仲間たちのつぶやきシリーズ                            

2007/04/20


                
タイプ12の父について 
                               
                       
     By ベル

    
 
  幼い頃、私は父方の祖母(2w1)、父(1w2)、母(7w6)の4人で暮
らしていました。子どもの頃、父(1w2)と直接話をした記憶はなく、常
に母(7w6)を介して会話をしていたように思います。また、私(2w1)
自身も、かんしゃく玉が爆発するように怒る父(1w2)を避けていました。
だからなのか、中学までの父(1w2)との思い出はほとんどありません。


 
 怖い父??
 
 中学生になった頃から、祖母と離れて住むようになりましたが、相
変わらず父と私がまともな会話をしたことはありませんでした。研究
職だった父は、毎日のように膨大なデータを持ち帰り、テレビを見な
がら解析を続けていました。大抵、ドキュメンタリーかニュースか科
学番組と決まっており、娯楽番組といえばNHKの大河ドラマか昔の
映画ぐらいだったでしょうか。

  私はアニメ番組が大好きでしたが「くだらない!」と言われるので、
父の前では見たことがありません。また、普段着や下着姿でいるときも、
いわゆる「くつろいでいる」とか「乱れている」というような父の姿は見た
ことがありません。
うまく表現できませんが、「いつもきちっとくつろいでいる」のです。本
当にだらっとしてしまう私のことが、父からは非常にだらしなく見えた
のでしょう。よく「だらしがない」と言われました。

 私は本が好きで食事中も本を放せずにいると、「行儀が悪い!」と
怒られましたが、父自身は新聞や本を読みながら食事をしました。そ
れを私が指摘して、よく喧嘩になりました。
しかし、記憶するかぎり、父から謝罪の言葉を聞いた憶えはありません。
「触るな」と言って、わざわざよけて置いた私の工作を触って壊したので、
父に謝罪を求めたら、真っ赤な顔で逆ギレされたこともあります。私か
ら見るとただ怖い、潔くない卑怯な父でした。 
 
      お茶目で、粗忽な父?
 
 テレビだけを見ているのは苦手だったのでしょうか。仕事がないときは、
紙がそこに置いてあれば、折って、幾つも重なった箱を作ってみたり、
爪楊枝があれば、何か分子構造みたいなものを作っていました。針金
があれば骸骨を作り、自転車を作ることもありました。朝になるとテーブ
ルの上に作品が置いてありました。何もないときは、ひたすらトランプで
ひとり遊びをしていました。 

 おっちょこちょいのところもあり、パジャマのズボンを穿いたまま重ねて
ズボンをはいて出かけたことがあります。左右ちがう靴下を履くのはしょ
っちゅうです。
特に忘れられないのは、ネクタイを2本重ねてはめて出かけて行ったこと
です。指摘されたり、自分でそれに気がつくと、真っ赤な顔をして恥じます。
しかし、あまり気持ちを長く引きずらないのか、懲りずに同じ過ちを繰り
返していました。ウイング2になると、タイプ2が粗忽なので、結構、そそっ
かしくなるみたいです。  
 
      私にとっての転機
 
 何かやりたいことがあるとき、私は父と直接話すことはありませんでした。
いつも恐る恐る母にお伺いを立てました。そうすると、母からの返事はい
つも決まって、「パパが悲しむわ…」「パパはそれは嫌いよ…」。その言葉
で私のやる気は全て萎えました。父が私の未来を閉ざす暴君に思えました。
 
 それが間違いではないかと気づいたのは、高校三年生の時です。進路
決定のとき、やはり希望の学部を選択することは許されず、外国語学部、
なかでも英語を選択するように言われましたが、父に怒られるのを覚悟し
て当時マイナー言語であった「スペイン語」を選択しました。

 ところがそんな私に父から思いがけないものが贈られました。机上に
俳句か短歌のようなものがおいてあり 「人の行かない道にこそ花が咲く」
といった内容が書いてありました。へたくそな字を見ながら、なんとも言え
ない奇妙な気持ちになったのを思い出します。そして、長い間描いていた
自分の父親像に疑問を持ち始めました。

