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JACKET COLLECTION

2002/07/25


into somethin'

 指圧の心、母心、押せば命の泉湧く〜♪…ということで、今日は「指圧」について考えてみたいと思います。ほら、“あきらジャズまつり”も近いことだしー。

 「指圧」というのは読んで字の如く、指で圧すことであります。だから棒状の器具を使ったりするのは邪道ではないか?…という気もするんですが、“横浜”と“指圧”の間には因縁浅からぬ関係があったということをご存知ですか?僕はご存知ありません。先ほど“指圧”について調べてみてはじめて知った次第でありますが、この2つを結びつけるキーワードは“赤い靴の女の子”でありました。ますますわからなくなりましたね。順を追って説明してみましょう。

 “赤い靴はいてた女の子”は“いい爺さん”でも“人参さん”でもなく、“異人さん”に連れられてヨコハマから船に乗って外国に行ったということになっておりますが、本当のところは外国には行っていなかった。…という話は前にもどこかに書きましたよね?“赤い靴の女の子”のモデルになった“きみちゃん”(当時3歳)は、ワケあってアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻の養女に出されることになったと。が、ヒュエット夫妻が任務を終えてアメリカに帰ろうとした時、“きみちゃん”(当時6歳)は結核にかかっていたと。とても長い船旅に耐えられる状態ではなかったので、“きみちゃん”は東京の孤児院に預けられることになったと。そして9歳になった秋のある日、“きみちゃん”は死んでしまうわけですが、母親はそのことを知らず、外国で元気に暮らしていると信じていたんだそうです。うーん、こうして書いてるだけで涙がこぼれちゃうような哀しい話でありますな。で、現在“赤い靴の女の子”の銅像は生まれ故郷の静岡県清水市、開拓のために母親が移り住んだ北海道の留寿都村、亡くなった東京麻布十番。そして“きみちゃん”が旅立った場所だと母親が信じていた横浜の山下公園にあるんだそうです。…と、ここまでが“横浜”と“赤い靴の女の子”との関係を示すエピソードなんですが、これに“指圧”がどう絡んでくるかというとですね、北海道のルスツにある『赤い靴ふるさと公園』に「指圧の心、母ごころ。押せば命の泉湧く〜♪」で有名な浪越徳治郎先生の胸像も建っているんだそうでありまして。なるほど、“横浜”と“指圧”にはこのような因縁浅からぬ関係があったわけなんですね。くだんのペヤングが横浜のジャズまつりで演奏そっちのけで指圧に耽っていたのも、事情がわかってしまえば「やむなし」といった感じがしますよね。いや、“横浜”と“指圧”は、直接的にはまったくなんの関係もないんぢゃないか?…という気がしないでもないんですけどね。

 ということでラリー・ラングです。いや、これまでの話とはまったく何の関係もありませんが、『イントゥ・サムシン』です。 「ルスツにて、淫蕩寒し、露出かな」 と詠み込めばまったく関係ないこともないんですが、そこまで無理して関連付ける必要もないですよね。ホテルか何かでしょうか、優美なカーブを描く近代的な建築物が従来のジャズ・オルガンからの脱却を目指すラリー・ヤングのスタイルと見事にマッチして、秀逸です。レタリングの文字が“モダン”を強調するあまり、何だか変な字体になっているのが残念でありますが、ブルーノートでも屈指の名ジャケットと言えるのではないですかね?「ジャケットがスタイルを創る」という言葉があるのかどうか知りませんが、本作以降、ヤングのスタイルは“優雅なカーブ”を描いて前衛への道を上り詰めていくのでありました。

(自己採点)

 “70てん”といったところでしょうか。いや、前回が“70てん”だったので、ソースを直すのも面倒な話だしー。で、この頃から次第に 「丁寧に書こう。」 という心が芽生えてきたような気がしないでもありません。 「ジャケ絵の心、母心、書けば命の泉湧く〜♪」といったところですかね?

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