早紀と絵里のアンニュイな晩

           
さぼさぬけ

「ペッパー?」
 早紀は不思議そうに首をかしげた。多分自分が「分かっていない」顔をしているだろう事は分かっていたが、今ひとつその言葉は早紀の思考回路に響かなかったのだ。
「ええとー」
 目の前の、いかにも遊んでいそうな柄の悪い店員も、つられて首をかしげていた。
「香辛料です」
 はあ、と、早紀は分かったような分からないような答えをする。実際、分かってはいないのだが。
「一年経ったんで」
 店員はそう言って、適当にレジのキーを叩く。しかし、やはり伝わらない。賞味期限だろうか、と早紀は真剣に思考をめぐらせた。
「早紀。香辛料じゃなくて、更新料だよ」
 状況を打開したのは絵里だった。
「更新料?」
 早紀の脳内回路はやっと変換候補を見つけたらしい。ああ、と首を縦に振って財布を開くと、止まっていた動作を再開した。
「二百円で、いいんですよね」
「あ、はい、そっス」
 とりあえず意図が伝わったことを店員も理解したのだろう、ビデオテープ二本と更新料二百円の値段を打ち込んで、
「合計で九百円です」
 とはき出すように言う。
 早紀はそれ以上何も言わず、いつもと同じぼんやりとした瞳のまま千円札を差しだし、替わりに百円玉を受け取ると店を出た。
 状況としては、今日は早紀が絵里の家に遊びに来ていて、これからビデオ鑑賞会を開こう、というところだった。早紀と絵里はそろいもそろって恐がりのくせに、両方ともが恐怖映画が好きでしょうがないのだ。特に、邦画の恐怖物がたまらない、と言う。
 そんなわけで、こういう運びになったのである。
 早紀と絵里が家に辿り着き、やれやれといった感じでビデオをデッキにセットして、それからもう三十分くらい経った頃。早紀がぽつりと口を開いた。
「日本語って、難しいよね」
 目の前ではめくるめく恐怖映画が展開されていて、ヒロインのN子は絶体絶命のピンチだった。彼女は画面に向かって必死の表情で助けを求めている。こういうときは、早紀と絵里は手を繋いでびくびくするのが常套手段だ。
 悲鳴が、暗い部屋の中に木霊する。
「さっきの、ペッパー?」
「それもあるけど」
 恐怖映画を見ながらの会話はスリルがあってたまらないな、と思いながら早紀は言う。
「字幕が欲しいな。何いっとるか、わからんもん」
 ヒロインはもはや解釈不可能な悲鳴を上げて、闇の中の亡霊に取り殺された。早紀と絵里はびくっと震え、一層手を強く握りあった。

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