エニアグラム通信講座を受講したい方へ
以下のものを参考にして、受講されるのか判断してください。
@Q&A室の中にて、「通信教育に対する疑問など」を4つ回答しており、転載しています。
A「仲間たちのつぶやき」の中には、通信受講生の投稿文があり、2つ転載しています。
No868 通信講座についての質問 質問者(のばうさぎ) 2004/11/12 |
通信講座を始めたばかりですが、想像以上に難しく、期待以上に楽しいです。やはりエニアグラムを勉強している仲間といろいろな事を分かち合いたいなぁという思いが起こります。これほど奥深い未知の分野を、一人で学習を進めるのは結構精神力が要るものだなぁと驚いております。いくつか通信講座のことで質問させて下さい。(1)これまで何人くらいが通信講座を受講しているのですか?(2)現在は何人くらいが受講しているのですか?(2)身近な家族のタイプをレポートするだけでもかなり難しくて途方にくれています。通信講座生同士が交流できる場所はありますか?あるいはそういう場所の存在の是非を教えて下さい。(3)ワークショップで使用される教材があれば、それを利用することは可能ですか? 例えばタイプによる顔相などを一覧で見たいのですが、タイプ3の顔写真ををずらりと並べた冊子が存在したりしますか?以上です。愚問があるかもしれません。よろしくご指導下さい。 |
回答者(りゅうとうまりこ) のばうさぎさん、こんにちは! 2004/11/16 |
(1)通信講座は、約3年くらい前からはじめましたが、かれこれ50名くらいの方が受講しています。(2)今日現在では、26名です。「通信講座生同士が交流できる場所」は、現在のところ有りません。全国にバラついてますから、無理ではと思います。ただし、今後は、通信講座の受講生だけを対象にしたワーク・ショップを年1〜2回くらいは催したいとは考えています。 (3)ワークショップで使用している教材はあります。入門テキスト・中級テキスト・上級テキスト・一般テキスト・カウンセラー養成テキストの5種類があります。しかし、これらは、直接に語り合いながらに使うもので、読み物としてはあまり面白いものではありません。当サイトで発表しているもののほうが面白いのではないでしょうか。そのように努力しているのですが…。また、内容的にも通信受講生用に作られていません。 次に、顔写真などは用意していません。もしも撮るとか冊子にまとめるとしたら、本人の許可が要るのではないでしょうか。そういうことは肖像権ともからみ、問題になると思われますから、とても出来かねることです。しかし、ワークや講座ではビデオを使いながら、説明することはあります。 顔相を読み取るというような専門的な技術を知りたい場合は、ある程度のところまで到達したと思える方でないと、伝授しかねるものです。例えば、鉄棒で逆上がりができたばかりの人に、大車輪は教えないでしょう。また、特定のタイプへの偏見を持っている方には教授できませんからね。むろん、理解力がなければ、次のステップへは行かれないと思います。 どういうわけか、タイプ判定はとても簡単みたいに思う方が多くて、5回受講しただけで、「もう分かった」「自分は各タイプを正確に見破られる」と勘違いする人が後を絶ちません。1年くらい受講すると、かなり分かったつもりになる人が多いのも、エニア界の特長的なところかもしれません。長く受講した人ほど、難しいと分かってきますが。 当会は、なにしろ小さな会であり、手薄です。通信受講生があまり増えるとご辞退しなければならないでしょう。現在でもかなり無理をしている状態で、いろいろなことが山積みのままで、手が付けられずにいます。とても残念に思っておりますが。しかし、ともに築き上げられる可能性があるとは言えます。なお、NPO団体にしたいという希望を持っていますが、まだ何も準備していません。門戸はいつも開けており、優秀な人材を求めています。 |
No976 通信講座の進め方について 質問者(まさやす) 2005/03/29 |
はじめまして。通信講座について質問します。「タイプ判定をすることを通じて性格や心理を理解していく方法を取っています」というご返事を頂いてます。僕自身は、もう少し理論のようなものを身につけたいと思っているのですが(これは僕個人の要望でしかないのですが)、このような通信講座の進め方で、人の心理を理解できるようになるのでしょうか? 具体例をあげることが大切だと、よく回答されているようですが、エニアグラム性格学の講座の進め方の特徴というか、その方法が良いと思われるのはどんな点なのか知りたいと思います。 |
