仲間たちのつぶやきシリーズ                                    

 2007/06/20
         エニアグラムを学んで 
                                               
                     by 高原の日の出  
エニアグラムに出会ってからの母のこと、また、エニアグラム
に対して感じていることを中心にいくらか書くことにします。私
が属するエニアグラムのタイプは4w5です。母は2w1の中で
も、のウイングが比較的重い部類に入るようです。
  

1.日常に見られた母の様子 

母が家のものを整頓して収納すると実にコンパクトにまとめま
す。母が整理した押し入れから、必要なものを取り出した後、残
りをしまおうとすると、私や父ではまず収納に一苦労です。

 母は散らかった私の机の上を見て「少しは片付けたら!」と頻
繁に口にします。そのままにしておいてくれるよう余程強く頼ん
で出かけないと、必ずといっていいほど整理を始めてしまうとみ
てよいほどでした。私が少し出かけた際には、必要としたものが
整理されてしまい行方不明になることもありました。そのような
時に、母を私が責めたならば、「私はなにもしていない」、「ただ
そこにあったものを積み重ねただけ」と言い張ることもふつうで
す。しかし、結局は探し物をしてくれます。  
小学生を塾に通わせる希望は無かったと言う母ですが、実際に
自宅で私に勉強のハッパをかけたのは父ではなく母でした。「受
験生がこんなにのんびりしていていいの?」だとか、「〇〇君は△
△くらい頑張っているらしいわよ」などと時折言われたものです。

 母は人付き合いをソツなくこなしているよう見えたので、お母
さんは人付き合いが上手くていいね」と、言ったことがあります
が、「私も昔はそうではなかった。訓練よ。訓練」と言っていま
した。母からはよく訓練という言葉を聞くことができたのでし
た。  
母の話し振りにおいては、こんな風なことがあって、あんな様
なことがあって、そしたらね・・・、と話し続けようとする様子
が、と延々いつ終わるともないものに感じさせることがあります。
話が回りくどいと感じて私は苛立つこともありましたが、よく聞く
ことさえできれば、事実あったことを全て話しきろうとしてくれて
いるのも判ります。  
2.まじめでありながら大雑把な母

  母は主婦としてはかなりの優等生ではないかと思えます。そし
て、料理、洗濯、掃除と完璧にこなしてあたりまえのようです。

 母の料理はいつも美味く、仕事などで父がどんなに遅く帰ってき
たときも、きちんと食事の用意がされました。父と私が魚釣りに行
く時は朝の三時半頃でも、一緒かむしろ早めに起きて、朝ご飯や弁
当の用意をしてくれるのです。しかし、食べ物に関して几帳面と言
う訳では有りません。賞味期限は厳密なものではないと言って、期
限が切れていても平気で食べようとしますし、おやつのケーキの隅
の方にカビが生えていたことも幾度かありました。 
これまで、体調の良くなさそうな時も有りましたが、歯科以外で
医者にかかることは珍しいことでした。具合が悪いと少し漏らすこ
とはあっても、寝て回復を待つことが多かったようです。病院など
で検査をうけるのもあまり好きではないようなのでした。
  

3.両親と私の休日 

母は、しっかりしていると思います。全般的に質素で倹約的であ
ったと思いますが、教育に関しては別でした。これについては父も
同様であったと言えます。一方、遊びとなると、母も連れて行って
くれたことはありますが、父(7w8)との思い出がより多いもので
す。  
父は、レジャーランドやプールにも連れて行ってくれましたが、
幼い頃に何度もついていったと記憶する競馬場も懐かしいものです。
たばこの煙は酷かったですが、群集の喚声の中、父が買った馬を応
援しているのも楽しかった思い出です。特に魚釣りにはしょっちゅ
う連れて行ってくれました。家族旅行で行く海水浴でも、魚釣りが
できるところが選ばれました。

 母が温泉や散歩にでたり、部屋で待っていたり、時折魚釣りの様
子を覗きにくる間、私達は早朝や夕べの舟付場や防波堤で釣りをす
るのです。船に乗って、沖へ出ることもありました。勿論父は、時
々一人で家から遠出して沖釣りに行き、ほとんど何も釣れないまま
帰ってくることもあれば、魚やイカでクーラーボックスを満タンに
して帰ってきたりもしていました。

 私はといえば、魚釣りも好きですが、釣り自体より父と出かける
魚釣りが結局は楽しいのだと思います。母に外に連れて行かれるよ
りも、遊びに関しては、父との方が共に遊べる感じがしたという点
において、より楽しめたのだと思います。  

4.いさかいと家族 

母と私の父との間では時折割合激しいと思われるケンカが見られ
てきました。口げんかはあっという間にスパークしえました。私が
家を空けていたときで、時には手足が出て、母がアザをつくること
もありました。

