マンガ時評vol.15 97/5/29号

時代を切り取るか、人生を切り取るか。

 先日のビッグコミックオリジナルに掲載された高橋留美子の短編『おやじローティーン』。単身赴任にショックを受けたお父さんが一時的に退行現象を起こしてローティーンになってしまい、家族がおたおたするヒューマンコメディです。これだけ聞くと大して面白くなさそうですが、書き手は短編の名手高橋留美子、さぞや面白い作品に仕上がっているかと思いきや、実に凡庸な作品でガックリしました。これは一体どうしたことでしょう。かの『Pの悲劇』のような痛快かつ感動の短編を得意としている高橋留美子が。

 現在彼女が少年サンデーに連載している『犬夜叉』も、得意の怪奇時代コメディ(そんな分野があるのかどうかはともかく)なのに、こちらもいつまで経っても調子が上がってきません。キャラクターの設定やストーリー展開がいつまでも中途半端で、いい加減に面白くなってこないと、ジャンプなら打ち切られるぞ、って感じです。かつて黄金時代を支えた高橋留美子がこれでは、サンデーに日が当たるのもなかなか先の話になりそうです。

 もう一人、女性漫画家で最近つまらなくなってしまったのが、柴門ふみです。かつて『女ともだち』『同級生』など切れ味鋭いマンガを描いていた彼女なのに、今スピリッツに連載している『お仕事です!』では全然面白くありません。高橋留美子がつまらないのは、どうにも作品世界がうまく構築できずにモタモタしているという感じですから、まだ調子が出てくれば面白くなりそうなんですが、柴門ふみの場合は、完全に時代感覚がずれているような気がします。あれほど若い女性の心理を皮膚感覚で捉えて細やかに描いていたのに、今はいかにも頭で考えた展開とセリフです。もう本当は若い女の子のことなんて全然わかっていないんじゃないでしょうか。

 彼女たちのフィールドが少年誌・青年誌なので、それでもこうして生き延びていますが、これが少女誌だったら、とっくに打ち切りですね。現にかつて70年代末から80年代前半の少女たちの生態をリアルに描き支持を集めた吉田まゆみなど、最近の作品では見る影もありません。今の読者である現役の少女の気持ちや感覚を的確に捉えて作品にしていくには、やはり年齢を重ねてしまったのでは無理なのかもしれません。時代によって変化する部分と、いつまで経っても変わらない部分。前者をすくい取って見せるような作品を描いていれば、その時は当たっても、いつか時代に取り残される時が来ます。逆に後者から作品を築いていけば、スランプはあってもいつか手塚治虫になれるかも知れません。高橋留美子は元々後者のタイプですから、今のスランプは一時的なものだと思いますが、柴門ふみは前者のタイプだけに、これからの展開がかなり苦しいでしょう。

 時代を切り取るのも人生を切り取るのもマンガです。マンガは芸術であると同時にジャーナリズムであると僕は思います。今を写す鏡としてのマンガを描いていた柴門ふみですが、そろそろ描くべきフィールドを移した方がいいかも知れません。彼女のダンナ同様、中年以上の恋愛などをターゲットにしてみるのも手でしょう。幸い(?)高齢化社会は着々と進んでいます。マンガ世代は50歳に達しています。今からシルバーマーケットを睨んだマンガを描くのも面白いんじゃないでしょうかね。