マンガ時評vol.64 02/3/11号

『MONSTER』は生き続ける。

 浦沢直樹渾身の傑作『MONSTER』の「ビッグコミック・オリジナル」誌上での連載が終わりました。衝撃のラスト、と銘打たれた最終回でしたが、結局ヨハンはどうなったのかが読者にはわからないままに終わってしまったので、果たしてこれで本当に完結なのか、それともまたいつか続編が始まるのか、もしくは外伝というカタチでサブストーリーが展開していくのか(浦沢直樹のインタビューを読むと、どうやらこれで完結らしいですが)。どのパターンも考えられますが、ともあれこれだけ大きく風呂敷を広げてしまった作品を、見事に収斂させただけでも、浦沢直樹の手腕はさすがだと思います。

 ラストの曖昧さをどう考えるかはともかく、この作品が日本のマンガ史上に残る傑作であることは間違いありません。同時期に「プチフラワー」で連載が進行し、一足先に完結した萩尾望都『残酷な神が支配する』と並び、日本のサスペンスマンガの二大傑作たり得ているでしょう。余談ながら、ともに連載されていたのが小学館の雑誌であるところに、この出版社の意地と志の高さを僕は感じます。

 『残酷な神が支配する』も『MONSTER』も、心理学的側面から深く人間の存在を掘り下げているのですが、浦沢直樹の方がよりクールで全体の構成がしっかりとした俯瞰的な描き方をしています。もちろん、萩尾望都も、少女マンガ家としては極めて冷静で構成がしっかりしている希有な作家ですが、浦沢直樹の作品は『MONSTER』に限らず、常に上から、もしくは神からの視点というものを、どこかに感じます。言い換えれば、浦沢作品の特徴は映画的です。監督がカメラを覗いてそこから登場人物達をじっと見つめているような、キャラクターとの距離感を感じます。べったりとキャラクターの主観に入り込んでいないのです。

 だからこそ、浦沢作品は主役だけではなく、脇役も生き生きとして魅力的に動きます。脇役がそれぞれの見せ場に張り切って動いていて、それをまた監督も楽しそうに撮っているという感じがします。 主役だけに浦沢が感情移入していないからこそ、テンマだけではなく、ニナやグリマーやルンゲも、時には主役のテンマ以上に読むものを魅了します。浦沢直樹の「達者さ」を感じさせる部分です。

 浦沢直樹のこの「達者さ」は、他の作品にも全て共通しています。破綻のない構成、ぶれのないキャラクター、しっかりとした描写。それゆえに「外れ」がなく、どれも極めてクオリティの高い作品に仕上がっていて、アベレージヒッターとしてはイチロー並みです。惜しむらくは、優等生で破綻がなさ過ぎるだけにマニアックで熱狂的なファンがつきにくいことでしょうか。三振も多いけど、ビックリするようなホームランもない。新庄にはなれないのです。まあ普通に考えれば新庄よりもイチローの方がいいでしょうが。

 ところで、この作品は手塚治虫へのオマージュだという話も聞いたことがあります。確かに手塚的なテーマであり、手塚的なキャラクター設定です。しかし、時代はもはや21世紀です。日本のマンガもそろそろ手塚を超えていかなければなりません。この作品のラストで、ヨハンというモンスターは死んだのか消えたのか、どこかで生き続けているのか、それは謎のまま残されましたが、“モンスター手塚”もまた、この作品で20世紀に葬られたのかそれともこれからも生き続けるのか、という二重の問い掛けがなされているように僕は勝手に考えてしまいました。その答えはモンスターの肉体は滅びたけれど、多くの人の心の中で生き続けていると考えるのが正解のような気がします。