回答者(りゅうとうまりこ) まさやすさん、はじめまして! 2005/04/02 |
具体的な事例から学ぶということをとても大切にしています。また、以前にも回答しているように、「事実A→真実B→真理C」という方向を辿れるように配慮しています。この「A→B→C」を幾度も辿った人だけが、観察力だけでなく応用力も付き、かつ、物事の本質を探り出せる力を獲得するだろうと考えています。 ところで、「事実」とは何かという問題があります。「伊藤さんが加藤さんを殴った」などという類のものは、「事実」だと言えるでしょう。しかし、「伊藤さんは、加藤さんのことを厚かましいと思った」という類のものは、「事実(A)」には入れらません。人の性格は、見る人に拠って違うものであり、伊藤さんには、加藤さんが厚かましい人に見えても、田中さんからは厚かましい人には見えない、ということがあります。 (むろん、別の言い方もよくしています。「伊藤さんには、加藤さんが厚かましい人に見える」ということを「主観的事実」と言い、しかし「客観的事実ではない」と説明することもあります) もしも透明な眼鏡を掛けて見ることができる人がいたならば、その人からは(A)が見えているので、(B)にも早く到達できるのかもしれません。しかし、人は誰も色眼鏡をかけています。(A)ではなくて、(a’)や(a”)となっています。それゆえ、正しいタイプ(B)が見つかりません。むろん別の人も( ’)や(”)が付いていて、真実の姿(B)に至りません。それゆえか、タイプの正解率は2割くらいというのが現状です。 通信講座などで訓練して、20人くらいのタイプ4の人たちの正しいタイプを見つけ出せるようになる(B)と、タイプ4に共通にある気質がおぼろげに見えてきます。それが(C)です。(C)とはいっても沢山にあります。たとえば、タイプ4の「母親コンプレックス」であったり、「末っ子気質」や「人間一般コンプレックス」や「右脳優位タイプ」や「隠れるという自己防衛戦略を持つタイプ」などという、当会が既に発見している理論です。「A→B→C」を幾度も辿ると、まさに、この理論に納得できるでしょう。 (a’)や(a”)しか見えていない人には、たとえ長時間かけて観察を続けても、(B)に到達できず、まして(C)を発見するなどは永遠にできません。「事実 真実 真理」の中に、矢印(→)はなく、この矢印をしっかりとつけられるとしたら、多くの事例から学ばなければならないと考えられます。講座や通信教育では、最後の(C)に到達するように、いわゆる、矢印の部分を作る手助けをしていると思ってください。 ところで、「現場主義」という言葉がありますが、現場をよく知らないと、間違った方向に行く恐れがあります。例えば、殺人現場を完全保存することが大切だということは、事件ものや探偵ものを読んだことがあればわかるでしょう。細かいところまで見落とさないようにする(A)ので、シャーロック・ホームズも明智小五郎も、真犯人(B)を見つけ出せるのです。現場をよく見ないままに、犯人を早く決めつけてしまう探偵や刑事などは、間違った人を犯人だと捕らえてしまう恐れがあります。それが(a’)や(a”)しか見えていないということです。 そして、シャーロック・ホームズや明智小五郎のような優れた探偵や刑事さんがいたとしたら、その人たちも最初から優秀ではなく、沢山の現場や事例を見て、そこからよく学んだからこそ、その域まで到達できたのではないでしょうか。当会の講座も、沢山の人たちのタイプ判定をします。沢山の人たちを観察して、そこに起きた現実の事例(A)から、正しいタイプに行き着くように、こちらが手助けしているので、(B)まで進むことができます。そして、沢山の(B)にまで到達するので、やがて(C)に到達します。(C)がしっかりと頭に入り、悟ることができたならば、やがて、それをそれぞれの現場から見つけ出して、応用したり、問題点を素早く見つけ出すこともできると考えられます。 運動選手でも同様です。たとえば、スケーターの安藤美姫さんに優秀なコーチがいるから、彼女の技能も伸びました。しかし、自身の体を使って幾度も練習しなければなりません。