クレーシュ4 〜まぐさ桶の中の幸せ〜 1789年1月6日(火) 今日は、エピファニー(公現祭)、或いはジュール・デ・ロワ (三聖王の祝日)とも呼ばれる祝日だ。 ベツレヘムのジェズュ・クリ(イエス・キリスト)のもとへ、 カルデアの王バルタザル、アラビアの王メルキオル、エチオピア王ガスパール という三聖王が、星に導かれて、金やミルラ等の贈り物を携えて 出現したことを祝うのだ。 ノエルから始まる盛大な祝祭の頂点であると同時に締めくくりであったから、 ぎょうぎょうしいほどの陽気さがあふれたカルナヴァル的なお祭りであった。 しかし、今年は厳寒と旱魃が重なり、各地で混乱が起こっていた。 家族の皆が食卓を囲み、中に空豆や王や王妃の小さな陶器の 人形を隠した小麦粉のガレット菓子などを食べる習慣があった。 王を引き当てた者は、皆に酒を振舞ったりすることもある。 地方により多少の差はありながらも、菓子は先ず神様の分け前 (貧者の分け前、施し物)を取り置かれてから、分けられた。 貧しい子供たちや、若い娘達、或いは、物乞い達が、裕福な家々の戸口で 神様の分け前を求めて歩きまわるのも、この日の習慣のひとつだった。 慈悲の心は、この日にも発揮されなければならないのだ。 貴族の中には、学費を負担してやっていた貧しい家庭の子供を 王に仕立てて、晴れ着を着せ、客席に座らせて、集まった義援金を 与えることを行事としている人もあった。 毎年、母や姉達は、施しに忙しくその日を過ごした。 今年の冬は、様々な理由から、憂愁の思いにかられることが多い。 それでなくても、冬の朝は陰鬱で、朝は遅くまで太陽は昇らず、 夕方は早くに暗くなる。心と身体までが疲れてくるようだ。 朝から、兵舎へ顔を出し、執務室で新年の警備体制を確認していたら、 兵士の一人が食堂へ来ていただきたいと告げた。 なにごとかと駆け付けると、ガレット菓子が分けられるところだった。 「私達は家族ですからね。隊長」 畏まったダグー大佐や兵士達の表情が、おかしかった。 「わかったよ。仕事は後にするとしよう。」 当たりがどこにあるかわからないように菓子は白いナプキンの下で切り分けられた。 突然、父親役のダグー大佐が私に問いかけた。 「ファエベ(この分け前は誰にあげるか)?」 私は真顔で答えた。 「ドミネ(善良なる神様に)」 「では、次の分け前はだれにあげましょうか、隊長?」 「そうだな。では、ノエルの休暇なのに私に付き合わされて、 仕事ばかりだったアンドレへお詫びを込めて。」 こんなふうに次々に食堂に居並ぶ兵士達に菓子が分けられた。 菓子を食べ始めると、私とアンドレの分に王と女王の人形が入っていた。 兵士達にしてやられた。酒を奢れとでも言われるのかな? 「ブルゴーニュ地方のある村では、王と女王が選ばれると、二人は手を つないで、その取り巻き達と乾杯するそうですよ。」 私達が言われた通りにして、更に盃を口に運ぶと、皆が歓声を上げた。 「王が…女王が飲みたもう!飲んだからには、王と女王はもう乾いていない。」 仕事中だというのに…この騒ぎは何だ?浮かれているな、困ったものだ。 ヴァンを飲もうとして「王は飲みたもう」の掛け声を言い忘れた者、 つまり、粗忽者はすぐに周りの者達から煤を塗りたくられて、 クレーシュのゆりかごに膝まずいた黒人の王そっくりに仕立てられた。 「王と王妃のお二人には、本日は特別に早退する権利をお贈りしましょう。 皆の者それでよいか?」 「もちろんです。ダグー大佐」 兵士達が口々に叫んだ。 「え?酒でも奢れと言われるのかと思ったが…意外だったな。 しかし、心遣いは嬉しいが、まだ仕事がたまっているのでね。」 「隊長、私でやれることはやりますよ、兵士をこき使ってでも。 ノエルの休暇中も働き過ぎですよ。今日はもうお屋敷でゆっくりとお休み下さい。 