特集シリーズ
    昔話や童話から、タイプを理解する方法
  

                                  

              
 

   
 かぐや姫はタイプ4か? 


  日本で一番古いおはなし 
                          
 
「かぐや姫」は、「竹取物語」に出てくる美しい姫のこと
です。このお話は日本で最も古いお話だと言われています。
なにしろ、富士山がまだ火を吹いていた頃に書かれたような
ので、相当に古いのです。たぶん、905年以前くらいだと
考えられています。
                           
 
「いまはむかし、竹とりのおきなというものありけり」
ら初まります。竹を取って竹籠を作る職人が、ある日、竹の
幹が光っているので近づくと、そこに三寸(約9cm)ほどの
小さな子を見つけました。そこで、お婆さんと二人で育てる
ことにしましたが、その後も、竹を取りに行くと、竹の節の
ところに黄金が入っていて、竹取り職人はしだいに金持ちに
なります。また、その子も三ケ月経つうちに、一人前の美しい
娘に成人してしまいます。そこで、名前が付けられることにな
り、「かぐや姫」と呼ばれます。      
 ところで、漢字にすると「輝夜姫」であり、夜も輝くという
意味のようで、この美しい姫を妻にしたいと、5人の求婚者が
現れます。しかし、かぐや姫は求婚者に、無理難題をふっかけ
ます。


2 求婚者に課せられたもの 
                          
 
かぐや姫が、求婚者に求めたものは、簡単には手に入りそう
もない品物でした。5人ともに失敗に終わるのですが、この描
写が「竹取物語」の大部分を占めており、面白いところでもあ
るようです。ちなみに何を求めたのか書き出してみます。

 1人目の求婚者に、天竺(インド)にある「仏の御石の鉢」
 2人目は、東海にある「蓬莱の玉の枝」のうちの一枝。
 3人目には、唐土(中国)にある「火鼠の革衣」
 4人目には、「竜の首にある5色の光る玉」
 5人目には、「燕の持っている子安貝」を一つ


 
しかし、どの求婚者たちも、かぐや姫の望みのものを持参で
きません。やがて、かぐや姫の評判は、帝の耳にまで達して、
宮中に召したいと請われます。しかし、かぐや姫はもとは月の
世界の者だそうで、天人に迎えられて月に帰ってしまうという
物語です。

 さて、かぐや姫の性格に関する記述がないか探しました。故
川端康成氏による現代語訳で、英訳つきの著書(講談社)があ
ります。英訳はドナルド・キーンという著名な日本文学研究者
で、古語も併せて載っています。
 なお、正しくは「竹採物語」なのだそうです。「取る」より
も「採る」のほうが、竹籠を作る職人の話なので、適切な表現
であること、今回はじめて知ることができました。


3 かぐや姫の性格は?

 
まず、求婚者を退けるかぐや姫は、「自分はよくない器量なの
で、相手の心を知らずに契ると、心変わりされて、後悔するかも
しれない」、また、「どんなに位の高い人でも、その人の心の深
さを知らずに結婚はできません」とも
言います。

 かぐや姫は、相手の心変わりまで考慮するのですから、心配性
か、または慎重な性格なのかもしれません。しかし、その頃は、
男が嫁のところに通う「通い婚」であり、貴族などは幾人もの妻
を娶ることができたのですから、それくらいの予想は、どのタイ
プであろうとも考えたことでしょう。

 そして、宮中に召されることを、かぐや姫は拒否しますが、
「無理に言うならば死ぬ」と翁に告げます。また、帝には「私は
この国の人間ではないから、無理に連れて行こうと思っても無理
ですよ」と拒絶します。そこで、帝が輿(こし)に乗せようとし
たが、かぐや姫は消えて影のようになってしまったようです。


 
以下は、かぐや姫語録です。
「雑草の生えている卑しい家だが、そこが私の家で、今更、金殿
玉楼に住みたいとは思わない」、「月を見ると、なんとはなく、
世のなかが哀れで、心細く思われる」、「私はこの世の人間では
なく、月の世界の者です。何か前世の因縁によって、この世に遣
わされたのでしょう」、「月にいる両親のところに参るのもうれ
しくない」、「こちらに慣れ親しんだので、悲しいばかり」、
「私ではどうすることもできない」、「月の世界の人は非常に美
しい人々です。歳をとることもない、何一つ心配事もない世界で
す。結構なところなのに、わたしは少しもうれしくない」、「翁
たちを見捨てて参るのが悲しくて」と大いに泣きます。  
 ところで、月の使者は「かぐや姫は、ある罪を犯したので、卑
しい身分の所に身を寄せることになったのだが、今はその罪が消
えたので、迎えにきた」となっています。


4 奇抜な発想をするタイプとは!       

 
私たちは「漆黒の闇夜」をあまり経験しない時代に生きていま
す。都会に住むと、星の姿もまばらで、月を眺める気分にはなれ
ないかもしれません。しかし、昔の月夜はきっと現代とは違い、
まぶしくて神々しいくらいだったのではないでしょうか。そんな
時代に、少女が月を見ているうちに想像力が働いて、この物語を
作り出したとしたら、それは、どのような性格の少女だったので
しょうか?

 たくさんの求婚者を振り払って、別世界に行ってみたいと願う
のは、どのタイプの少女でも想像しそうです。しかし、調和タイ
プの少女は、これまでの創作品から見ると、現実からかけ離れた
物語を想像することはないように思われます。現実の世界で、成
功したり、人々から羨ましがられる身分に登り詰めたり、皇子に
見初められるというようなものばかりです。

 例えば、シンデレラ物語のようなハッピーエンドの物語です。
そうでないなら、周囲の人との関係で苦しめられるとか、そこで
の喜びや幸せを描くような作品が多いのです。
   
                 
 それらのマンガ作品から言えるとしたら、調和タイプは、現実
から飛躍した奇抜な物語を創作していないことです。また、タイ
プ1と5も、詩情溢れる文学作品やマンガなども、これまでのと
ころ見つけていません。もしかして、未発見の創作品はあるのか
もしれませんが、その性格からして可能性は低いのです。真面
目で硬く、イメージ力も高いとは言えず、いつも現実的な視点で
物事を捉える傾向があるからではないでしょうか。


5 かぐや姫は運命に抗わないタイプ?
                    
