――お詫び――

 

前回予告致しました「黒の章 第9話、ノヴィス輪姦される」は、内容に不適切な表現が認められたため、誠に勝手ではありますが、永久欠番とさせていただきます。

読者のみなさま、ならび関係各位に多大なご迷惑をおかけしてしまった事を深く反省すると共に、このような事態が二度と起こらぬよう、よりいっそう努力を重ね、精進いたします。

これからも幣ホームページ「ミンナニハナイショダヨ」に、どうか変わらぬご愛顧の程をよろしくお願いいたします。

それでは気を改めまして「黒の章 第10話、カニバリズム」をお楽しみ下さい。

 

平成17年3月3日、大上犬太

 

 

10 カニバリズム

 

 

乱暴に蹴飛ばされ、俺は無様に床に転がった。

転んだ拍子に、傍らに置いてあったバケツが倒れ、濁った水を、床と俺の身体にぶちまける。

濡れた顔でそいつを睨み付けると、そいつ、牛人は肩をすくめて鉄格子を閉めた。

謝りもしないとは、なんとも不作法な牛人だ。

「・・・っておい! ほどけよ! これじゃ用も足せないだろ!?」

俺は今、後ろ手で縛り上げられている。

そうでもなければ、蹴飛ばされたくらいで転ぶものか。

牛人(おそらく牢番なのだろう)はポケットからナイフを取り出すと、鉄格子越しに俺の拘束を解いてくれた。

が、礼を言う気にはとてもなれなかった。

 

――あのあと。

降伏した俺達は、敵の捕虜となった。

荷物をすべて取り上げられ、服も脱がされ(下着だけは返してもらったが)、簡単な検査を受けた後、牢にぶち込まれたのだ。

ジーハーは、かなり手ひどく痛めつけられて、意識を失っていた。

死んでいなければ、今頃は隣の牢で寝ているはずだ。

ルシアは、白虎に受けた傷が深いらしく、俺達とは違うところへ運ばれた。敵に言わせれば、一応の治療はしてくれるらしい。ひどいことをされなければいいのだが。

そして俺はというと、入念な身体検査をされた後に、このザマだ。

今までほとんど人に見せたことのないイグドラシルを晒し、訳のわからない注射を打たれ、血まで抜かれた。

はっきりいって、こんな屈辱は生まれて初めてだ。

「くそっ!」

苔むした壁を蹴飛ばす。

足が痛んだ。

「・・・くそっ!」

今度は右手で壁を殴る。

手加減いっさい抜きの、本気パワーで。

もちろん、壁はびくともせず、代わりに指の骨が何本かイカれた。

ようやくスッキリした俺は、鈍く痛む足をさすりながら、ベッド(いや、これはベッドなんて上等なモノじゃない。ただの板きれだ)に腰を下ろす。

腐っていてもしょうがない。まずは落ち着いて状況を整理しよう。

「ふぅーっ」

俺は大きく息を吐いて気を落ち着かせると、指を組んで思案を巡らせた。

・・・今までのことで、いくつかわかったことがある。

一つは、ここが本物の監獄だということ。

ファルリーザの地図を思い返してみると、確かに東区画には刑務所があった。どうやら俺達は下水道から刑務所の中に登ってきたらしい。

もう一つは、この刑務所が、何者かに完全に掌握されている事だ。

牢獄は、ほとんどがもぬけの殻。おまけに捕まったはずの賞金首が我が物顔で建物内を闊歩している事からも、それは明らかだ。

そしてもう一つ。その何者かは、俺を、「黒き翼のノヴィス」を生け捕るためだけに、ここまで手の込んだことをしたらしい、ということだ。

 

ほとんど拷問に近い形で、俺は尋問を受けた。

その大半が、右手、イグドラシルに関することだった。黙秘権の行使は認めてくれなかったくせに、俺からの質問はほとんど黙殺された。最後の方に至っては、拳で返ってきたくらいだ。

しかし、巧みな誘導尋問によって得られた答えと、相手の反応とで、俺は大方の事情を理解できた。

事の発端は、サイラスの手配にまで遡る。

あれこそが、最初の罠だった。

できるだけ大きな罪状で、サイラスを手配させる。賞金稼ぎである俺が食いつくように。ぶっちゃけた話、罪状は何でもよかった。だからサイラスの行動は矛盾だらけだったのだ。

真っ昼間っから第二王子を暗殺しようとしてみたり、侍女にワザと顔を覚えさせたり、犯行現場にナイフを残していったり。

まんまとサイラスを追ってファルリーザに来た俺達を待っていたのは、偽の目撃証言。

・・・偽の?

