マンガ時評vol.20 97/8/12号

フィクションとノンフィクションの狭間。

 週刊少年マガジンが最近ますます勢いづいているようです。いかにもマガジンらしいヒット作だった『特攻の拓』は終了してしまいましたが、『金田一少年の事件簿』『はじめの一歩』『シュート!』『サイコメトラーEIJI』『GTO』『将太の寿司』などの看板作品はますます円熟期に入り、しばらくは隙のないラインアップと言ってもいいでしょう。とにかく幅広いジャンルの作品が高いレベルで揃っていて、このままいけばジャンプを逆転する日も近いと思われるほど充実した連載陣です。

 ところで、この好調の波に乗ってかどうか、最近マガジンが秘かに(?)進めているのが、NEOドキュメンタリー路線とでも言うべき、かなり誇張・デフォルメした一種のノンフィクション作品群があります。元をたどればあの『空手バカ一代』まで遡ることができるこの路線は、実話をベースにはしていても、かなりフィクションが入っていて、どこまで嘘やら本当やら、というマガジンが連綿と伝え続けてきた独特のスタイルのマンガです。マガジンの低調期にはあまり見られなくなっていたと思うのですが、最近はまたかなり復活傾向にあるようで、マガジン急上昇の誘因になったと思われるあの『MMR』シリーズを始め、夏になると必ず何回か登場する戦争実録シリーズ、そして現在連載中のものでは『TENKA FUBU 信長』『勝負師伝説 哲也』などがあります。

 この路線の特徴は、とにかく内容は子ども騙しながら、迫力だけは無敵なまでにあるところです。例えば『TENKA FUBU 信長』。少し歴史を知っていれば、いやそれほど知らなくても「そりゃないだろ」の連続のマンガです。この間など、信長と浅井長政がいきなり直接対決(比喩ではなく、まさに三国志のような一騎打ちです)をしていました。今も竹中半兵衛が単身武田へ間諜として潜入し信玄と直接会ったりしています。まあわかりやすいと言えばわかりやすい、ゲーム『信長の野望』をそのままコミックにしたようなものだ、と言えばそうなんですが、それにしても実際にこうして描かれるとかなり無茶苦茶です。

 連載がスタートしたばかりの『勝負師伝説 哲也』も、あの作家・阿佐田哲也をモデルにしたギャンブラーもので、こちらはより『空手バカ一代』に近い路線ですが、どこまで本当かと言えば、ほとんどデフォルメしたフィクションでしょう。両者ともベースになる実話はあっても、そこから先の演出は、とにかくドラマ優先・面白さ優先で、もしそれを鵜呑みにして信じる子どもがいようがお構いなし、という強引さです。恐らく教育関係者や専門家が見たら卒倒するようなデタラメさ加減(まあMMRシリーズなどその最たるものでしょうが)ですが、そんなことより受けるかどうか、を基準に考えるマガジンならではの単純な論理が、今の強さになっていることも確かです。

 ここで児童マンガの理想論を語るのは簡単ですが、発行部数の論理の前にはあまり意味をなしません。しかし、ではマンガとして本当にこれらの作品は面白いのでしょうか。僕自身、マンガを考える時の基準はいつもそこにあるのですが、正直言ってマガジンの誇る純粋なフィクションの連載陣に比べて、『TENKA FUBU 信長』『勝負師伝説 哲也』は大して面白いとはとても思えません。確かに世の中にはフィクション以上に面白い現実があります。しかし、それはやはり現実だと思うからこそ面白いのであって、作り話だとしたらかえって嘘臭くて話に身が入りません。ところがこのノンフィクション路線は、実話の面白さに甘えて、マンガとしてのリアリティの追求をすることにかまけています。そして、どうでもいいようなフィクションを安易に加えているので、ノンフィクションとしてもフィクションとしても脇の甘い作品になってしまっています。その点、純粋なフィクションは、ノンフィクション以上にリアリティを感じさせる演出を追い求めながら、その中で面白い嘘の世界を構築しているわけですから、その作品作りは実に厳しいものを感じさせます。魅力的な(=騙せる)嘘をつくのには、どれだけ本当らしさを感じさせることができるか、が勝負なのに、実話をベースにしているからと、そこを詰めきらないでなあなあにしている作品は、それゆえに魅力的な嘘もつけなくなっているようです。そんなフィクションとノンフィクションの狭間で落ちこぼれているようなマンガが、面白いわけがありません。

 そう思うと、やはり梶原一騎は天才だったんですね。実話を元にしながら、あれだけ厳しく壮大な嘘の世界を構築していける才能というのは、半端なものではありません。マンガ家及びマガジンの編集者は、もう一度梶原一騎を読み直して出直してきなさい、と言いたいです。