マンガ時評vol.68 06/12/23号

音楽が響く『のだめカンタービレ』と『ピアノの森』。

 2006年のマンガ界を振り返った時、一番の話題はマンガ原作のドラマがヒットして、それにともなって原作マンガがヒットしたことだと思います。今年1月に『N’sあおい』、『小早川伸木の恋』、『喰いタン』と始まったのを皮切りに、『医龍』、『弁護士のくず』、『クロサギ』、『のだめカンタービレ』、『鉄板少女アカネ!!』、『Dr.コトー診療所2006』。これだけ続々と作品がドラマ化されるというのは、テレビ界の企画力不足を露呈しているわけですが、裏を返せばそれだけ才能がマンガ界に集まっていることの証明だろうとも思います。

 とりわけ話題を呼んだのがマンガを忠実にドラマ化して高視聴率を獲得した『のだめカンタービレ』でした。マンガそっくりに実写化するというのはテレビ朝日の得意技で、過去に『ガラスの仮面』や『エースを狙え!』でそのリアリティのなさ、まさに「マンガ」という非現実的な映像で笑わせてもらっていますが、フジテレビのスタッフは一味違いました。マンガを忠実にドラマ化しながら、きちんとドラマとしてのリアリティを表現したのです。ドラマ好きもマンガ好きも納得できる、ツボをきちんと押さえた演出でのドラマ化でした。このリアリティのさじ加減が絶妙だったから、原作どおりにドラマ化しても鑑賞に耐えられるドラマに仕上がって、結果としてマンガ自体もまた売れるようになりました。

 ただ「のだめ」が『エースを狙え!』などと違ったのは、これが音楽マンガだったから、ということも大きく寄与していると思います。スポーツや演劇をテーマにしたマンガを実写化するには、マンガを超えるような身体表現が必要になりますが、何でも描いてしまえるマンガと違って、実写では不可能なこともたくさんあります。対して、音楽をテーマとした場合、マンガではどうやっても表現できない本物の「音」を、ドラマではいとも簡単に表現できてしまいます。だから、音楽マンガを実写化するのは、ひとつ下駄を履かせてもらったようなもので、ポイントが稼ぎやすいのです。

 とは言え、マンガ「のだめ」のヒットのポイントは、個性豊かなキャラクターたちとともに、この聴くことができない「音」を音符を描かないで紙上で感じさせたことにあります。のだめの弾くピアノの超絶さ、千秋の振るオーケストラの官能、黒木の吹くオーボエの正確さを、例えクラシックを全く知らない読者が読んでも感じ取れるような表現を二ノ宮は実現しました。適当に音符がコマの上で流れているわけではなく、それでいてのだめのピアノがどれだけ流麗で魅力的なのかを表現しようと彼女は苦心したのがわかります。

 この作業の困難さは、これだけ豊穣な日本のマンガ界において、過去に音楽マンガのヒット作がごく少ないことを見ても理解できます。古くは水野英子『ファイヤー!』、最近では矢沢あい『NANA』などがありますが、それとて音楽そのものに挑んだというよりも、音楽をひとつのファクターとして音楽に絡む人間を描いたのだと思います。またこれらの作品でテーマにしているロックと違って、クラシックは読者に馴染みが薄く、また音楽そのものもより複雑で重厚になるため、余計に「音」をマンガで感じさせることが難しくなります。手塚治虫の『ルードヴィッヒ・B』においてさえも、音符を並べることでしかベートーベンの音楽を表現できませんでした。

 そして、「のだめ」以上にクラシック音楽を絵で表現しようとしている作品が、一色まこと『ピアノの森』です。「のだめ」はそれでもまだ音楽以外の部分でキャラクターが動いていて、少女マンガらしい心理描写やおとぼけっぷりも楽しめるのですが、『ピアノの森』はもっと音楽を表現することに一途です。ストーリーから余計な部分をそぎ落としていき、ひたむきに音楽を絵で表現しようとしています。その一色まことの姿勢は、ひたすら人の体の動きを描ききろうとする井上雄彦の姿勢に似たものを感じます。そう、『ピアノの森』はバスケットをクラシックへ置き換えた音楽版の『SLAM DUNK』なのです。

 もちろん一色まことはストーリーテリングも巧みですし、キャラクター造形も見事です。それは彼の『花田少年史』を読めばよくわかります。ペーソスとユーモアとリズムの緩急。遺憾なく発揮される彼のテクニックがベースにあってこそ、『ピアノの森』は音楽表現に没頭しながらもマンガとして楽しく面白く読めるのです。しかも、一色まことは二ノ宮知子に比べて色のセンスがよりデザイン的で、カラー原稿が「絵」として見て美しいのも特長です。カラーの時はより主人公の海のピアノが画面から強く美しく響いてくるようです。

 『のだめカンタービレ』と『ピアノの森』の両作品が切り拓いた新たな音楽マンガ表現の彼方には、さらなる鉱脈があることでしょう。この両作品に続くより魅力的な音楽マンガの登場を強く期待しています。