マンガ時評vol.62 01/11/7号

『日露戦争物語』は、明治人への素直な憧れである。

 江川達也が『東京大学物語』の連載を終えて、ほとんど間をおかずにスピリッツに連載を始めたのが『日露戦争物語 天気晴朗ナレドモ浪高シ』です。前作が前作だけにどんな突拍子もない戦争モノになるのかと思っていましたが、意外や意外、極めて王道的な伝記物語が進んでいます。

 主役は日露戦争の時に天才的参謀と呼ばれた秋山真之。ロシアのバルチック艦隊を破った日本海海戦の時にZ旗を掲げ「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮励努力セヨ」という文を作ったと言われている近代日本史のヒーローです。マンガは彼の少年時代からスタートし、松山で腕白小僧として育った秋山が、今は兄・秋山好古を頼って東京に出てきて、さらに新しい体験を積み成長していく様子を爽やかに描いています。

 そう、この『日露戦争物語』は、あの江川達也にしては随分と爽やかで素直で淡泊なのです。もちろん細かい演出としては随所に江川らしいカリカチュアされたキャラクター、エキセントリックな展開、大袈裟な表情などが登場するのですが、と言っても『東京大学物語』ほどのクドさやエグみはありません。マンガを読み慣れていない大人が読んでも、多分あまり違和感なく読み進められるのではないかと思います。

 その原因のひとつは、もちろんこの作品が史実に基づいているからです。史実である以上、細かいところで脚色をするにせよ、大筋を外す訳にはいきません。しかも、例えば先日終了した椎名高志『MISTERジパング』のように数百年前の完全に歴史上の人物ばかりなら、かなり大胆に羽目を外しても遺族から文句が来ることはありませんが、明治時代の人物ではそうもいきません。かなり詳細に記録が残っていますし、なにより登場人物本人を知っている人だって、まだ生きているからです。

 逆に言えば、『日露戦争物語』は、たかだか100年くらい前の話にしては、かなり大胆な脚色をしているとすら言えます。秋山真之はまだしも、彼の親友として描かれている「のぼサン」は正岡子規のことですが、相当に変人に描かれています。もちろん最近登場した南方熊楠は、もともと変人として知られているだけにまるでゴジラのようです。正岡子規、南方熊楠と登場すれば、この先、当然同い年の夏目漱石も登場することでしょうし、他にもどんな明治人が出てくるか楽しみになります。

 秋山真之が生まれたのは明治維新の1868年。正岡子規も南方熊楠も、大政奉還から明治維新という激動の時に生を受け、明治の世を近代日本建設のために生きた人々です。このマンガには、彼らのバイタリティ溢れる自由奔放な生き方に対する江川達也の尊敬と愛情を強く感じます。天井が低い、息が詰まるような閉塞感に満ちた平成から見て、何もない故に何でも生み出せた明治はなんと開放感があったことか。江川達也は、そんな明治人に対する憧れと羨ましさの感情を素直にこの作品で描いています。それが『日露戦争物語』の素直さの大きな要因であり、この作品の好ましさでもあるのです。すでに僕の中ではマンガでしばしば使われる伊予弁の「ガイやのう」(立派、すごい)とか「だんだん」(ありがとう)などの言葉が染みてきています。

 ところで、この作品、司馬遼太郎の『坂の上の雲』に何らかの影響を受けていることは間違いありません。もちろん真之の幼年時代を丹念に描いているところは『坂の上の雲』とは違いますが、なにせ主要な登場人物が秋山好古、真之兄弟に正岡子規ですから全く同じです。これはライバル誌「週刊モーニング」の大ヒット作『バガボンド』(井上雄彦)が吉川英治の『宮本武蔵』をベースにして描かれていることと恐らく無関係ではないと思います。今後、青年誌においてこの人気マンガ家×名作歴史小説という手法が定着するのかどうかも興味深いところです。