「・・・あ、そうか・・・そういうことか・・・!」

迂闊だった。気付くべきだった。材料は揃っていたというのに。

それにあの時、ガルヴァは確かにこう言った。「ああ、エサに食いついたか」と。

当然、そのことを知っているガルヴァもグルだ。なぜかあの時の大広間にはいなかったが、連中の一味であることは間違いない。天使に復讐するとか言っていたから、その関係だろう。

そのガルヴァの行動からわかったこともある。

この刑務所を掌握している人物。

仮にも官憲の建物だ。よほどの権力の持ち主でなければ、掌握などできるものではない。

そう、たとえば、元老院の議員ほどの。

アンナマリー・サーティーン。

黒幕は、あの女だ。

 

 

「・・・ノヴィス?」

隣の牢から、ジーハーの声。

どうやら無事らしいが、その声にいつもの力がない。

「ジーハー、気が付いたか?」

「ああ・・・つっ。いてて・・・」

ごそごそと物音がして、ドスン、と壁が音を立てた。

ジーハーの巨体が壁にもたれかかった音だ。

俺も無意識に壁に背を預け、ずるずると腰を下ろした。

「・・・すまねえ・・・」

絞り出すような声で、ジーハーが呟いた。

「・・・何が?」

「だって、オレのせいでつかまっちまったから・・・」

人質になったときのことを言っているのだろう。

「勘違いするな。お前を助けるために投降したワケじゃない。魔力が無くなっただけ。それだけだ」

「でも・・・」

がっくりと肩を落とし、泣きそうな顔でジーハーは言う。

壁を一枚隔てているというのに、俺にはジーハーの表情が手に取るようにわかった。

「オレ・・・足手まといだよな・・・」

なんと言っていいのかわからず、俺は沈黙した。

牢獄の重く淀んだ空気がまとわりつく。

「・・・情報集めもロクにできねえし、考えるのもダメだ。唯一の取り柄の腕力でさえ、このザマだもんな・・・」

これは相当落ち込んでいるな。

まあ、この状況じゃ無理もないか。

俺はジーハーの次のセリフが簡単に予想できて、ため息をついた。

「・・・オレじゃ・・・おめえの相棒は、つとまらねえのかな・・・」

やっぱりか。

「オレ、いっつも足引っ張ってばかりだ。・・・はは・・・金魚のフンの方が、ナンボかマシだな」

自嘲めいた笑いが聞こえてきた。

なんだよ、それ。

ちょっと冗談のつもりで言っただけなのに、そんなに根に持つなよ。

「ルシアの方が、おめえのパートナーには相応しいかもしれねえな・・・」

勝手に決めるなよ。

俺は頭に来た。

「・・・別れようか?」

だから、そう言われたとき、俺は即答した。

「そうだな」

背中の向こうのジーハーが、息を飲んだのがわかった。

重苦しい沈黙。

時間にすればほんの一分程度のそれも、今の俺達には永遠に感じられた。

やがて、引きつるような乾いた笑いと共に聞こえてくるジーハーの声。

「や、やっぱり、そうだよな・・・。オレなんて、バカだし、弱いし・・・」

「デリカシーはないし、タバコはスパスパ吸うし、大食らいだし、底なしだし、汗くさいし、ガラは悪いし、鈍感だし」

「そ、そこまで・・・」

「おまけにホモだし、嫌がる俺をムリヤリ押し倒すし、早漏だし、すぐ嫉妬するし」

「・・・う、うん・・・その通りだな・・・。

ゴメン・・・オレ、おめえの気持ち、まるで無視して・・・いままでムリヤリ付いてきて・・・ホントゴメン」

ジーハーの言葉に、俺は傷ついた。

そうだ。傷ついたのは、俺の方だ。

「・・・ふざけるな」

「え、いや、オレ別に・・・」

「よくわかったよ。お前は、俺のことそんな風に思ってたんだな。

・・・好きでもないヤツに、組み敷かれたくらいで流されてエッチしちまうような、そんな軽い男だと思ってたんだな」

「え? でも、だって・・・」

「バカにするなよ!? 誰が好きでもないヤツに抱かれて喜ぶものか! 誰が一緒に旅なんてするもんか!