優秀なコーチについたら、練習しなくともうまくなれる、なとどいうことはありません。しかし、優秀なコーチにつかなかったら、世界ランクに到達することはなかったのではないでしょうか。また、幾度も練習するので、難度の高い技術を獲得できるのではないかと思います。「練習」とは、当会の講座で言えば、幾つもの具体的な事例から学ぶことです。 努力したり訓練しないで得られるものなど、それほどはありません。近道というものもありません。エニアグラムも同様で、(C)というものを最初にこちらが明示しても、頭のなかをかすめるだけです。矢印を作り出すのは本人の努力しかありません。努力を嫌う選手ならぱ、そこ止まりになるように、表層的なことばかり見て理論を知っても、応用できないでしょう。理屈を連ねるだけの人たちが、結構存在しますが、事実を知らない、現場を知らないままならば、ずっと、(a’)や(a”)の世界を彷徨うだけではないでしょうか。そんな人たちを幾人も見ています。空理空論に過ぎないのに、真理だと本人が思い込んでいるのです。 身近な人たちから学ぶという姿勢が一番に大切だと考えています。また、何事でも同じで、観察していない人は何も書き出せません。よく観察していないならば、良いレポートは出せず、またレポートしなければ、観察力が付くこともありません。書くこと自体が、いろいろなことを気づかせてくれます。そして、いろいろなことに気づくようになると、自分という人間もよく知ることができるでしょう。ひいては社会や世界に起きるさまざまなことも、それ以前とは違って見えて来るのではないかと思います。 当会の講座を長く受講すると、世界が違って見えるようになりますが、それは自分が変ったからです。自分が多面的にかつ視野を広めて来たためではと思います。このような学びの場というものは、他に類のないものではないかと考えております。 エニアグラムの通信講座が他にもありますから、そちらを受講してから当会の通信講座を受講して欲しいと思います。そうすれば、違いがはっきりとするでしょう。たぶん、予想している以上に、当会の通信講座は高いレベルが要ると思われます。レポートが書けないとか人を観察できないという方にはお勧めできません。 |
No1023 通信講座でレポートを書く意味を知りたい 質問者(みみ) 2005/06/13 |
通信講座のレポートについての質問です。レポートを出してタイプ判定の正当率は2割とどこかに書いてあったと覚えていますが、はたして、それでレポートを書く意味と言うか重みがあるのでしょうか。レポートは添削されるのだと思いますが、添削は1レポートにつき一回でしょうか。初回は8レポート提出とありますが、その次のレポートはあるのでしょうか。それも受講期間は1年間のうちなのでしょうか。申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 |
回答者(りゅうとうまりこ) みみさん、こんにちは! 2005/06/15 |
まず正解率が低いという事実は、何を指しているのかお考え願いたい。人は相手の実態をよく見ているとは限りません。自分の都合の良いように相手を見ているのかもしれません。真実の姿が見えず、自分流の解釈をしているのかもしれません。自分が見えたところだけで判断しているだけで、見えないところは知らないままなのではないでしょうか。 あなたも、相手から、自分のこんなところを見て欲しいのに見てくれていない、と感じたことはありませんか。また、ある出来事がきっかけとなり、違う一面を知って、自分が思っていた人物とは違っていたと分かる場合もよくあることを知っているでしょう。 曇りのない眼鏡をかけてみたら、違う人物が見えてくるかもしれませんが、自分が色眼鏡を掛けていることに気づいていないのではないかと思います。さらに突き詰めると、透明人間になるか、または自分を「無」にして相手を見ない限り、相手をそのままに写し取っているのではないと考えることもできます。尤も、自分を「無」にすることは不可能ですからね。実際、レポートの添削を読んで、自分が色眼鏡を掛けて見ていたことに気づく人は多いのです。 そして、レポートを書くには、その人物を観察していないと書けません。観察が大雑把すぎるとか、まるで観察していないと言わざるを得ない、そんな人たちのほうが多いのではと思います。