マンガ時評vol.39 98/6/14号

槇村さとるは、70年代そのままに。

 僕たちが青春していた1970年代(僕は1961年生まれです)と言うのは、団塊の世代が中心となった熱い学生運動が終結し、「しらけ」という言葉が広まっていった時代でした。政治的な活動に興味を示し積極的に活動する友人もいないわけではありませんでしたが、音楽の世界でもメッセージ性の強いフォークソングが「四畳半フォーク」へと変化していったように、社会よりも個人生活へと意識と興味が移っていった、そんな時代です。特に70年代の後半と言うのは、ユーミンに代表されるような、それまでのビンボー臭い青春のイメージから、ぐっとお洒落に、そして物質的豊かさを伴って若者文化が表現されるようになってきました。モータリゼーション化が進み、雑誌ポパイに影響されて西海岸がブームになったりして、僕たちの青春は白けてはいたものの、今から思えばそれなりに明るく前向き、積極的であったと思います。

 今も『イマジン』『おいしい関係』というヒット作2本を同時に発表し続けるバリバリ現役の作家槇村さとるは、実はそんな70年代の気分を代表する僕たち世代の少女マンガ家です。彼女がデビューした70年代半ば、少女マンガの主流は乙女チックな恋愛マンガでした。集英社系の陸奥A子、田淵由美子、太刀掛秀子を代表に、前原滋子、文月今日子、大和和紀あたりも当時は乙女チック路線だったと思います。そんな中、同じ集英社系でも槇村さとるのヒット作『愛のアランフェス』はフィギアスケートを舞台に、お洒落でかつ熱さと優しさを持ったひと味違う恋愛マンガでした。さらに『ダンシング・ジェネレーション』『NY★バード』の2本のダンスマンガで、一気に槇村さとるは大ブレイク。乙女チック路線には感じられないアダルトテイストとリッチさ、そして地に足ついた現実味が、当時の槇村マンガの魅力でした。

 槇村マンガの印象は、僕の中ではユーミンや雑誌ポパイのイメージと妙にかぶります。80年代初頭、田中康夫の『なんとなくクリスタル』という奇妙な小説が話題を呼びますが、まさにあの「なんくり」を産むための助走をしていたのが70年代後半でした。そこでもう一人、当時の気分を代表する少女マンガ家がいます。吉田まゆみです。大和和紀や庄司陽子と並ぶ当時の講談社系の看板作家でしたが、吉田まゆみはそれよりも圧倒的に「ナウ」でした。彼女が『年下のあんちくしょう』『れもん白書』『れもんカンパニー』『BDフィーリング』とヒット作を立て続けに連発していた70年代後半。彼女は作品にテレビのアイドルたちのファッションや小物、ヘアスタイルなどをいち早く取り込み、常に最先端のお洒落情報を発信していました。そして彼女の描く恋愛もまた、現実感あふれるもので、やはり乙女チック路線とはひと味違う恋愛マンガでした。吉田まゆみと槇村さとるは全然異なる世界を描く作家でしたから、当時からこの2人が並べて比べられたことはなかったと思いますが、少なくとも僕の中ではともに当時の空気を描いていた作家だったのです。

 しかし、80年代から90年代へと時代が進むにつれて、槇村さとると吉田まゆみは差が開いていきます。槇村は時にコメディ、時にサスペンスを描きながら、それまでのスポーツ路線から徐々により幅広い展開を見せます。「いま」を描くのではなく、「いま」を舞台にした人間の可能性を描くスタイルを定着させていったのです。それが現在の『おいしい関係』『イマジン』へとつながっているわけですが、対して吉田まゆみはいつまでも「いま」の気分を描くことにこだわり続け、大きく世界を展開させることを阻んでしまいました。松尾芭蕉の言葉に「不易流行」というのがあります。簡単に言えば「不易」は変わらないもの、「流行」はその時の気分、と言うような意味でしょうか。その二つがあって世の中は成り立っているのですが、槇村は「不易」を見出すことに力を注ぎ、吉田は「流行」を捉えることに腐心したのだと思います。その手法の差が現在の槇村と吉田の作品の面白さの差だと思います。

 描く世界は変遷しつつも、根っこのところでは70年代のままに、夢と理想を正面から描き続けている槇村さとるワールドは、いつまで経っても「ああ、少女マンガはいいなぁ」と思わせてくれる力があります。ユーミンが20年以上にわたって日本の恋愛シーンをリードし続けてきたように、槇村さとるにもこのまま21世紀まで現役で頑張って欲しいと願っています。