熱田神楽の由来  

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熱田神楽保存会会長 石川 来民造 記

目次

一 熱田神楽保存の目的
二 熱田神楽の起源
三 熱田神宮と熱田神楽
四 名古屋地方と熱田神楽

五 熱田神宮太々神楽

六 現状の神楽

一 熱田神楽保存の目的
  名古屋地方に伝わる「熱田神楽」を後世に保存・継承し後継者の育成をすることが目的
である。私ども「熱田神楽保存会」は、正統な流れを汲む保存会として、此の地方の貴重
な伝統文化である熱田神楽を感謝の心をもって保存・継承していくものである。
  神楽の演奏技術・装束・祭具の作法など全般にわたり、伝統ある熱田神楽を後世に継承
することを目的とするものである。

二 熱田神楽の起源
  神楽は、日本神話で「天の岩戸」にて天照皇大神がおこもりになり八百万の神が協議し
 て、アメノウズメノミコトが舞踊り、神々が拍子をとって賑わしたことに始まる。
  「熱田神楽」の起源は、古墳時代に尾張の国の開拓者と言われる尾張氏が大和国葛城郡
 から海岸地区の熱田に移り住み、この地にて文化を形成し、この地方に神楽が発祥したの
 である。
  三種の神器の「草薙神剣」が熱田の地に奉斎され熱田神宮が御鎮座して以来、熱田神楽
 は、熱田神宮とともにその伝統が受け継がれているのである。
  第五十四代仁明天皇(七世紀)時代には、尾張浜主をはじめとする多数の伶人達によっ
 て現在の熱田神楽の神楽曲が作られたといわれており、その笛・太鼓のあじわいは、比類
 無きものである。
  熱田神楽は、熱田神宮の御鎮座以来受け継がれて、長い歴史を経て熱田神宮をはじめと
 する各神社の祭礼にはなくてはならない貴重な神楽として今日に至っているのである。

三 熱田神宮と熱田神楽

  三世紀末、第十二代景行天皇が熱田に行幸された時に熱田神楽が奏じられたいと伝わっ
 ている。
  八世紀、関東にて平將門が謀反を起こした時、朝廷は熱田神宮から「御輿」を出して平
 定の祈願をしたといわれている。この時「矢車神楽」を奏じたと伝えられている。
  十一世紀、歌人赤染衛門は、

  笛の音に神のこころやこもるらん 
  森の木風も吹きまさるなり
  熱田神宮にてこう詠んだ。
  神楽の笛の味わいが伝わってくる。
  熱田の杜から笛の音が響くことは心の静まるような気持ちになるものである。

四 名古屋地方と熱田神楽
  熱田神楽の伶人は、名古屋および尾張地方一円に、この神楽の伝承に努力してきた。
 かつては、「神楽座」の伶人の努力により、各地に伝えられた。熱田神楽の系統は、北 
 は一宮・犬山方面、南は知多半島、東は知立、西は名古屋市西部まで広範囲に伝承されて
 いる。
  現在、各神社の祭礼において、欠かせない神楽として奏じられている。
  現在、熱田「大山祭」にて山車が曳かれていた当時の田中流・大瀬古流の太鼓流派も引
 き継いでいる。

五 熱田神宮太々神楽
  熱田太々神楽は、十六世紀正徳二年、熱田神宮にて「大宮太々神楽」として行われたこ
 とに始まる。
 熱田太々神楽は、各種の祭具を用いて行われるこの地方独特の神楽である。
 「謡」は、天の岩戸の神話に通じる内容である。また、「黒面」「白面」「鍬」「鎌」「矛」
 「扇」「鈴」等を用いる太々神楽は、この地方独持のものである。
  名古屋地方の神社でも熱田太々神楽の系統による太々神楽が行われていたといわれてる。 
 熱田神宮においては、「大宮太々神楽」として、明治初期まで奉納されていたが、約百年
 途絶えていた太々神楽は、本保存会により平成元年熱田神宮での太々神楽が復活された。
 現在、毎年四月に熱田神宮にて奉納されている。

六 現状の神楽
 

 「祭」が、イベント化等の傾向で簡略化されるの中、神楽もその伝統が消えつつある現
 状である。先人の努力により現在まで継承されたこの地方の尊い伝統文化を、損なうこと
 無く保存・継承していくことが急務であると思われる。

  平成三年十一月三日に本保存会は、熱田区長より『表彰状』を賜り、
  平成五年四月二十九日、本保存会会長が、熱田神宮より『感謝状』を賜る。
  平成十年四月二十九日、本保存会会長が、熱田神宮より「感謝状」を賜る。
  平成十年十二月八日、名古屋市長より、市民文化奨励賞を賜る。
  平成二十年四月十三日、本保存会が、熱田神宮より「感謝状」を賜る。 

 
   平成二十年四月吉日