・・・残り少ない人生、どうでもいいヤツと一緒にいたいなんて、誰が思うかよ・・・!」

ヤバイ。

思わず感情をぶちまけてしまったけど、これってもしかして、告白って事になりゃしないか・・・?

いや、大丈夫。ジーハーは頭が悪くて鈍感だから、気付かないハズ。

気付いては、くれないハズ。

「ノヴィス・・・」

俺は乱暴に涙をぬぐうと、ムリヤリ心を落ち着かせた。

壁があってよかった。泣き顔なんて、見られたくないからな。

「ジーハーがそう思ってるんなら。本気で、俺とパートナーを解消したいって思ってるんなら。

・・・俺には、止める事なんてできない。さっさと、どこへでも行っちまえ!」

声が震えてるのを悟られたくなくて、俺は叫んだ。

「・・・思ってねえよ・・・。

別れたいなんて、思ってねえよ! ずっと一緒にいてえよ! ずっと、ジジイになるまですっと! 好きなんだよ・・・別れたくなんか、ねえよ・・・!」

また涙が出てきた。

でも今度のは、さっきの涙と少し違うような気がした。

「・・・だったら、もう二度とくだらないこと言うな・・・」

「悪かったよ・・・」

俺は、鉄格子の隙間から左手を出した。

それに気付いたジーハーが、右手を伸ばしてくる。

そして俺達は指を絡め合った。

壁一枚隔てているというのに、いつもより深く繋がった気がした。

 

 

「――さて。別れる別れないは別として」

「別れねえよ! もう決めたんだ。オレは、ノヴィスと添い遂げる!」

「・・・まあ、それもこの際別として」

元気になったようで何よりだが、ちょっと早まったかもしれない。

「問題は、ここからどうやって逃げるか、だ」

「うーむ。いくらオレでも、さすがに鉄格子をこじ開けるのはムリだなあ」

誰もそんなことは期待していない。

「ノヴィスの魔法は? 強力なヤツ召喚して、バアーッと!」

「ムリだ。スクロールは全部取り上げられてしまったし、召喚陣を描くものもない」

せめて鉛筆一本あってくれれば、どうとでもなったのだが、さすがに相手もよくわかっている。

今ここにあるものは、ベッドとは名ばかりの板きれ、小汚い毛布、簡易便器、飲み水を汲んであるバケツ(今は倒れてしまって空っぽだが)、そのバケツに突っ込まれたコップ。

これだけだ。

おそらく隣も同じ状況だろう。

「そっか・・・じゃあ、これって絶望的?」

「かなり、な」

コップを使ってみたが、石の床には傷一つ付かなかった。

まあ、たとえ付いたところで召喚陣のような複雑な図形はとても書けないだろうし、書いている途中で見つかって怒られる(で済めばいいが)のがオチだ。

「ど、どうすんだよ!?」

「慌てるな。幸い、ヤツらのボスはお出かけ中らしい。時間はたっぷりある」

「お出かけ中? なんでそんなことわかるんだ?」

「聞いたからさ」

取調中も、俺は犬人の聴覚をフル活用して情報を集めた。

その際、隣の部屋から聞こえてきた会話を元に、俺は連中のボスの不在を知った。

「元老院というのも、これでなかなか多忙な仕事らしい。今朝方ファルリーザを出たんだと」

「つまり、オレ達とは入れ違いだったって事か」

「そういうことだ。もう一日ずれていたら、危なかったな」

相手の目的は、俺、いや、イグドラシル。すなわち天使の拿捕だろう。

金持ちの道楽か、神聖科学の研究かは知らないが、実験動物にされるのはまっぴらだ。

アンナマリーが返ってくる前に、とんずらしなくては。

「でもよお。時間なんてあったって、解決にはならないんじゃねえのか?」

ジーハーが、不安げに言う。

「・・・そうでもないさ」

俺は、さらけ出されたままの右手を見ながら、そう答えた。

 

 

