マンガ時評vol.65 02/6/21号

『しゃにむにGO』は単なる少女マンガ版『SLAM DUNK』ではない。

 井上雄彦『SLAM DUNK』がマンガ界に与えた影響はかなり大きなものだったと思います。基本設定も絵もキャラクター造形もエピソードの作り方も、その後のマンガにさまざまなカタチで影響を及ぼしています。特にキャラクター重視型の長編スポーツマンガは『ドカベン』でひとつの完成を見ていますが、それを『SLAM DUNK』がさらなる高みに引き上げたと言って良いでしょう。

 羅川真理茂の『しゃにむにGO』は、少女マンガというフィールドの中で、かなり明確に『SLAM DUNK』のフォロワーとして登場した作品です。羅川真理茂がどこまで『SLAM DUNK』を意識してこの作品を描き始めたのかはわかりませんが、少なくとも編集者は“少女マンガの『SLAM DUNK』”を目指して始めたのではないかと思います。

 バスケをテニスに置き換え、素人だけど天賦の才を持つ主人公と、そのチームメイトで早くからその才能を嘱望されているエリートのライバルを設定。この2人を軸に、高校の部活を舞台にして、主人公とライバル、そしてそれを取り巻く様々なキャラクターたちの、それぞれの成長を描いていきます。

 ただこう書いてくると、まるで『しゃにむにGO』が単なる『SLAM DUNK』の真似をしただけの作品のようですが、実はそうでもありません。そもそも、ただの猿真似では、これほど読者の支持を得て長期連載にはなり得ないでしょう。もちろん、羅川には井上ほどの画力はありません。スポーツシーンそのものの美しさと感動を、圧倒的な絵で伝えきれるほどの魅力はないのです。

 その代わり、『しゃにむにGO』には、少年マンガでは描ききれないような複雑な人物の背景と心理描写が盛り込まれています。どちらかと言うと単純で一本気な『SLAM DUNK』に比べて『しゃにむにGO』のキャラクターたちは、いかにも“少女マンガ”しています。スポーツそのものよりも、心理的葛藤と成長により作品の重心が偏っているのです。

 単なるテニスマンガとして考えたとき、『しゃにむにGO』は同時期に始まった人気の『テニスの王子様』ほど、テニスというスポーツ自体が面白そうには描かれていません。『テニスの王子様』は、同じジャンプの『SLAM DUNK』のノウハウを十分に生かしながら、キャラクターの描き込み、テニスシーンはかなり誇張した表現を用いています。『しゃにむにGO』のテニスシーンは、それに比べてかなりリアルでかつ地味ですが、その代わりに破綻は少なく、テニス好きも安心して読むことができます。もちろん、これも少女マンガならではの特色で、少年マンガほど「戦い」にウェイトが置かれていないからでしょう。

 またキャラクター主体のマンガである『SLAM DUNK』は、どうしてもキャラクターを動かすために「物語を展開する」よりも「エピソードを積み重ねる」やり方になってしまいます。これは少年誌におけるスポーツマンガに共通の特徴です。だから『SLAM DUNK』は全31巻かかっても、ようやく4ヶ月そこそこしか物語が進みませんでした。それに比べて『しゃにむにGO』では、ちゃんと11巻ですでに2年生に進級してインターハイ予選を戦っています。きちんと話は進んでいるのです。もっとも、偏執的なほど細かくエピソードを描き込んでいくところが『SLAM DUNK』の魅力でもあったわけですから、その濃度を下げてしまった分だけ、『しゃにむにGO』はあっさりと淡泊な味わいになってしまったことも否めません。

 『しゃにむにGO』は、口当たりが良く読みやすい少女マンガ版『SLAM DUNK』ではありますが、単にそれで終わってはいません。基本設定こそ真似ていますが、恋愛模様もあり、親子の葛藤もあり、テニスを通した若者の成長物語として、まだまだ『しゃにむにGO』ではキャラクターたちの心理描写を深く深く掘り下げていくことが可能です。そういう意味では、『SLAM DUNK』や『テニスの王子様』よりもどちらかと言うと塀内真人(夏子)の傑作テニスマンガ『フィフティーンラブ』に近い作品として成長していくことでしょう。もっと深く濃密になっていくであろう今後の展開が楽しみです。