cinema eye

『評決のとき』

鑑賞日97/11/27(ビデオ)
 アメリカの人種差別問題を背景にした法廷ドラマ。陪審員制度のあるアメリカと日本とでは、かなり受け止められ方に差があるドラマじゃないでしょうか?

 ストーリーは、10歳の娘を白人の若者2人組にレイプされた父親が、復讐のために彼らを撃ち殺し、殺人罪に問われます。差別意識が強く残る1960年代アメリカ南部の街で、この父親が有罪か無罪かを巡って激しく検察と弁護士が法廷で争います。さらにこの弁護士の周りの人物までがKKKに狙われて、という社会派ドラマです。

 日本人の感覚からすると、どうしてもアメリカの陪審員制度というのはおかしな感じがします。どうして法律に素人の、街の中から適当に選んだとしか思えないような連中に、人の大事な生死の判断を任せるのか。検事と弁護士のどちらが「腕がいい」かを競っているだけで、本来の真実を裁くことができているのか、という疑問です。この映画でもラストで主人公の弁護士が「法律論を捨てて、真実を感じましょう」なんて臭いことを言って、結局陪審員たちの理性ではなく感情に訴えて勝利を得ます。しかし、それはその手しか弁護側に勝つ手だてがなかったからの作戦だったわけで、逆に言えば法律論的には検事の方が正論だと言うことです。映画としては観客は溜飲を下げることができて良かったかも知れませんが、実はこの映画では法的正義は負けているのです。若くて顔が良くて口が上手な弁護士がいれば有利だよな、そりゃ、って思わざるを得ない映画です。

 結局これは敵討ちやリンチを認めている映画であり、つまりは西部劇の時代からアメリカ人の心情はちっとも変わっていないわけです。確かに心情的には僕も娘をレイプした奴なんか射殺でも生ぬるいと思います。ただそれと、映画としての評価は別です。心情的な正義と法的正義がぶつかりあった時に、ただ情に訴えて一件落着というのではなく、そこから一歩進んで何らかの法的にも納得できる解決策を示してくれなければ、映画としては面白くありません。一見社会派の面白いテーマの映画だっただけに残念です。

今回の木戸銭…900円