三日が過ぎた。

地下牢に幽閉された身で正確な時間を知るすべはないが、出された食事の回数とイグドラシルの活動で割り出せる。

そう。

クスリを取り上げられた俺は、毎晩イグドラシルの侵蝕に曝されていた。

満月の晩と違い、それほど痛みがないというのが、不幸中の幸いか。

だがしかし、肘までだった侵蝕範囲は、この三日だけで上腕部にまで拡大し、一番深い根に至っては、肩口まで登ってきている。

「腹減ったなあ・・・」

今の俺の姿を見たら、卒倒しかねないジーハーが、何も知らずに呑気に言った。

「ほれ」

俺は残しておいたパンを鉄格子越しにジーハーに手渡す。

「え? ・・・いいのか?」

「いいよ。俺は元々小食だし、内蔵壊してからは、まともに食えない状態だしな」

正直言うと、腹は減っていた。だが、それ以上に食欲が無かった。

食べたものすべてが、イグドラシルの栄養になってしまうような、そんな錯覚を覚えて。

「でも、ムリにでも食っといた方がよくねえ?」

「いいんだよ、別に。俺の代わりに、しっかり食べて力付けておいてくれ」

「お、おう。悪いな・・・」

ジーハーはおずおずと手を差し出してパンを受け取った。

俺は苦笑し、ベッドに横になった。

「・・・なあ、ルシアのヤツ、大丈夫かな?」

「大丈夫だよ」

「でも、女だからな・・・ひどいことされてねえかな・・・?」

「大丈夫だって。あの女の心配をする必要はない」

「え? ・・・ノヴィス?」

俺の言葉に不穏な気配を感じ取ったのか、ジーハーが問いかけてきた。

「そんなことより、俺はお前の方が心配だね」

なにしろ、連中にとってジーハーには利用価値がない。

いつ殺されてもおかしくない立場なのだ。

そのことをわかっていないジーハーが、不思議そうに答える。

「オレ? オレは元気だよ。傷もすっかり治ったしな。そう言うおめえはどうなんだよ?」

「俺? ・・・元気だよ」

皮肉なことにね。

心の中でそう付け足す。

本当に皮肉だった。

クスリを飲まなくなった俺の身体は、ここ三日あまり絶好調と言っていい。血も吐いていない。

同時にイグドラシルも絶好調だった。この分だと、あと一ヶ月もしないうちに、コイツの根は俺の脳に到達するだろう。

「そっか。よかったな」

嬉しそうに言うジーハーの言葉が、痛かった。

 

イグドラシルが本格的に侵蝕を始めたのは、その日の晩だった。

「・・・思ったより、早いな・・・」

脂汗を流しつつ、俺はひとりごちた。

今日だけは、正気を失うわけには行かない。

悪いが、その力、利用させてもらう。

「? ノヴィス? どうした?」

やたら遠くから聞こえてくるジーハーの声。

今俺の耳には、イグドラシルの根が体中を這いずり回る音が不気味に響いていた。

「なんでも・・・ぐっ! あああああああっ!」

肉を食いちぎられる激痛に、俺は叫んだ。

ようやく自体を察知したジーハーの声が、緊迫に染まった。

「――侵蝕!? まさか! まだ満月じゃねえだろ!?」

「うううっ! っぐうう!」

「なんで・・・! まさか! クスリ飲んでねえのか!?」

がしゃん、という音が聞こえた。

ジーハーが、鉄格子を掴んで揺すっているのだろう。

「おい! だれか! 誰か来てくれ!」

俺は胎児のように身体を丸めたまま、その声を聞いていた。

腕が痛い。

それ以上に、心が痛かった。

精神を、頭からバリバリ食べられているような、そんな恐怖が俺を責め苛む。

この感じは錯覚なのだろうか。ひょっとしたら、本当に心を食べられているんじゃないか、という気さえする。そのうちに、なにもかも、恐怖も悲しみも、喜びさえも感じられなくなるんじゃないのか?

