マンガ時評vol.44 98/10/22号

瀬戸際の『るろうに剣心』。

 薫の凄惨な死は相当の衝撃を全国のファンに与えたと思います。そして実は死んでいなかった、という落ちに「反則だ」と怒ったファンもまたかなりの数にのぼると思われます。現在の少年ジャンプで最も安定した人気を誇っている和月伸宏『るろうに剣心』。それゆえにジャンプの現状を良くも悪くも写している鏡のような作品だと僕は考えています。

 この作品は幕末に「人斬り抜刀斎」と恐れられた1人の志士が、「不殺(ころさず)」の誓いを立て、明治初期の東京を舞台に(京都まで出張したこともありますが)、悪と戦いながら自らの魂の救済を目指すネオ剣豪マンガです。時代設定が特異なだけに、ややもすると異色作品と思われがちですが、実はジャンプの方程式に則った正統派少年マンガです。ヒーローの剣心は無闇やたらと強いにも関わらず、その出自のためからか戦いを好まない穏健派で、しかしその強さゆえに戦いに巻き込まれていくという、いかにもありがちなヒーロー像ですし、かつて命をかけて戦った敵がその後の良き協力者となったり、話が進むにつれて敵が強大になっていく「ライバルのインフレ化」現象もきちんとあって、いかにもジャンプワールド。作品がヒットするにつれて、脇役の面々のエピソードも丹念に作り上げて紹介し、作品世界に厚みを持たせるあたりも安定感が感じられます。

 もちろん、ジャンプ的世界を象徴しているのは長所ばかりではありません。どんどん敵がインフレ化するにつれ、時代考証も物理学も全く無視されている『アストロ球団』的ハチャメチャさが顕著になってきましたし、「京都編」で登場した最強の敵・志々雄真実と十本刀との対決が終わってからは、作品を終わらせる時期を見失って無理矢理引き延ばされた過去の名作たちの悲惨な最期を予感させます。しかもヒロイン・薫の死(結果的には嘘だったとしても)に見られるような、少年誌とは思えないような凄惨な描写。刺激的な展開やシーンを求めるあまり、ついつい過剰になってしまうあたり、今までの少年ジャンプ作品の多くに共通してみられる末期的な症状と同じです。

 ただ薫の惨殺シーンはいかにも表現として過剰だったと思いますが、剣心の心の救済を見せていくためには、現在のストーリーは必要な展開だとも考えられます。先ほど「終わる時期を見失って」と書きましたが、単に作品の大団円をめでたく迎えるだけなら確かに「京都編」で終わっておけば良かったと思います。しかし剣心が真に「人斬り抜刀斎」から脱却するところを描くのなら、薫を殺されながら、そこから剣心がどのように再起し、心の救済を得ていくのか、というここをうまく描ききることです。それができればこの『るろうに剣心』の主題を描ききったことになります。そういう意味では、今こそがこの作品の山場だとも考えられますね。

 ところで最初に『るろうに剣心』はジャンプの現状を映す鏡のようだと書きました。実際、現在のジャンプは落ち込んでいく人気を回復するために、いろいろな挽回策を講じていますが、結局それはより過剰な表現へと向かっているだけでは、という気がします。少年誌としての節度を失ってより過激なバイオレンス&エロスな方向に突っ走っています。ただ、救いはそれでも剣心と同じく、表現は過剰でも内容は昔ながらの「友情・努力・勝利」を守っているところでしょうね。例え青臭いと思われても、少年誌として守るべきものはあるはずです。青年誌のようにシニカルになったりアナーキーになったりしたら、もはやジャンプは少年誌ではなくなることでしょう。瀬戸際の剣心、そして瀬戸際のジャンプがここでどう底力を示して踏ん張るか。しばらくはその苦闘ぶりを応援したいと思います。