マンガ時評vol.23 97/9/29号

『ギャラリーフェイク』は『ブラックジャック』を超えるか。

 マンガ界におけるヒーロー像にもさまざまなタイプがあります。いかにも超人的な世界公認型ヒーローもいますが、ドジで憎めないけど、時として凄い力を発揮する「眠れる獅子」タイプや、本当は平穏な社会にいたいのにトラブルに巻き込まれてしまう「ダイ・ハード」タイプのヒーローだっています。どんなヒーロー(時にはヒロイン)を生み出すかで、その作品の方向が決まってしまうと言っても過言ではないでしょう。熱血かクールか、チームプレイ型か単独行動型か、上昇志向か、アウトローか。

 そんな様々なヒーロー像のひとつに、クールで単独行動でアウトローな、神業的テクニックと知識を持ちながらダーティヒーローとして世間に理解されずに孤独に生きていく偽悪者系職人ヒーローたちがいます。『ブラックジャック』を開祖とし『ザ・シェフ』『スーパードクターK』『ギャラリー・フェイク』と言った作品の主人公たちがそうです。主人公たちは神がかりの技術を持つプロ中のプロ。しかしその技術の高さに比例するだけの桁外れの報酬を要求したりするために、ダーティという汚名を着せられアウトローに甘んじている、と言うよりは、自ら好んでアウトローになっているんですけどね。パターンとしては皆『ブラックジャック』と同じです。さすが手塚先生はエライ!と言われるわけです。

 現在ビッグコミックスピリッツに連載中の『ギャラリーフェイク』は鬼才細野不二彦が、いかにも彼らしい洗練された絵と巧みな構成、豊富で深い知識で読ませる美術マンガです。『ブラックジャック』以降、この手の偽悪者神業職人ヒーローものでは最高の洗練度を誇っていると思われる秀作です。主人公のフジタは、贋作画廊の経営者・悪徳な裏の画商として美術界では鼻つまみ者。しかしかつてはメトロポリタン美術館最高のキュレーターにして天才的修復家としても有名という、いかにも『ブラックジャック』的ダーティヒーローの設定です。しかし、連載を読んでいればすぐわかるように、フジタは全くの悪人ではありません。と言うより、かなりいろいろと損もしていて、どっちかと言えばお人好しですらあります。ただ美術に対する深い尊敬と頑固な信念があるために、美術を食い物にする連中と対立するだけのことで、このあたりは、もっとドラマッチックにアウトロー化している過去の同ジャンルの作品の主人公とは違います。そう、この作品にはヒーローを巡り絡み合う人間関係や人生模様はあまり見あたらないのです。

 『ギャラリーフェイク』の面白さは、ドラマチックな人間関係やストーリー展開にはありません。それよりも圧倒的なフジタの、つまり作者の美術に対する知識の深さに、一種の芸を見るような感動を覚える作品です。ちょうど『美味しんぼ』の食に対するこだわりと知識の深さに興奮を覚えたのと同じような面白さです。このあたりが『ブラックジャック』とは、ちょっと違います。『ブラックジャック』の場合は、確かに医学に対する知的興味もありましたが、それよりももっと哲学的かつ倫理的な生命や医学に対する問いかけがテーマでした。つまり『火の鳥』などにも共通する手塚哲学の展開の場だったわけです。『ギャラリーフェイク』や『美味しんぼ』にも、美術や食に対する哲学めいたこだわりはありますが、それよりももっと純粋に知的好奇心をくすぐられる「芸」の部分に面白さがあるのは自明です。

 もっと端的に言えば『ギャラリーフェイク』の世界は、より「おたく」的なのです。美術のためなら命も投げ出せるような人々の、趣味の世界へのこだわりを描いているわけですから、命そのものに対する考察を続けていった手塚治虫とは方向性とスケールが違います。『ブラックジャック』の設定を借りてこそいても、本来の描きたいところは哲学ではなく、アウトローな人生でもなく、よりこだわりの職人芸の世界なのです。この違いは作者の資質の差もありますが、時代の違いも大きいと思います。昔より今の方が、時代自体が「おたく」なのです。そして、より狭い世界の中でのこだわりを描く『ギャラリーフェイク』がコミック史的観点から『ブラックジャック』よりエポックメーキングな評価を得られるとは思えませんが、エンターテイメントとしてどちらが面白いかは、かなり意見の分かれるところだと思います。それほど細野不二彦自身は、フジタに負けないほどの職人的技術を持っているのだと言えます。天才的職人だからこそ描ける天才職人の世界。『ギャラリーフェイク』は、まさにそんな天才の技です。