俺が俺でいられなくなるというのは、どんな感じなのだろう。

何もかも全部・・・ジーハーのことも、忘れてしまうのかな。

「おい! 何をしてる!?」

騒ぎを聞きつけた牢番がやってきた。

いつか俺のことを足蹴にした牛人だ。

牛人らしく、逞しい身体。ジーハーに勝るとも劣らない巨体の持ち主だった。

「クスリを! ノヴィスのクスリを返してくれ! あれがないと、コイツは・・・!」

「・・・クスリだと?」

「があああああああああっ!」

俺の悲鳴に、牛人はビクッと身体を縮めた。

「う、うるさいぞ! 少し静かに・・・!」

丸めたままの俺の背中に、激痛が走る。

あるはずのない痛み。実際に皮膚を引き裂くわけでもないのに、理不尽だ。

ポケットティッシュのミシン目をパカリと割るような感覚で俺の背中が開き、黒き翼が具現化する。

「・・・!」

バサリ、と大きく広がる闇の翼を目の当たりにし、牛人が声を失った。

俺の右手が、いや、イグドラシルが跳ね上がって、そいつを睨み付ける。

恐怖に引きつった顔。

俺の顔は床に伏せたままだというのに、その光景が脳裏をよぎった。

錯覚・・・? それとも、イグドラシルの瞳に映った映像が、俺の視神経に流れ込んできているのか・・・?

「ば、化け物・・・!」

イグドラシルの瞳が、スッと細くなる。

同時に、床に伏せたままの俺の顔が、酷薄な笑いを浮かべた。

「このっ! 化け物がっ!」

牛人が腰のホルスターから銃を抜いた。

「やっ、やめろぉぉっ!」

ジーハーの悲鳴。

――銃声。

 

 

銃弾は、すべて闇の翼に防がれていた。

いまさらこんなもので死ねるくらいなら、最初から苦労はしていない。

守るように身体を覆っていた翼を開くと、澄んだ音色を立てて銃弾が落ちる。

そしてイグドラシルは、その根を伸ばした。

俺の右腕の皮を突き破り、血肉をまき散らしながら。

牛人の身体に巻き付く、黒き天使の枝根。

 

――そして、いつか見た夢の光景。

 

前回と違う点は、相手がジーハーではなく、見知らぬ牛人だったということ。

そして、今回の出来事は決して夢などではなく、正真正銘現実に起きた事。

付け加えるなら。

立ち上がった俺は、顔に降りかかった返り血を舐めて、凄惨な表情で嗤っていた。

 

 

イグドラシルの根が牛人の屍肉に潜り込む。

どくん、どくん、と脈打って、イグドラシルは血を吸った。

俺の身体に、牛人の命が流れ込んでくる。

「やめろ・・・! やめてくれ・・・!」

ハッと我に返り、俺は左手で頭を抱えた。

気持ちが悪い。

人の生命を吸収するなんて。

――綺麗事を言うな。

俺の頭の中に、俺の声が響く。

――俺は多くの生命を貪って、その犠牲の上にあぐらをかいているんだ。今更人間の一人や二人食ったところで、俺の罪の重さは変わらない。

そうだけど。

そうかもしれないけど。

他人の命を吸い上げる事が、こんなにも気色の悪いものだったとは。

こんなにも息苦しいものだったとは。

こんなにも、扇情的なものだったとは。

「・・・ノ、ノヴィス・・・?」

ジーハーの声に、俺は再び我に返った。

自分でも驚くほどに、興奮していた。

イグドラシルが根を引き抜くと、変わり果てた牛人の骸が、ぐしゃりと床に崩れた。

「お、おい、おめえ、い、今・・・何を・・・」

「行こう」

俺は無理矢理ジーハーの言葉を遮った。

牛人の遺体をまさぐって牢のカギを探し出し、鉄格子を開ける。

ついでにジーハーの牢も開けて、俺達は久しぶりに解放された。

「だ、大丈夫なのか・・・?」

「ああ」

牛人の命を吸ったことで満足したのか、イグドラシルの侵蝕は収まっていた。

ミイラになった牛人から銃を奪い、動作確認をしてみる。

マガジンを引き抜くと、まだ充分な弾丸が残っていた。

俺はマガジンを装填し直し、スライドを引いて初弾を薬室に放り込む。

「行こう」

もう一度言って、俺は歩き出す。

ふと牛人を振り返り、

「ごちそうさま」。

その言葉は、俺が言ったものなのか、はたまたイグドラシルが言ったものなのか。

 

 