 姉(2w1)の場合は、同居していたときには、父母が口げんかを
していると、しばらくがまんしていたとみえる後で、自分の部屋よ
り出てきて、両親へ対し「もうやめてよ!」ということが多かった
と思います。

 私の場合は、よく幼い頃、大丈夫かなとやや不安になりながら、
まあ大丈夫だろう、と考えつつ布団に潜って静まるのを待っていま
した。最後には母が慎ましく見える形で正座をして、黙って説教を
聞く様子が多くみられたものです。しかし、そのような段階にあっ
てすらなお、所々では堪忍しきれなかったと見えて、突如かのよう
に口頭で反撃に出ていたということも、母のタイプの性質が顕われ
ていたものらしいと、後になって知ることとなりました。

 私は現在両親と離れての生活となっています。父からは、幼い頃
から長く厳しく叱られることがありました。私が納得することがな
いままに謝ることを拒んだためだと思います。

 母は違っていましたが、私が大きくなるまで、おそらくは物の受
け取り方の違いに起因して、母が聞く耳を無くしたと感じたときに
は、母へ強く反論せざるを得なかったと感じたことも時折ありまし
た。しかし、全体的には真の思いやりから生じた賢さが母の内には
着実にあったのだと思います。

 父の健康を日々気遣い、私たち家族の世話を焼きながら、確実に
立派で大きな存在であり続けているということが、それを示す証拠
であると、私は実感しています。父にしても、普段はちゃらんぽら
んに見えるところがありますが、母の賢さとは別のキレと用心深さ
があります。ですので、2人が一緒にいるからこそ、母についても
安心できると、実際私には感じられるところがあります。  

5. 究極のエニアグラムと私 

中高生の頃には、心理学のようなものに、いずれは触れてみたい
ものだと思い立っていました。神経を顕微鏡で覗くのとは、別のや
り方でもって、心の深奥に挑もうとした人との評判を知って、ジー
クムント・フロイトについての新書を読んだ記憶があります。学校
で世界史の先生に出された自由課題のレポートのために手にしたも
のでした。

 周りの人や自分に関して、理性的には割り切りにくいものだと感
じた機会がまれではなかったのだと思います。理解を支えるような
学問があるのではないか、と期待したように思います。深層心理に
挑もうとの努力がなされていたのだと知り、興味を抱いたものでし
た。
 ただし、疾患の治療として、あるいはそれ以外であれ、成された
問題解決の方法としては、実際に満足する程度の有用性をもたらす
ものなのか、どれほど実証された理論に基づく方法であるのかは少
なくとも当時の私に度し難かったのでした。
 このように、しばらく昔に感じていたことでしたが、そもそもは
人間や社会を、心の働きを通して理解しうる、と思ったのも私らし
さを示していることかもしれません。

 ただ、容易に見えるものより、表からはすぐには見えてはいない
ものに、未ださほど明らかとはされていない事象の原因があるのだ
ろうと推測してみるのが割と自然なことであろう、とは言えそうで
す。

 的確な分類による類型論には高い有用性があるかもしれないと思
い始めてはいたのですが、後に知ることとなったこのエニアグラム
の世界では、個々人へ対して実際に、気質についての1から9まで
のいずれかの番号がついており、これが突然に現れたかに見え、ま
ずは奇異な第一印象を持ちましたことを否みません。
 しかし、また同時に、ここでは沢山の種類の行動が解かれており、
平易に説明しうるものとされてきています。そのうちのいくらかを
少なくとも、私にでも既に了解でき、役に立つのだと納得しえたの
です。  
2つの性による生殖を行うHomo sapiens sapiens という種があり、
その集団の中に主に地域と関連する人種的な多様性があるといった、
既存の生物学的な見方の次元を超えた見解が存在する。つまり、
(タイプごとの)ものの見方、感じ方、行動パターンで、はっきり
と分類されうる種類が存在していて、それぞれによる異なった世界
観が同じ地上に存在しえているということ。

 そうしたパターンが哺乳動物の少なくとも一部には全く共通され
てきたものである可能性があること。こうした可能性の指摘は、極
めてロマンにあふれていると、感じさせます。裏付けられてはいな
いのですが、真にせまるならば、少なくとも個々のレベルにおいて、
社会の趨勢がさまざまな分野で現在後押するように、新しい視点に
よって得られる情報の扱いには正確さと慎重さが検討考慮され、実
現されるべきものになるだろう。

 そう実際に考えさせられただけの、インパクトがありうるかもし
れない。末尾に全般的に抱いた感想を加えさせていただきました。