ですからね、私今日から新生ヤマグチなんですよ。ほら、生まれ変わったって奴です。
どこかの偉い人も、人間は何度だって生まれ変わるとか、人間は二度生まれるとか、オバタリアンは二度死ぬとか。言ってたじゃないですか。ああ、最後のは関係ないか。
まあそんなわけで今朝目が冷めた瞬間から、私・ヤマグチタエコは生まれ変わったのですよ。
小鳥はぴよぴよ鳴いてるし、杉花粉はなりをひそめたし、とってもいい朝じゃない? 珍しく早起きして、何ヶ月かぶりの朝食を食べるの。んでもって、朝トイレ。
何て健康的。
まあ、便座の電源が切れてて、シャワーが出なかったりとかするんですけども。
でもね、そんなことにもへこたれず、私は会社を目指すわけですよ。鬼のような満員電車に乗って、バカみたいに組織の中へ逝くの。
まあ、バカはバカなりにいいところもあって。入口で新生ヤマグチタエコです! って挨拶したらみんな目を丸くしてたよね。
そっからはお決まりのコースで、色々つっこまれて、かわして、もう、レッドシャドウみたいな派手な影の攻防戦が繰り広げられたのよ。結果、女赤影の私としたことが乗せられて、ついついこんなに深酒をしてしまいました。
あーあ。
でも、でもね。
私は新生ヤマグチですから。もう酒飲んで泣いたりとか、居もしない相手に対して物をぶつけるとか、そんなことはいたしませんよ。
ホント。
そういえば。この居酒屋は、洋式トイレで、便座に座った向かい側にも手洗いがある。だから、上からも下からも同時に出せて便利なんですよ。
奴はそんなことを言ってたな。
ああ、ダメダメ。今日の私は新生ヤマグチなんです。奴のことなんか綺麗、さっぱり忘れて、トイレの水に流してやるって決めたんです。
トイレのレバーをぐいと押した。
水はざばざばと私の心をかき立てていく。かき立てられてしまう。私は瞳を閉じる。
瞼の裏。
焼き付いてしまった、彼の姿。
そういえば。彼は写真が好きで、父からもらったとかいうポラロイドカメラをよく持ち出してきていた。
写真を撮って、それが浮かび上がってくるまでの間。私たちは一緒にいた。肩を寄せ合っていた。
まるでポラロイド。
いつの間にか私の瞼の裏に染みこんだ彼の姿は、写真のようにくっきりと、陰影をまして、私をさいなむ。
ああ、ダメ、ダメ。
考えてはいけない。
だって私は生まれ変わったんですから。本当に、本当に。全てを水に流してきたんですから。
力任せにもう一度レバーを押して水の無駄遣い。
大丈夫よ。強くなれるわ。
だって私、知っているもの。
時間が経てば薄れていくものですもの。どんなに大事な写真だって。ポラロイドって、そういうもの。
それだけが救い。それだけが強さ。
便座の向かいの洗面台で、思い切り蛇口をひねると、水は私の手にまとわりついた匂いを爽やかに洗い流すのだし、ねえ。