「ここから先、俺は全くの役立たずだ」

一応銃で武装はしたが、射撃の腕は良くない。

魔法の使えない魔法使いなど、ただの犬だ。

イグドラシルの力も、自衛にしか使えないし。

「お前の自慢の腕力に期待しているよ」

俺がそう言ってジーハーの肩を叩くと、彼は嬉しそうに笑った。

「おう! まかせろ! 汚名挽回してみせるぜ!」

・・・・・・。

「・・・その言葉は、実績を上げた者の言う言葉だ」

「キッツイなー」

俺の皮肉の真の意味を理解できていないジーハーが、頭を掻いた。

まあいい。

「とりあえず荷物を探そう。召喚のスクロールさえ取り戻せば、こっちのものだ。それより先に地上に出られるようならそれでもいい。空を飛んで逃げよう」

「ルシアはどうするんだ?」

・・・・・・。

「騒ぎを聞きつけたら、やってくるさ」

「なるほど、混乱に乗じて、ってやつだな」

「そういうこと」

もちろん、騒ぎを起こさずに脱出できればそれに越したことはない。

俺は目立つ翼を畳むと、なんとなく姿勢を低くして走った。

ドアに張り付き、向こうの様子を探る。

「いるか?」

「・・・いるな。・・・一人、二人・・・いや、三人だ」

「三人か」

「一人は俺が片づける。後の二人は任せた」

「おう」

俺は手の中の拳銃を握りしめると、ノブを回す。

勢いよくドアを開けると同時に部屋の中に踏み込んで、銃を構えた。

「――なっ!?」

突然の闖入者に声を上げる番人共。

犬人が二人に、虎人が一人。例の白虎の姿はない。俺はホッとした。

「ハァッ!」

ジーハーが、手近な犬人に襲いかかる。

俺は一番離れた場所にいた虎人に狙いを定め、引き金を引き絞った。

たん、たん、と静かな銃声と共に銃が震えると、虎人は胸を押さえてのけぞり、テーブルの上のものを払い落としながら床に倒れた。

「・・・あ、当たった」

ちょっと意外だった。

薄く煙の上る銃口を唖然として見つめていると、ジーハーの仕事も終わったらしい。

残った犬人が床に倒れる音で、俺は我に返った。

「・・・お疲れ。先を急ごう」

「まあ待てよ」

俺の肩にシャツが掛けられる。

倒れた男から剥ぎ取ったものらしい。

「そんなカッコでいたくねえだろ?」

それは多分、イグドラシルをさらけ出したまま、という意味なのだろう。

「・・・ありがとう」

「へへへ」

素直に礼を言って、俺は袖を通した。

ジーハーが着られるサイズの服は、無かった。

 

 

とまあ、ここまでは上手くいったのだが、さすがに最後まで見つからず脱出するというのは無理な相談だった。

やがて刑務所内にけたたましい警報が鳴り響き、俺達の脱走は白日の下にさらされた。

どかどかと、廊下の向こうから大勢の足音が響いてくる。

「ちっ」

俺は覚悟を決めた。

なりふり構っていられる場合ではない。天使の力を解放してでも、逃げ切ってやる。

「ノヴィス! こっち!」

俺はジーハーに手を引かれ、近くの部屋に引き込まれた。

物置のような部屋だった。

っていうか、これでは袋のネズミだ。

「お、おい! こんなところに逃げ込んでも・・・」

「いいから隠れてろ。オレが全部片づけてやる」

「無理だ。いくらジーハーでも・・・」

そのとき、俺の視界に見慣れたリュックとズタ袋が飛び込んできた。

間違いない。俺達の荷物だ。

「でかしたぞ! ジーハー!」

「え? お、おう!」

俺は取るものもとりあえず、リュックを開き、スクロールを取り出した。

水色が一本、茶色が一本、赤色が一本。

「出し惜しみしてる場合じゃないな。始めっから飛ばしていくぜ!」

俺は手にしたスクロールを、床に広げた。

色は茶色。

「――徐は生命を刈る毒の化身。冥界の墓土の中より出でよ、『有害なる』スカルミリョーネ!」

広げたスクロールがボコボコと泡立ち、立ちのぼる毒の霧の中から幻獣が現れた。

ローブを纏った、長い白髪のスケルトン。

そのドクロは、異様に発達した牙と角で飾られている。

『悪意の』バルバリシアに並ぶ、最強クラスの幻獣。

『有害なる』スカルミリョーネ。

「さあ、行こうか」

俺は手早く服を身に纏うと、ジャケットの裾を翻した。

「――反撃だ」

 

 

 

 

モドル            →雑談へススム

 

 

 

 

作者注・冒頭のアレはネタですから。