子供の頃によくした遊びは、ママに内緒の罪悪感と、大人の入口に立ってる気分になるような高揚感が同時に沸き立ってくるものだった。
ママの大きなサイズのベッドに寝ころんでみたり、衣装ダンスからひらひらしたワンピースを引っ張り出してみたり、棚の奥にこっそりしまってあるキラキラした指輪をちょっとはめてみたり。
中でも特に大好きだったのは、ママの化粧台に向かう遊び。
木目調、観音開きの三面鏡を開けて、一杯に並ぶお化粧品をむやみやたらと顔に塗りつける。ファンデーションをバタバタはたいてみたり、真っ赤な口紅を塗ってみたり。そして出来上がった今よりちょっぴり大人な自分を、三面鏡に映して微笑んでみせるだ。
そこには自分のようで自分じゃない自分が居るような気がして、なかなかうまくいかない化粧をちょっと悔しく思いながらも、大人になったらこんなふうに素敵なレディになるんだわって、そんなことばかり夢想していた。
幼い頃の夢。
合わせ鏡の噂を、ほんのちょっと信じていた頃。合わせ鏡の、百番目の顔は、未来の自分が映るのよ、って。
化粧した顔だけを三面鏡にぐいと突き出して、扉をゆっくりと閉めてみる。扉と扉の間に首が挟まって、きっちりと空間を作れないのが惜しかったけれど、それでも三面鏡の中はいつもと違う自分で一杯になる。
普段見えない横顔や後ろ姿がごちゃごちゃに入り交じって、もしかしたらその中に大人になった未来の自分が見えないかなんてどきどきしてた。
けれど、きっとそこにいるんだと思って振り向けば、振り向いた瞬間にその姿は影をひそめてしまって、後には下手くそな化粧をした表情だけが取り残される。
いつもいつも、百番目の顔を見つけられなくて悔しく思っては、ママの帰ってくる車の音に慌ててティッシュで化粧をぬぐい取った。
そんなことを繰り返して次第に大人になって、いつの間にか自分の化粧品を持つようになってしまって。華やかな匂いのしたママの化粧品には次第に触れなくなっていった。
合わせ鏡の噂なんて、忘れてしまった。
けれど私は見てしまったのだ。
その日は朝から快晴で、絶好のデート日和で、つきあって一ヶ月目の彼と出かけるのをひどく楽しみにしていた日だった。特別な日だった。
せっかくお化粧をするのだから、手元の小さな鏡じゃなくて、大きな三面鏡でばっちり決めなくちゃ。そう思って、何年かぶりにママの三面鏡の前に座った。ママは仕事に出ている。
ゆっくりと三面鏡をひらき、下地から丁寧に化粧をする。仕上げに可愛らしいピンクの口紅。
そこで急に幼い頃の記憶がフラッシュバックした。合わせ鏡の百番目の顔は、未来の自分が映るのよ。そんな噂。取るに足らない、子供の妄想。けれどそれがなぜか心を駆り立てて、思わず身を乗り出して、そう、まるで子供のように、三面鏡をゆっくりと閉じていく。ああ、未来の自分。未来の彼。未来の、二人。
激しい勢いで夢想する。百番目の顔を探そうと、瞳をきょろきょろと動かす。
ああ、きっとここだ!
振り向いた先には、少し化粧の上手くなった自分の姿。変わらない、現在の顔。
携帯のアラームが鳴って、慌てて顔を上げた。待ち合わせ時間に遅れてしまう。三面鏡を手荒く閉めて、バタバタと家を後にした。
その日、彼に振られた。