マンガ時評vol.17 97/6/27号

『エロイカより愛をこめて』に見るスパイの生き残り大作戦。

 東西冷戦が終わってもっとも割を食ったのは、各国のスパイではないかと想像されます。CIAもKGBもMI6もモサドも(内閣調査室はどうか知らないけれど)、きっと大リストラが行われているのでしょうね。もっとも現実のスパイの実態は僕たちにはよくわかりませんが、フィクションの世界では本当にみんな苦労が続いています。映画を見ていてもスパイ映画は敵の設定に苦心しています。最近の『007』シリーズなど設定がちまちまとしているし、『今、そこにある危機』にしろ『ミッション・インポッシブル』にしろ、映画としてはそこそこ面白いとは思うのですが、どうしても昔よりダイナミズムが失われている気がします。日本のマンガ界でも事は同様。僕が少女マンガの中で三本の指に入るほどお気に入りの作品『エロイカより愛をこめて』も、以前とは違った苦労を強いられています。

 少女マンガ界の金字塔『エロイカより愛をこめて』は、もともとは金髪美形の“伯爵”こと大泥棒エロイカの物語でしたが、すぐにサブキャラだったはずの黒髪サド目の“鉄のクラウス”ことNATOの情報将校エーベルバッハ少佐に主人公の座を奪われてしまいました。以前の物語は少佐がソ連KGBのスパイ“子熊のミーシャ”ら敵役を相手に大活躍するスパイマンガに変身。ヨーロッパをはじめ世界各国を股に掛けた少女マンガらしからぬ痛快なアクションコメディとして大ヒットしました。

 しかし好事魔多し(使い方合っているか?)。作者青池保子が中世スペインの残酷王ドンペドロの物語『アルカサル〜王城』にかまけているうちにベルリンの壁は崩壊し、東西冷戦は終結、少佐は活躍の舞台を奪われてしまったのです。このまま『エロイカ〜』は描かれずに終わってしまうのかと思われファンもがっくりしていたところ、数年のブランクを経てようやく昨秋からまた連載が再開されたのです。

 ファンとして気になるのは、いったい少佐はこの先何を相手に闘うのか、ということでした。しかし、心配は無用、少佐は相変わらず元気はつらつと、かつての敵ミーシャらとも表向き共闘を組んだりしながら、テロリストらを相手に頑張っていました。もっとも少佐自身は相変わらずだったのですが、敵が小物になった分、少し役割が変わったかな、と思ったのは伯爵です。

 伯爵は本来主人公だったのに、再開以前は本当に影が薄く、部下のジェームス君のボケばかりが目立っていました(ちなみに伯爵とその部下は、かつてのハードロックバンド“レッド・ツェペリン”のメンバーがモデルになっています)。しかし、再開後は見事にストーリーを引きずり回してクチャクチャにする狂言回し的存在として復活を果たしています。大相撲で、貴乃花がいくら強くても曙の存在がないと盛り上がらないのと同様、やはり伯爵と少佐が均等の重さで動き回ってくれないと、『エロイカ〜』は面白くありません。作者は多分好みで少佐を中心に描いてしまうのでしょうが、青池保子の他のマンガと違って、この作品が際立って評価を受けているのは、やはり伯爵と少佐、ボケと突っ込みのバランスの良さゆえだと思います。ベルリンの壁が崩壊して、スパイマンガとしての存在が危うくなったからこその伯爵の復権かも知れませんが、雨降って地固まる(使い方合っているかなぁ)とでも申しましょうか、再開後の『エロイカ〜』はますます好調。世界を舞台に活躍する伯爵と少佐の姿をいつまでも拝んでいたいものです。