マンガ時評vol.1 96/10/15号

プチフラワーは小学館の盲腸か、良心か?

 かつて少女マンガが隆盛を誇り、サブカルチャーの旗手的地位にあった頃がありました。それほど古くない昔、ちょうど1980年代のはじめあたりだったでしょうか。「花の24年組」を始め才能煌めく人材が一斉にレベルの高いマンガを発表し、少女マンガは豊饒の時代を迎えました。それまで少女マンガを馬鹿にしていた男どもを熱狂させた、あの時代。

 しかし、それからどうしたことか、少女マンガのレベルは下降の一途を辿ります。かつてあった気概も意志も失い、単なる「少女のための」マンガになってしまいました。そんな中、月刊を隔月刊へと変えたものの、質を落とさず唯一頑張っているのが「プチフラワー」です。最新刊の96年11月号でも、萩尾望都のサイコサスペンス『残酷な神が支配する』に64p、木原敏江の『渕となりぬ』44pといった具合に、大御所にきちんとページを任せて書かせています。その内容の濃さ、質と志の高さは、まさに現代マンガのひとつの頂点だと、改めて彼女たちの力量を再認識させられます。

 ただ、なぜかこれが売れていないようなんですね。巻頭カラーの諏訪緑『うつほ草紙』だって、実に面白いシリーズなのに、どうしてこんな良いマンガが話題にものぼらないのでしょう。売れるマンガは相も変わらずオカルティックSFというか、なんだかよくわかんないような美形キャラと勢いだけのマンガなんです。それに引き替え、どう見たってそこらの凡百のマンガとはレベルが違う「プチフラワー」の重厚な連載陣は売れ線ではありません。小学館がマンガの老舗出版社として、意地でやっているようにしか見えない状況です。

 それでも「プチフラワー」はまだ廃刊にならずに続いています。それが小学館の良心なのか、それとも役に立たないからいつかは切ってやるぞ、というただの盲腸的存在なのかはわかりませんが、今はまだこの雑誌が読める幸運を喜ぶべきでしょう。今のうちに、少しでも多くのファンが、この雑誌を手にとって読んで欲しいと思います。盲腸も切られてしまってからでは、いくら後で返してくれと叫んでも戻らないのです、って誰も盲腸を返せとは言わないか。