マンガ時評vol.11 97/3/20号

『ぼくんち』のポジティブな諦念。

 西原理恵子のマンガを初めて読んだのは『ちくろ幼稚園』でしたが、その時はまだ彼女の凄さをいまひとつ理解していませんでした。まあ、さくらももこと似たようなもんかな、という程度の認識だったというのが近いです。今思うと甘かったですね。大甘。で、次に読んだのが『まあじゃんほうろうき』。最初は単なる麻雀もののギャグマンガとして、例えば片山まさゆきなどと同系列というつもりで読み始めたのですが、巻を重ねるごとに、これはそんな生やさしいものではないな、この徹底した自虐趣味はいったい何なのだろうと、どんどん西原の深みにはまっていってしまいました。やがて『恨ミシュラン』に至って、それまで僕としては結構好きだったコラムニスト神足裕司が完全にかすんでしまうほどの西原の暴力的パワーにすっかり魅入られてしまったのです。

 そして、スピリッツで始まったのがこの『ぼくんち』です。最初のうちこそ、ちょっとホノボノしたマンガじゃないか、人生には辛いこともあるけど、それを乗り越えて頑張って生きようね、みたいなマンガかぁ、なんて思っていたのですが、とてもとても、やはり西原はそんな甘いマンガを描くようなヤワなマンガ家じゃありませんでした。このマンガに出てくる登場人物の半端じゃないこと、日本のマンガ史上に残るほどの過激さですし、あの『なにわ金融道』に通じるアンダーグラウンドな専門知識(笑)も随所に顔を出します(ドスで相手を突くときは捻って空気を体に入れれば助からない、とか)。

 基本は「ほのぼの」路線なだけに、その内容とのギャップに余計に人間ってなに?みたいな怖さと深さを感じさせてくれます。ふだんは優しくて温かい人だからと言って、いつでもそうとは限らないし、逆に鬼のように残酷で底意地の悪い悪党でも、どこかに人間らしさは残している。そんな、ともすれば一面的に捉えられやすい「人」に対して、温かいけど厳しい、全てを貫き通すような深い視線で、西原のマンガは成り立っています。そして、西原は結局そんな自分勝手でわがままでどうしようもない人間が好きなんだな、ということも感じられます。

 『ぼくんち』の基本は西原の諦念です。人生は実は不公平であり、努力だけでは何ともしようもないこともある。結局諦めるしかないんだ、という人生の真実がベースにあります。しかし、その上で、でも人生は楽しいんだ、やりたいことやれば良いんだ、と叫んでいる西原の声が聞こえるんです。この明るさ・ポジティブさこそが、諦念を後ろから支え、西原マンガのバランスを保っている気がします。めげずくじけずしたたかに。『ぼくんち』は特に世の中のいじめられっ子(学校に限らず)に送られているメッセージのようなマンガです。