
まるでライダーの聖地かのように、誰もが”北海道” ”北海道”というので、生来のアマノジャクの僕は、今まで北海道を走ったことがありません。それについて、ちょっと屁理屈をいえば、そこに歴史を感じられないから魅かれなかったというところでしょうか。(後に、そのとんでもない誤りに気付くのですが・・・)
ところが、去年の師走も押しせまった頃、いろんな問題が起こって、自分を含めたいろんな人の妄念をかいま見ているうちに、ふと北海道に行こうと思い始めたのです。
ちょうどアメリカがそうであるように、歴史の浅い所には、明るく軽い風が吹いているように思えませんか?
そんな中を淡々と走ったら何もかも「吹っ切れる」に違いありません。
北海道を調べ始めてみると、情報はインターネットにも、図書館の旅の棚にも溢れかえっていました。なるほど、想像どうり豊富な温泉、海の幸、広大なジャガイモ畑や、地平線の彼方まで延びる道路、美しい山や神秘な湖が全道に散らばっています。「吹っ切れる」確信は強いものとなりました。
それだけで終わっておけばよかったのですが、嬉々として地図を眺め回してしる内に、何か妙な空虚感が生まれてきてしまいました。 土地の重みが見えないのです。 それを歴史が浅いというのかもしれませんが、あっけらかんとした明るさはあっても立ち止まる気がしてこないのです。
でも人が住む以上そんな場所などあるわけがありませんよね。
いやいや、そういう上っ面だけを走り通すのが、今回の目的だったのでしょうが、僕の性はいつも湿っぽい所を好むようで、また深みにはまっていきました。
図書館を巡る僕の足は、旅行ガイドから紀行へ、そして歴史から民族へと向きを変えていきました。
広大なジャガイモ畑が動物や人を育んだ原生林であった事、それを切り開いた人々の辛苦や挫折、地平線の彼方までの道が人の屍と燃え上がる憤怒で作られていたこと、美しい山々は神であり麓で暮らす動物も植物も また神であったこと。その神々への祈りが生活であった人たちがいたこと。欲望の唯物文化が侵したその人たちのかけがえのない深遠な精神生活。
ああ、ここにも人の叫びが染み込んでいるんですね。
旅立つまで、あと3日。重い情念を感じながらも、期待は高まっていきます。
北海道へ旅立つ前に、本多勝一さんが「アイヌ民族」の冒頭にあげたように、僕も知里幸恵さんの言葉を、あげておこうと思います。
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その昔、この広い北海道は私たちの先祖の自由の天地でありました。天真らんまんな稚児のように、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼らは、真に自然の寵児、何という幸福な人たちであったでしょう。 |
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