この騒ぎもまもなく落ちつくでしょうから。 それに上官がそんなに働いては、副官の立場がありませんよ。」 冗談をつぶやきながらも、心配そうなダグー大佐の顔を見ていると、 同意せざるを得なかった。 「わかったよ。皆の心使いに感謝して、さっさと帰るとするよ。 では、心使いに感謝して、勤務が空けた者から順に酒を飲めるように 手配しておこう。私からの奢りだ。ただし、勤務空けからだぞ。 アンドレ、帰る準備と酒の手配をしておけ。」 「畏まりました。隊長」 アンドレも苦笑しながら、私の命令に従った。 帰りの馬車の中で、アンドレが笑いながら私に尋ねた。 「今日はやけに素直だったな。大佐の提案に怒るかと心配したのに…」 「失礼な奴だな。私は、いつも兵士達には優しい素直な良い上官だろ。 それに恋人と過ごす時間が増えたのだから、文句はないさ。」 私は微笑みながら、向かいに座る彼の頬に軽くくちづけた。 しかし、屋敷に帰っても結局アンドレは仕事に追われていた。 暇を持て余した私は、入浴することにした。 世話をするアンヌは、気落ちしたような私に優しく語りかけた。 「オスカル様…エピファニーの夜に年頃の娘達が、床につく前に必ず心を こめて唱える言葉を御存知ですか?」 「私は年頃の娘からは、だいぶたっているから知らないな。」 「あら、御存知有りませんの?お年頃なのに…」 「ふふ…かなり無理のある…お年頃だな。どんな科白なのだ?」 「年頃の娘ならば、このエピファニーの日をけっして忘れてはいけませんわ。 それに言葉も…『私は床の支え木に足を乗せます。 ガスパール様、バルタザール様、メルシオール様 私は三人の王の名を唱えて寝ます。どうか会わせてください、 眠りの中で、妻として私が生涯を捧げる人に…。』こんな科白ですわ。」 「夢で将来の夫がわかるなら、便利だな。悩むこともない。」 「あら、オスカル様はもう決まっていらっしゃいますでしょ。 私が、この首筋の赤い印を虫にさされたとでも思うとお考えですか?」 「…アンヌ…それは…」 「姉上のアンヌ・マリー様からも頼まれましたわ。 オスカル様のしたいようにさせてやってくれと…」 「姉上が?」 そういえば、アンヌは、昔、姉上付きの侍女だった。 「ええ…オスカル様の勇気がないようなら、勇気づけてやってくれと…。 ほのかに香りたつ芳しい肌と、美しい金髪、サファイヤのような蒼い瞳… これで落ちない男はいませんわ。あとは幸せになるための勇気だけですわ。」 「…でも…アンヌ…私は、その…まだ…こわいのだ…。」 仕方ないと言った顔で、アンヌが私に問いかけた。 「彼は、あなた様のそばにいることだけが望みです。 オスカル様の望みはなんでございますか?」 「…彼のすべてが欲しい。そして、彼にいつもそばにいて欲しい。 いや、時々は彼の腕の中で眠りたい。わがままかな?」 「…ならば、あとは行動あるのみですわ。お喋りがすぎましたわね。 湯冷めなさるといけませんわ。」 アンヌは、子供の時のように優しく、湯船の私の頬にくちづけしてくれた。 俺は、夜遅くやっと仕事から解放された。 オスカルは、俺の訪れを自室で待ちわびているだろう。 なぜか侍女のアンヌに、さかんに湯浴みをしてくるように言われた。 「オスカル様が、あなたの髪を暖炉で乾かしたいそうよ。」 変な奴だな。俺の髪を乾かしたいなんて。 「オスカル、悪かった。待たせたな。」 部屋を訪れると、いつもと違い、夜着を着込み、緑のガウンにその身を包んでいた。 ガウンの色に、金髪と白い肌と薔薇色の唇が映えて、美しかった。 「待ちくたびれたぞ。アンドレ…ここに横になって。」 長椅子に座るオスカルに膝枕をされて、髪を暖炉の焔で乾かした。 髪を梳かれながら、俺は今の気持ちを正直に告白した。 「おまえの指が髪を梳いてくれるのは、とても気持ちがいい。 