マンガ時評vol.24 97/10/12号

本宮ひろ志はいつまでも『俺の空』の夢を見る。

 週刊モーニングで本宮ひろ志の新連載『旅の途中』が始まりました。2週連続で表紙に登場するくらい気合いの入ったスタートですが、果たして内容は僕が危惧していた通り、相変わらずの本宮節で、ここまで見たところ何ら新味はありません。高校野球界の大物選手が、突如東北の片田舎の高校に転校して、そこで女絡みの騒動を巻き起こす。すでにそれらしい女性キャラクターも登場していますし、ライバルらしい男も出てきています。あくまでも泰然としている主人公と、右往左往している周囲の人物たち。とりあえず読者サービスのSEXシーンも第1回からありました。もう雰囲気的にはすっかり平成版『俺の空』です。

 本宮ひろ志の黄金時代は、1970年代後半、『硬派銀次郎』や『俺の空』を描いていた時期でしょう。『男一匹ガキ大将』以降、ひたすら成り上がっていく上昇志向の熱血型主人公を描いていた本宮が、熱血ながらちょっと肩の力の抜けたキャラクターを描き始めた頃です。それまでの高度成長時代から安定成長時代にと移り変わっていく時流にうまく乗って、大きな幸せではなく、小さな幸せを求める主人公の設定が巧妙で、読者の人気を獲得、ヒット作を連発しました。ところが、その中で最高のヒット作となった『俺の空』が彼の作家生活の分水嶺となってしまいました。

 『俺の空』は週刊プレイボーイに連載された青年マンガです。とにかく主人公の目的が「理想の嫁さがし」、つまり手当たり次第に女をあさり続ける、というものでしたから、作品中ひたすら主人公は女とSEXしまくりです。これが読者に受けました。そりゃそうです。金はふんだんにあって(主人公は大財閥の御曹司)、時間もふんだんにあって(なにせ放浪中)、考えていることは女のことばかり。で、実際もてまくりですから、まさに男の理想です。極楽です。お伽話の世界です。

 そう、本宮ひろ志のマンガは基本的に男のお伽話なのです。男の子が日々妄想しているような下らない、けれどもとっても切実な夢をマンガの世界で実現してくれているのが本宮マンガです。読者の欲望をそのままマンガ化している本宮マンガは、だから読者に受けもしますが、逆にそれが足かせにもなってしまいました。だって男の欲望はいつでもワンパターンです。その世界を描いていればすぐにマンネリになってしまいます。でも本宮にはそれ以外のマンガはもう求められなくなってしまっていました。また本宮もそれ以外のマンガが描けなくなってしまったようです。もともと大した画力があるわけでもストーリーテラーなわけでもありません。読者サービスに徹して人気を得ていた作家だけに、今さら自分の世界観をマンガで展開できるわけでもありません。これはある意味、アンケート至上主義の少年ジャンプ草創期を支え人気を博したジャンプ的マンガ作りの申し子、本宮だからこその皮肉な結果なのかも知れません。

 『俺の空』以降、もちろん本宮はいろいろな作品を描いてきました。政治マンガも歴史マンガも宗教マンガも描きました。しかしどれもこれもヒットしないままに10数年が経過。結局本宮が戻ってくるのは『俺の空』の世界しかないのでしょう。でも当時「抜ける」マンガとして人気を博した『俺の空』と同じ世界を、今の時代に蘇らせても同じ人気が得られるとは思えません。ビニ本がようやく登場し始めた当時と違い、今やAVビデオが氾濫し、インターネットで無修正画像も手に入り、アイドルもヘアヌード写真集を発売する時代です。それだけあっても70年代に比べれば男の子のリビドーは低下の一途を辿っているという噂も聞こえてきます。男の欲望を肯定的に描く、その手法自体はまだ有効だと思いますが、そこにどれだけマンガとしてのプラスアルファを加えられるか、それなくして本宮の復活はあり得ません。『旅の途中』の旅の先行きに多大な不安を見てしまう僕は、単に年をとって男の欲望が薄くなってきたからだけではないと思いますが、どうでしょうか。