思うとも恋うとも

           
さぼさぬけ

「なあ、人を殺すことを口を封じるって言うのは、なかなか妙な言い回しだと思わないかな」
 煙草に火をつけながら、にやりと笑って彼は言う。独特のきついにおいが、この部屋のにおいまでもかき消してしまいそうだ。
「……吸い過ぎは体に毒です。それと、ここは火気厳禁ですよ」
「わかってるって」
 そう言いながら彼は煙草を吸うのをやめない。
「わかってないから言うんですよ」
 彼の口元から煙草の先が離れた一瞬の隙を見計らって、彼の手から奪い取る。そばにあった流しの水たまりに、そのままぐいと押しつけて火を消した。
 一瞬、においがきつくなる。
 思わず顔をしかめたのを、彼に見られた。
「まだ慣れないのか」
「体に悪いものは嫌いなんです。煙草なんか吸ってたら、肺が真っ黒になりますよ」
「そういう屁理屈をこねるところが、まだお子様なんだな、おまえは」
「そういう言い方をするところが、オヤジくさいんですよ、あなたは」
 言い返したら、彼が顔をゆがめてうれしそうに笑った。いったい何が楽しいというのだろう。こんな不毛なやりとり。こんな不毛な関係。
「笑わないでください……不謹慎な」
「仕方ないさ、慣れちまうんだよ」
 彼は手にしていたケースから書類の束を取り出す。
「被害者は、密売ルートの売人だ。情報じゃ結構手広くやってたらしい。うちの課がマークしてたんだがな、ばれちまったらしくてな」
 最後の方だけ、彼が顔をしかめた。彼が責任者でなかったとはいえ、自分の課の失敗はあまり気分のよいものではないらしい。
「ほら、見てみろよ。まさに口封じだ」
 彼から手渡された書類には、被害者の年齢や性別、遺体が発見されたときの状況などが事細かに記述されている。加えて、現場の写真が何枚か、クリップで留められていた。
 その写真のうちの一枚、被害者の顔の写真を見て、彼がそう言った理由が何となく推察できた。
「ああ、ガムテープ、ですか」
「そ、ガムテープ。おもしろい犯人だと思わねえか? いったい何を思ってこんなことをしたのかね?」
「さあ、犯人の心理に興味はないですからね」
「俺はね、被害者は口封じのために殺された、しかも犯人はそれをこっちに知られてもかまわない……いや、むしろ知らせようとしていると思ってるんじゃないかと推測するね」
「推測するのは勝手ですけれど、根拠のない憶測は操作を混乱させる要因ですよ」
 彼はため息をついた。反応が気にくわないのだろう。仕方ない。彼の気に入るような反応を返すつもりなど、さらさらない。
「しかしな、これが推測じゃないんだよ。
 遺体の口にはガムテープ、しかも隣にはご丁寧に花が添えてあったのさ」
 切り札のように、彼がもう一枚写真を取り出した。
「……資料は最初からすべて渡してください」
 赤い血の中に、ひときわ異質な白い花が目に飛び込んできた。
 濃厚な香りが脳裏によみがえる。
「な、洒落てるだろ?」
 白い花の名前は、くちなし。
「死人にくちなし、ですか……」
「そう。ガムテープで口をふさいで、こいつを残していく。これは俺たちへの挑戦状だと見たね」
「そうでしょうね」
「畜生、こいつが生きてれば、口を割らせる自信はあったんだがなあ」
 彼が再びケースに手を伸ばそうとする。その中には、煙草の箱が入っているはずだ。
「火気厳禁ですよ」
 先手を打って、釘を刺しておく。
「確かにこれは挑戦状でしょう。ただ、あなた方へではなく、ぼくへの、ですね」
「おまえへの?」
 彼が驚いた顔をする。その間抜けな表情に、少し気分がよくなった。こんな彼の顔は滅多に見られるものではない。
「犯人に教えてあげますよ。死人がいかにものを言うかをね。あなた流に言うなら、そう、鑑識の、名にかけて」

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