 
次に、かぐや姫には、タイプ8のような力強い意志や逞しさが
あるようには見えません。タイプ8ならば、月の世界への冒険を
夢見る可能性があり、帝の妃になって、金と権力を獲得して、そ
の次に月の世界へ登り、その地を征服したいという想像をするく
らいでしょう。しかし、かぐや姫は求婚者を拒否する意志はあっ
ても、運命に従っているに過ぎません。

 少女マンガを見れば分かるように、作者は自分の憧れや理想を
描く傾向があります。かぐや姫は権力指向がなく、金殿玉楼に住
みたいという欲望もありませんから、タイプ8の理想とするキャ
ラクターではないと考えられます。

          
 
タイプ2も、タイプ8と少し似ており、自分のしたいことを早
々と見つける人で、好きな人を見つけやすいのです。理想的な男
性と月で巡り合えるとか、その男性とともに、月世界を理想郷に
するなど、建設的な想像をする可能性があります。タイプ2は肯定
的な世界観を持つタイプですが、かぐや姫は、どこかもの悲しく、
運命を嘆いているだけの人物に見えます。従って、タイプ2の性
格からして、かぐや姫のようなキャラクターは異質に感じるでし
ょう。


6 消去法では、タイプ4が残る! 

 
さて、残りはタイプ4とタイプ7です。この二つのタイプは似
ているところが多々あります。奇抜なストーリーを思いつきやす
く、恐ろしいことを想像しやすいのです。両タイプは「世界の淵
にいると自己認識するタイプ」ですから、「存在の不安」があり、
腰が軽くて落ち着きにくく、自分の居るべき場所が見つかりにく
いことも共通しています。

 一見、かぐや姫はタイプ4らしく見えますが、求婚者たちの要領
の良さ、変わり身の早さなどは、タイプ7が想像しやすいものばか
りです。また、かぐや姫が月の世界に行くところよりも、求婚者た
ちが宝物を探しに行く場面のほうが、物語に占める量が圧倒的
に多くを占めています。

 しかしながら、タイプ4は人間性の汚さ醜さをよく見ていますか
ら、このような求婚者を想像して作り出すことはできるでしょう。
また、タイプ4は頭でっかちとなりやすく、さながら、心だけで
生きているように見える人が少なくありません。
 現実から逃避したがり、仙人のように浮世離れした印象のある
方も少なくありません。カスミを食べて生きているとか、心ここ
にあらずで、金殿に住みたいとか贅沢をしたいという世俗的な欲
求も低く、一人で空想の世界で、自由に遊んでいたい娘もしばし
ばいます。
 しか、タイプ7は現実逃避ではなく、苦しいことから逃避するの
であり、世俗的な欲求が強く、金殿玉楼に住みたがる傾向は、強
く見られます。つまり、消去法で見ると最後に残るのはタイプ4
になってしまいます。


           
7 ダジャレの連発   

 
ところで、昔からダジャレを連発して得意がる人はいるもので
す。まず、竹取りの翁が竹を取りにいくと、「籠(こ)ならぬ、
子を見つけた」とあります。
 一人目の求婚者が、「仏の御石の鉢」を探しに行きますが、
「鉢(はち)を捨て」と「恥(はじ)を捨てても、あなたへの望
みを捨てません」をかけています。
 五人目の求婚者は、子安貝を持ってこれなかったので、「貝が
なかった」と「甲斐がなかった」を掛けています。それに対して、
かぐや姫は、お見舞いとして「松かひなしと聞くはまことか」と
返歌を送ります。それも、「待つ甲斐がない」と掛けているよう
です。最後のところで、かぐや姫が残していった「不死の薬」を、
竹取の翁が駿河の山に捨てたので、「富士の山」と言われるよう
になった、というものです。

 「ごろ合わせ」とも言えるのですが、日本語は同音異語がたく
さんあります。ドナルド・キーン氏によると、他国に例を見ない
ほど多いようです。
 いずれにしろ、ダジャレの多い物語であったとは、意外なこと
ではなかったかと思います。なお、現代でもダジャレ好きな人は
います。意外なことですが、全タイプにあり、タイプを絞れませ
ん。タイプ2・3・4・6・7くらいは、しばしばダジャレで遊ぶ人が
多く、タイプ9にもダジャレ好きな人がいます。語彙が少なく言語
能力が豊かなほうではありませんが、だからこそ、ダジャレを駆
使したいという欲求が起きるのかもしれません。

 なお、タイプ4も7も、言葉遊びをしたがる傾向はくっきりと見
えます。また、輿に乗せられそうになると「消えて影のようにな
る」とあります。この発想はタイプ4が想像する場合が多く、これ
は「隠れる」という自己防衛戦略があるからではないでしょうか。

 そして、月の使者は、「かぐや姫はある罪を犯したので」と述
べています。なんと、かぐや姫は島流しの罰を受けて地球に来た
人のようです。これは、自分への肯定感が少なく、自己嫌悪しや
すい性格の人が創作したものと考えられます。つまりタイプ4に
よくある傾向です。

 結論づけられるならば、富士山が煙を吐いている頃に生きてい
た少女は、タイプ4で、自分への慰みに、美しくも悲しい物語を作
ったのではないかと想像します。