逆に、書くという作業があるから、観察するようになるとも言えます。そして、書く前と、書いた後では、まるで違います。たとえば、書く前に予想していたタイプが、書いた後では、「待てよ、どうも違うのではないか?」と気づきだすことがあります。視点とか視野に変化が見られることもあります。 その場合、ただサラリと書き綴るだけでなく、推敲することがとても重要なんです。推敲しないでレポートを出すと、あまり学べていないのではと思いますよ。書くという作業が頭をフル回転させるわけで、おぼろげであったものが、くっきりとして来るという方もいます。 実際、私自身も書く作業が、自分を育ててくれた一番のものと考えております。もしも、文にまとめるという作業をこれまで?十年もしてこなかったら、何も学べていなかっただけでなく、人を理解することも、現在までに到達していなかっただろうと思っています。画期的な理論を見出したのも、書くという作業をしている最中に浮かび出てきました。書くという作業がなかったら、今日の私は有り得なかったのです。それほど重大なことです。 ただし、書くことに慣れている人は、また、別の問題があります。ですから、文章をあまり書いたことがない人たちのほうが、かえって、レポート作りをするだけで、物事をしっかりとよく見られるようになり、学んだ成果もすぐに出るように思われます。通信講座は、基本的に文章を書くのが超苦手という方にはお勧めできません。また、かなり流暢に書ける人も適していないかもしれません。 当会の理論を実際の人間関係に役立てるためには、まず自分の周りにいてよく知っている人物のタイプ、心理などを知る必要があります。理論を先に学んだほうが良いと思うのは間違いです。なぜならば、現実にいる人から学ぶという姿勢がないと、役立てる理論なのだと納得できないからです。また、よくあるのは、各タイプの記述を読んで自分なりのイメージを作ってしまう人が多く、それがタイプ間違いの主原因だと考えられるからです。他のところでは、このような方法を取っていないようですが、当会の方法が一番に身に付くことができると自信を持ってお薦めできます。 受講期間は入金から1年間であり、その1年間に、8つのレポートを出す必要があります。1レポートに、一人の人の性格に関する情報だけを書いてもらいます。ただし、一ヶ月に4レポート(4人分)を出して、二ヶ月で1クール終わる熱心な方もいますが、また規定の受講料を払って頂いて、さらに8人分のレポートに挑戦しています。 これまでの最高数は、50レポートくらいだったと思います。これくらいの量をこなした受講生から、自分が色眼鏡を掛けていたこと、それ以前はまるで物が見えていなかったと気づくようになった、などという感想や便りを頂いてます。書くことで自分の考え方に気づき、自分の視野が広がり、また、添削を受けて、次第にさまざまな見方があることに気づけるでしょう。しかし、全ての方がそうなるのではありません。 どんなことでもそうなんですが、そこから何かを学ぼうとする人と、何も学べないままになる方がいます。こちらが学べるように一応は配慮しているつもりですが、実は学ぶ人は勝手に学んでしまうんです。何かを期待するのではなく、「学び取りたい」という、自身の意志の問題が絡んできます。従って、ここを読んだ後でも、「レポートを書く意味と言うか重みがあるのか」と疑問を抱いているならば、受講されないほうが良いのではないでしょうか。 なお、添削は、必要なところに書き添えるのであり、1レポートにつき1回などと決められるものではありません。なお、講座を受けたことで、どのように役立つようになったか知りたいのでしたなら、その他の「仲間たちのつぶやき」を読んでください。バックナンバーには、37人もの受講生たちの文章が載っています。
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No1180 通信講座のレポートについて 質問者(さかな) 2006/02/02 |