落ちつけて、安心できるし、何ものにもまさる時間だ。」 彼女は、俺の言葉にとても満足したように微笑んだ。 「私も幸せだ。この艶やかな黒髪をさわっていると、気持ちが良い。」 この女神の微笑みと言葉は、俺の理性を打ち破るほど魅力的だ。 思わず俺は、腕を伸ばし彼女の頭を引き寄せて、くちづけした。 髪を乾かし終わると、いつものように淡いくちづけと愛撫が始まった。 次第にそれは、激しいものにかわっていく。 だが、今晩はこれ以上続けてはいけない。 オスカルの素肌から立ち昇る香りは、いつもより妖艶で、 さすがの俺も、今夜はとても紳士ではいられない。 今夜こそは、オスカルに自分の寝台で寝てもらわなくてはだめだ。 何をしでかすか…自分に自信がない。 「オスカル…今夜はもう遅いから寝よう。おまえも疲れているのだから、 今夜は自分の寝台でゆっくりと休め。何も狭い俺の寝台で、 縮こまってねむることはない。わかったな。」 できるだけ優しく囁いたつもりだった。 「…ア…アンドレ…どうして?どうして私をおまえの妻にしてくれないのだ?」 「な…突然、何を言っているのだ?落ちつけ、オスカル…」 「どうして?私には女性としての魅力がないのか?」 「そんなはずないだろう。こんなに美しくて、魅力的だからこそ、 今夜はそばにいないほうがいいのさ。」 彼女を抱きしめて、言い聞かせた。 「私はおまえのすべてが欲しい。おまえは…私などいらないのか?」 涙で潤んだ瞳で見つめられたら、もう俺の理性など微塵も残らない。 「俺には何もないのだぞ。身分も地位も財産も権力も…後悔しないか?」 「後悔なんかしない。そんなもの…私が全部持っている。 私が欲しいのは…おまえのすべてだ。心も身体も人生も…すべてだ。 私は、おまえの愛情に飢えているのだ。そうだろう?」 彼女の訴えに、俺はすべてを忘れることにした。身分も、立場も…すべてを。 「では、おまえのすべてが、欲しくて欲しくてたまらないこの哀れな男に 与えてくれ。今日はエピファニーだ。互いに互いのすべてを与え合おう。 愛しているよ。オスカル…」 「…私も、おまえを愛している。アンドレ」 真紅の大輪の薔薇が、寝台に咲き誇ったようだ。 いつもの凛とした、まるで高貴な白薔薇のような、或いは、 冷たいほどの気品を漂わせる白百合のようなオスカルでなく、 なんとも言えない、言葉では語り尽くせない妖艶さと、 恥じらいを漂わせる不思議な紅薔薇が、俺の腕の中にいた。 こんなにほっそりとした身体をしていたのだろうか? こんなに男を酔わせるような姿態をさらけだしたことがあっただろうか? 俺の激しい愛撫を受けるのがやっとでありながら、 彼女の陽にあたることのない素肌は、俺を魅了するように染まっていく。 始めて愛し合った後で、オスカルはしばらく気を失ったようになっていた。 オスカルは大丈夫だろうか?俺が激しすぎたのだろうか? 俺の心配をよそに、気付いた彼女は満足そうに微笑み、俺の胸に顔を埋めた。 しばらくすると、やっと上体を起こし、俺の耳元で囁いた。 「…アンドレ…私は気付いたことがあるぞ。」 「何を?」 「ノエルからエピファニーまでの十二夜には、あらゆる悪霊が現れて暴れ回ると 昔から信じられていただろう。」 「ああ、嵐の夜には、魔王が軍勢を率いて荒れ狂うと聞いたことがあるな。 子供の頃は、この時期になると、早く寝ないと、魔王に連れ去られると、 おばあちゃんに、二人してよく怒られたよな。」 「つまり、それさ。私の中の、女という魔物が、おまえのすべてが 欲しくて欲しくて…でも、どうしていいかわからなくて、 私の中でのたうち回っていたのさ。」 「そうだったのか?こんな魅力的な魔物なら、いつでも大歓迎だけどな。」 俺はもう一度、自分の胸に彼女を強く引き寄せた。 彼女の長く美しい指が、胸の上の散歩を楽しんでいる。 「そうだ、質問があるな。