遠雷

 遠くに雷が鳴っている。昼間であるのに部屋の中はどんよりと薄暗く、初夏にしては冷たい空気が気怠さを誘う。楊ゼンはシーツにくるまったまま、寝返りを打った。
 目はとっくに覚めているが、何となく起きあがる気がしない。時計の針はいつもにも増して進むのが遅いように感じられ、特にすることもないままぼんやりと時間を過ごしている。外からは雨が降る前特有の、湿った埃っぽいにおいがして、それがさらに思考をよどませているような気がした。
 こんな気分になるのは、雨が近いからだろうか。それとも…
「師匠が、いないから……?」
 呟いてみて、ため息を付く。広い部屋に小さな声が響くのが、少し寂しかった。

 玉鼎真人が12仙の会合に出席するため、数日間家を空けるのは、今に始まったことではない。いつ出ていっていつ帰ってくるのかも楊ゼンは分かっているし、それをいやがるほど子供でもなかった。始めのうちは寂しくて泣きもしたが、最近では、楊ゼンのほうがよく洞府を開けるため、そんな事もすっかり無くなってしまっていた。
 けれど今回は、いつもとは少し違っていた。
 長い封神計画の合間の、しばらくの休暇。太公望に無理を言って休みをもらい、どこに立ち寄ることもなく一直線に玉泉山へと戻ってきた楊ゼンを出迎えたのは、期待していた優しい声ではなく、1枚の紙切れだった。
 会合に出掛けてくる、と一言。素っ気ない言葉が、玉鼎真人の字でかかれていた。
「久しぶりに会えると思ったのになぁ……」
 楊ゼンが戻ってきてから、すでに4日間が経過していた。季節はちょうど梅雨で、出掛けて時間をつぶすこともままならない。する事もなく、楊ゼンは再び瞳を閉じる。眠くはない。けれど、眠ってしまえばすべてが夢に紛れることを知っているから。

 楊ゼンは、余り眠らない子供だった。昼寝などはもちろんのこと、夜ですら玉鼎が心配するほど遅くまで起きていた。一度玉鼎は、何故眠ろうとしないのかを楊ゼンに尋ねたことがある。すると楊ゼンは、困ったような顔をしてこう答えた。
「師匠が、いないから」
 今度は玉鼎の方が困ってしまった。どう答えればよいのか試行錯誤していたところに、楊ゼンが呟いた。
「師匠は、僕が寝ているとき、どこにいますか?」
 そう言うことか、と、玉鼎はそこで気が付いた。楊ゼンは一人でいるのが辛いのだ。起きているときにはその姿を目で追うことが出来る、けれど、眠ってしまってはそれが出来ないから。
「それじゃあ、今夜からは私と一緒に寝ようか?」
 そう言って手を握ると、楊ゼンは驚いたような顔をして、それから微笑んだ。楊ゼンが玉鼎と一緒に眠るようになったのは、それからのことである。
 楊ゼンは、それまでの分を取り戻すかのようによく眠るようになり、いつかの誰かの言葉通りにどんどんと成長していった。そしていつしか、楊ゼンは一人でも眠れるようになっていった。玉鼎はそれを喜んだが、楊ゼンは何となく寂しい気持ちになったのを覚えている。

 ふと目を覚ますと、辺りは薄暗くなっていた。
「夢……か」
 それにしてもずいぶん昔の夢だったように思う。雨が屋根を叩く音が気分を紛らわせて、楊ゼンはシーツにくるまったまま寝台から起きあがった。遠くで雷が鳴っていた。
 窓を開けて外を見ると、風に乗って雨が部屋の中へ入ってくる。窓を閉めようとすると、遠くで雷が光った。数秒遅れて、落雷の音が届く。
「師匠…」
 呟いたところで、後ろから冷たい腕に抱きしめられた。
 驚いて振り向くと、そこには懐かしい姿があった。
「師匠……帰ってきてたんですか…」
「ああ、つい先刻ね」
 優しい声がする。それはここ数日間楊ゼンが一番欲しかったものだった。
「おや…もしかして楊ゼン、泣いているのか?」
 玉鼎真人に尋ねられて、楊ゼンは自分の頬が濡れていたことに気づく。慌てて頬を拭おうとしたが、その手を優しく捕まれてしまうと、恥ずかしさで視線のやり場がなくなってしまう。
「長い間留守にしていてすまなかった。……寂しかったろう?」
「ちっ…違いますよ、師匠! これは雨が当たっただけです。僕はもう子供じゃないんですからっ…」
 そこまで言って楊ゼンは、自分の言葉がまったく役に立っていないことに気づいた。玉鼎は新しくあふれ出してきた楊ゼンの涙を指先ですくうと、もう一度すまなかった、と、楊ゼンの耳元で囁いた。
「師匠……」
 楊ゼンはうれしさと、気恥ずかしさとを押さえながら言った。
「今夜は、僕と一緒に寝て下さい…」




ありすがわこなん様からのリクエスト、お題は「お昼寝」です。
なんだかすみませんと謝るしかないような話になってしまいました。
梅雨の気怠さを意識して書いたのですが、結局はただの甘話。
もう少し修行をしなければ。
タイトルなんですが、関係はあんまりありません。
始めが玉鼎師匠が雷に当たって墜落とか考えてたのですが、間抜けなのでやめました。