

「勘違いするな! ただ単にバルバリシアの維持コストが払えなくなっただけだ!」

誰がジーハーなんて助けるもんか。

「ふん、まあそういうことにしといてやるよ」

白虎が、魔法剣を収めて歩み寄ってくる。

こうして近づいてみると背が高い。

俺は白虎を見上げて睨み付けた。

「やれやれ。手こずらせやがって」

「言っとくけど、俺は殺せないぜ?」

イグドラシルがいる限り。

「殺す気なんて、最初から無い」

「・・・なに?」

――ズン。

唐突に。俺のみぞおちに白虎の拳がめり込む。

「がはっ・・・!」

思わず身体を折って、床に這いつくばった。

咳をする度に、床に血の斑点が広がっていく。

「お、おい、死ぬなよ?」

まさか軽いボディーブローで血を吐かれるとは思っていなかったのだろう。

白虎が心配そうに覗き込んできた。

返事をすることもできず、俺は涙目で睨み返すことしかできなかった。

チクショウ、覚えてろよ。

「まあいい。――牢にぶち込んでおけ!」

俺はゴロツキ共に乱暴に引きずられ、その部屋を後にした。

音を立てて閉まる扉が、白虎の姿を閉ざす。

扉が完全に閉まりきる前に、俺はもう一度白虎を睨みつけた。

――チクショウ、覚えてろよ!

 

 

 

 

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