ムッシュー・グランディエ」 「どんな質問でございますか、マダム・グランディエ?」 「私のどこが好きだ?」 「美しい金髪と、サファイアのような蒼い瞳と、透き通るような肌と…」 「おい、外見だけか?…私は、多いに不満だ。」 俺はクスリと笑って、彼女の不満そうな顔にくちづけた。 「嘘だよ。他人に絶対に弱味を見せないおまえの内なる不安、寂しさ、 懸命に頑張っているけなげな姿…それを知ったら、誰だって愛してしまうさ。 それに、俺だけが知っているおまえは、驚くほど純粋だし、繊細だ。 そんな女性を愛さずにいられるものか!」 「このキザで、憎らしい科白を吐く唇を奪ってやる。アンドレ」 「朝までお相手してくださると誓ってくれないと、お相手できないな。」 「やめてくれ!朝までなんて…死んでしまう。」 二人とも笑いながら、唇を重ねた。 その晩わかったことは、私はただの人間で、ただの女だったってことだ。 彼の愛撫は、私から余分なものを取り除いていってくれるようだった。 ひとつ、ひとつ…軍人であることも、大貴族の後継ぎであることも… 私の中の女は、そんな行為を楽しんで受けていた。 愛し合った後の身体の痛みも、気だるさも、身体の奥のものうげな感覚も、 そのすべてに、私の中の女は満足を感じていた。 始めての経験なのに、満足などという生優しいものでなくて、 激しい歓喜とでもいうものを感じていた。そして、とろけそうな感覚も。 眠りについたアンドレは、寝言で私の名を呼んでいた。 “ママン”ではなく、“オスカル”とはっきりと呼んだ。 私は、征服感がとても満足したように感じた。 自分が思うよりも、私は贅沢者だったのだな。知らなかった。 眠る彼の胸にくちづけして、もう一度彼にすがりついた。 彼もまた強く抱きしめてくれた。幸せ過ぎて怖いくらいだ。 次の朝、アンドレは私の額に優しいくちづけを落とし、もう少し 眠るように囁くと、部屋をあとにした。 しばらく眠った後で、彼に会うために馬小屋へ行った。 彼は、私の愛馬にブラシをかけてやり、餌をやっているところだった。 欠伸を繰り返す彼のまわりで、まぐさの香りが漂っている。 静かに彼の後ろに回り込み、耳元で囁いた。 「昨夜は…ちょっと激し過ぎたのではないですか?」 驚いて振り向いた彼は、突然私を抱きしめた。 「この品のない憎たらしい唇は、塞いでやる。」 彼の朝のくちづけを受けながら、二人でまぐさの中に倒れこんだ。 「朝っぱらから、情熱的で嬉しいけれど…服が汚れて、まぐさだらけになるぞ。」 「気にしなくていいよ。私の望みがかなったのだから。」 「望み?何のことだ、オスカル?」 「内緒だ。アンドレ」 彼の部屋に飾られたクレーシュの中にある二人の人形を、 私はまぐさ桶の中に入れて、まぐさで隠しておいた。 彼が自分の寝台へ戻れと怒った時に思いついた、いたずらだった。 今にして思えば、それは私の願いだったのだ。 二人だけで人目を避けて過ごす一時が、愛し合う一時が欲しいと言う、 私のささやかな願いだったのだ。 「昨日の今日で、内緒とはおだやかじゃないな。白状しろ。オスカル」 「いやだ。アンドレ」 「それなら、こうしてやる。」 彼の激しくなるくちづけを受けながら、私はささやかな幸せに酔いしれていた。 これから、ますます社会は荒れて、混乱して行くだろう。 兵士達もどうなるかわからない。 でも、ただ一つだけ私にはわかっていることがある。 アンドレだけは、私のそばにいてくれる。 だから、安心して私は自分の人生を突き進んで行けばいいのだ。 「そばにいてくれ。アンドレ」 「ああ、おまえが邪魔にしても、そばにいるさ。愛しているよ。オスカル」 「私もおまえを愛している。アンドレ」 Fin


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