こんばんは。私は通信講座のレポートを書く時の癖で、レポートする人以外の情報を取り入れてしまうことがよくあります。例えば、レポート対象者が、家族を見て、「おばあちゃんはお洒落で、気が強いね」と言うとします。レポート対象者が祖母を観る見方の中に、対象者自身の解釈があり、性格の一端が伺えるのではないかと思ってしまいます。情報が少しでもあった方がいいと欲張る結果、関係のない情報を採用してしまい、レポートを煩雑にさせる原因を作ってしまうようです。他人からも、テーマからずれてしまう癖を指摘されることがありますが、自分自身のことなのに、はっきりと自覚ができないままにいます。私のような脱線しがちなレポートを書く人は、事実や人間関係に即したものだけをピックアップして書くことに徹するくらいの潔さがあった方がよいのかどうかお尋ねしたいと思います。よろしくお願いいたします。 |
回答者(りゅうとうまりこ) さかなさん、こんにちは! 2006/02/06 |
文章には、できるだけたくさんの情報を書き出したほうが良い場合があります。しかし、簡潔で正確に最小限の量だけ書いたほうが良い場合があります。どちらを採用するのかは、その文を書く目的に添うものが、良い文なのではないでしょうか。 タイプ判定する場合は、対象になる人の性格に関する情報だけを書いたほうが良いのは申すまでもありません。読み手(判定者)としては、すぐにタイプ判定できる簡潔なものが良い文になります。どんな目的の文章でも、推敲したほうがよく、また何度も推敲するので文章力がついて、客観性や表現力もつくのではないかと思います。 例示されていますが、ちょっと意味が分かりかねます。こちらも挙げてみます。A子さんのタイプを知りたい場合、A子さんが自分の祖母を見て、「おばあちゃんは、気が強いね」と言ったとして、それはA子さんの性格が分かる情報@ではありません。「レポート対象者が祖母を観る見方の中に、対象者自身の解釈があり、性格の一端が伺えるA」というものにはなりません。祖母がA子さんを見て、「Aちゃんは、気が強い子だね」と言えば、祖母からはそのように見えるのですから、少しだけ参考にできます。 あなたの言うようにAちゃんが、「おばあちゃんはお洒落で、気が強いね」と言っても、Aちゃんの気質は浮き出てはいません。これだけでは判りにくいのかもしれません。そこで詳しい事例に書き換えて説明します。 A子さんのタイプを知りたい場合、A子さんの祖母が、隣家の人が庭先で何かを燃やしているのを見て、「その庭で焚き火をすると、こちらのベランダに干してあるフトンに灰がかぶり汚れる、やめてくれ!」と、近所中に聞こえるくらい大声で怒鳴ったBとしましょう。その情報は祖母のタイプを絞れる情報です。A子さんが、そんな祖母の言動を見て、「おばあちゃんは、気が強いね」と言ったとしても、A子さんのタイプは浮き上がってきませんC。 ところが、A子さんが祖母のこの振る舞いを見て、「ご近所さんに恥ずかしくて、私は外に出られない」と言ってススリ泣きをしたようです。それをレポートに書き出せば、A子さんのタイプが少し絞れますD。それは、祖母が攻撃タイプらしいエピソードです。それを恥ずかしく感じるならば、A子さんは攻撃タイプ以外のタイプだろうと予想できます。タイプ9でも無さそうです。ただし、「恥ずかしくて外に出られないと言った」というだけならば、タイプは絞れません。攻撃タイプの娘でもそれくらいは言います。「ススリ泣きをしたようです」とあるところが、攻撃タイプでは無さそうだと判断します。ここの判断が難しいところなのかもしれませんが…。 よくある例なのですが、家族関係をレポートして欲しいと書いてますから、「A子さんと祖母との関係」という項目を立てて、祖母のことを書きますが、Bだけを書いてくる方がいますが、Dが書いてないのです。BとCは書くが、Dが書いてない場合もあります。 あなたの言うAに該当する情報とは、BCDまで書き出した場合です。BやCで終わっていたら、A子さんのタイプ判定に役立つ情報ではありません。書く必要のない省くべき文章になります。Dでタイプが絞れる場合もあり、絞れない場合もあるでしょうが、それは判定者が判断することです。書き手がDに当たるものを書き出せないのならば、BCDは消去するべきものです。 さて、通信講座では、レポート対象者についての知っていることをできるだけ思い出し、できるだけたくさんに書き出す必要があります。それが終わった段階で推敲します。項目別に並べ替えて、次に不必要なものを消去して、整理します。他人から見て分かりづらい表現があるのかは、書き手には見つからない場合がよくあります。その場合、家族や友人たちに協力してもらうことも良いものです。誤字脱字も、書き手には見つからない場合がよくあります。