アイのことだま

           
さぼさぬけ

「ねえ、数字っていくつまで続くのかな」
 私が博士にそう尋ねたのは、私がまだ生まれて間もないころだった。世界中の見るものすべてが不思議に満ちていて、あれもこれも知識を吸収しようと躍起になっていた、ちょうどそんなときだ。
「どこまでも」
 博士は私の方をちらりと見て、無愛想に言った。
 博士とは、私の親代わりの人だ。ううん、本当の親と言っても差し支えない。私には両親がいないから、こうして博士が養ってくれている。
「どこまでもって、いくつ?」
 博士の無愛想さは好きじゃなかったけれど、私には幼児が親に寄せる絶対的信頼感みたいなものがあった。それを、博士に抱いていたのだ。
 だから、懸命に博士に話しかける。
「あのね、ミヨね、ひゃくまで数えられるようになったんだよ」
 その言葉を聞いて、博士はちょっと驚いた顔をした。
「へえ、それは」
 すごい、と、口の中で博士が呟いたのが見えた。私はそれだけで嬉しくて、博士にもっともっと褒めてもらえるように、大きな数字を知りたいと思ったのだ。
「だからねえ、博士。数字ってどうなるの? ひゃくの次は、いくつ?」
 博士は数字の話題が好きだ。だって博士なのだから、難しい話は大好きなのだ。私は正直頭が悪かったし、難しい話題は好きじゃなかったけれど、博士がそれを好むのなら、望んでその話題を振ろうと思う私が、心の中に存在したのだ。
 最も、そのころの私はその感情がどこから来るのかなんてわからなかったし、「心」なんて単語すら知らなかった。
「百の次は、百一、その次が百二。順番に数は増えていって、その次の位は千」
 博士は何でも知っている。私とは正反対の、とても賢い人なのだと思っていた。博士に分からないことはない、世の中の不思議は全て博士の頭の中にその答えが詰まっている。幼い私にとってそれはまさに真実だった。
 だから私は博士以外の人から知識を得ようとは思わなかったし、他の人に何かを学ぼうなんて思ってもみなかった。
 分からないことは、博士に聞けばいい。
 それが私の世界の真実で、そして、限界だったのだろうと、全てを知った今だからこそ言えるのだ。
 ねえ、博士。
「博士、ミヨの名前にはどんないみがあるの?」
 まだ千までは数えられなかった私がそう尋ねたときも、やっぱり博士は無愛想だった。こっちの方を振り向きもしないで、博士は言った。
「意味なんて無い」
 ええ、と私は不満の声を上げた。
「博士の研究所の人からきいたんだよ、ミヨの名前は博士が付けたんだって」
 博士はこっちを振り向かなかった。つまりは、この話題は嫌いか、興味がないことなのだと私は思った。それが即、自分への博士の感情と繋がってしまう気がしていた私は、あわてて別の話題を探した。
 でも、ねえ、博士。
 今になってやっと分かった私は、やっぱり頭が悪かったんだなって、そう思う。意味が無い、そう言った博士の言葉は真実で、全ての答えは博士の中にあった。
 それでいいのでしょう?
 ナンバリングでしかないこの名前は、そのまま博士にとっての私の存在。ただ順番に生まれた子供。それでも私は博士が好き。この感情も、それを辛いと思う気持ちも、思い通りにならないこの身体すら、博士、あなたがくれたのだもの。
 だからこうして記録を残すの。でも、決して博士には見せてあげない。私の、短い拙い人生の、たったひとつの秘密にするのよ。

「ミヨ……」
 僕がその記録を見つけたのは、古い地下倉庫の中だった。いつものように博士に冷たくあしらわれて、悔しくて隠れた場所に、ひっそりと置かれていたのだ。
 日付は、今から5年前。僕が生まれるずっと前のことだ。そしてこの記録を読んでやっと、僕は自分の意味を理解する。
 僕が普通じゃないことは、何となく分かっていたから、ああやっぱり、なんて、そんな気持ちしか湧いてこなかった。すっきりしたような、しないような、微妙な感覚。
 僕の名前はミロク。博士の、三十六番目の実験体。
 僕らの名前は、ナンバリングの記号。それでも僕は博士のことが好きでたまらないのだ。それは変わらないし、変えようのない真実として、博士のくれたこの心の奥底に沈んでいる。

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