一週間後に再読すれば見つかったりします。 そのようにいろいろなところから、より良い、より分かりやすい文、より目的に合った文に作り替えることが「推敲」です。最初から簡潔にする必要はなく、ピックアップしたり、潔さも不必要です。最後の仕上げとして、不必要なものを見つけ出し、できるだけ消すという作業が重要になるでしょう。とにかく量がたくさんに書き出せないならば、不必要なものを消すことなどできません。 ところで、その時のテーマになっていることから脱線する方は、かなり多く見かけます。要点だけをかいつまんで話すことができない人もよく見かけます。このような場合、文章を推敲するという作業を長く続けると、かなり改善されるように思います。 |
通信講座受講生(4w5)のつぶやき! by/ゆび 1 人の心がわかったらいいなあ! はじめまして。通信講座受講生のゆびです。もう通信講座を始めて2年くらいになります。今日はみなさんに「通信講座受講生のつぶやき!」をお伝えします。 私が通信講座を始めたきっかけは興味本位からでした。「人の心がわかったらいいなあ!」なんて。通信教育だからお手軽だったし。ところが、エニアグラムを学び始めてしばらくすると、不思議なことに気付きました。「あれ、近頃上司にガツンと怒られたことが無いなあ。いつもなら、月に1度は食欲が無くなるくらい怒られてたのに」・「そういえば、最近の飲み会は楽しいのばかりだなあ。以前はつまらない飲み会ばかりだったのに」・「うーん、この頃部屋がきれいだなあ。ちょっと前まで、ニュースに出られるくらいのごみ屋敷だったのに…」 もちろん、最初は偶然だと思ってました。「近頃課長が優しいのは、何かいいことあったんだろう」・「今日は飲み会のメンツに恵まれたなあ」・「最近、来客が多いから掃除することも多いしね」 しかし、ずっとその状態が続くにつれて、これは偶然ではないと思うようになりました。「ひょっとして、エニアグラムを学び始めてからじゃないか? うん、そうだ。そうに違いない!これはエニアグラムのおかげだ!」 エニアグラムを学んでいる人の中には、「エニアグラムを学んだことで自分が変わった!」と言う人もいると聞きました。残念ながら、私にはそこまでの実感はありません。しかし、エニアグラムを勉強しているうちに、それまでは思いもよらなかった、いくつかの人間関係のコツや、日常生活でのコツをつかみ、より充実した生活を送れるようになったことは確かです。では、これからいくつかの具体例を、できるだけわかりやすく紹介していこうと思います。 2 怒られることは大嫌い! 私は小さい頃から怒られることが、とにかくイヤでした。怒られないために、先生の言うことを忠実に守ろうとしてましたし、また、周りで先生に怒られている人を見るととても怖くなりました。ほんの少しでも怒られると、動揺してオロオロしましたし、怒鳴られようものなら顔は青くなり、体は震え、涙目になり・・・。 その日1日はがっくりきて、何もする気が起きなくなりました。そして、その後しばらくは怒った人の事を恨めしく思っていました。怒られて良かったなんて思ったことは、一度も無かった気がします。 さてここまで読んで、自分もそうだよと思った人も多いと思います。みんな子供の頃にこっぴどく怒られた経験があるようで、この話には多くの人が共感してくれます。だから私も「みんな、おんなじなんだ!」と思ってました。エニアグラムを学ぶまでは。でもでも、そうでもないみたいです。 ここで、具体例をひとつ挙げます。Q&A室381番ゴリブーさんと竜頭さんとのやり取りです。みなさん、どう感じるでしょうか、読んで見てください。 http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/q&a/q&a05.htm http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/q&a/past/10.htm ゴリブーさんの相談(13 381)に対しての竜頭さんの回答は、私から見てとてもきついなあと感じるものでした。「誰もあなたを叱咤激励しません」・「自分の学びたいことを、自分の手で見つけられない」・「自己管理ができないからではないでしょうか。 自分に甘過ぎるとも言えます」・「自分で自分を追い詰めるしか、自分を活かす道はないと思ったほうがよいかもしれません」 |