 私が父と直接会話を交わすようになったのは結婚してからです。そこで
徐々に誤解が解け、私のやりたいことを阻んでいたのは母で、父は何に
対しても反対するような人ではないということが解ってきました。母は私の
話を何一つ父に話していませんでした。何かがしたいと言うと、父はむしろ
前向きな助言をし、考えられる限りの注意事項とともに励ましの言葉をく
れます。また、エニアグラムの勉強も進み、私も段々冷静に父を見つめる
ことが出来る様になってきました。
最近になって、あの句のことを聞いてみましたら調べてくれました。「人行
かぬみちにはなあり吉野山」なんだそうです。よく憶えているなと感心します。


  子どものようなところ
 
 大学時代、両親に内緒でリスの子を買ってきたことがありました。見つか
らないように隠してそっと飼っていたつもりですが、何でも私のものを探りだ
す母に見つかり、父に告げられてしまったようです。
 ところが何も言われることがなく過ぎましたので、私は見つかったことなど
知らず、リスをケージから出さずに飼っていました。ある時リスが逃げ出しました。
さあ大変と思ったら、私の肩に乗ったりポケットに入ってきたり、非常に人な
つこいのです。
 不審に思って母に問いただすと、なんと父が私の留守中にいつも自分たち
の部屋に放して遊ばせていたそうです。結局、リスは父のペットになってしま
いました。
 そのころ、父は「能」関係の高価な古書をたくさん集めていました。古書は
澱粉のりで糊付けされていて、紙も和紙で天然物なので、リスはおいしい餌
に思ったのでしょうか。かじられて背表紙がぼろぼろになってしまいました。
私が少しでも触ると怒鳴られましたが、リスにはちっとも怒らないのです。
 現在は犬を飼っていますが、犬にいたずらされると大騒ぎしてうるさいのに、
一切無抵抗な父と、やさしく声をかけ微笑みながら容赦なくケージに閉じ込
めてしまう母が好対照です。

 
  始末?けち?工夫?
 
 エニアグラムのおかげで、それなりに父を少し受け入れることができるよ
うになりましたが、父の行動にはどうしても理解できないものがあります。
たとえば、財布が古くなって破れてきたのに、補修をして、まだ使おうとします。
買えばいいのにもったいないといって買おうとしません。

 そこで、うちにあった高級ブランドの財布を夫からだと言って渡しました。
父も高価であると認識を持っているブランドです。とても恐縮して喜んでい
ましたが、「キーホルダーをつける場所がない」と最後までこだわっていました。

 次に会った時は、自分で穴をあけてキーホルダーをとおした財布をうれし
そうに見せてくれました。ボンドでしっかりと補強をした裏側も、得意そうに
見せてくれました。表にもボンドが飛んで、せっかくの革の表面を一部損傷
していましたが、気にしている風はありませんでした。 
 

  趣味のあり方

 
 若い頃、「鎌倉彫」を習ったのがきっかけで、干支の置物、観音様、神楽
面を彫り、最終的には能面作りまでいきました。能面は製作方法に制約が
多いようで、最初は習ったとおりの方法で製作していました。しかし、次第
に独自にスケールを作ったり型を取るための道具を考案して、少しでも合
理的な方法を探しているようでした。

 結果、大変精巧でお手本に忠実な作品が出来上がるのですが、その割に、
いつも些細とはいえ、ミスが見つかります。それを指摘しても、照れ笑いはし
ますが、あまり気にしている様子はなく、修正する気もないようでした。
 
 現在、76歳の父の趣味はパソコンと川柳です。パソコンはマニアックです。
ネットオークションで部品を購入したり、フリーソフトをインストールしたりして
工夫を楽しんでいます。そして、そのソフトとかの評価を必ず相手方に送る
のですが、よくお礼の図書カードとかクオカードとかをもらっていますから、
その内容もたぶん細かいマニアックなものだと思います。

 川柳についても、パソコンに自分あるいは他人のデータを入れて、何かを
分析しています。例えば選者の好みの分析です。選者を見て、投稿する句
を考えているようです。かなりの確率で新聞やら雑誌やらに載せてもらって
います。

 複数の川柳の会に属していますが、その中の一つで、父の写真が会報の
表紙を飾りました。それがきっかけで、カメラの教室に通い出しました。中高
年向きのものと若い人向きの講座があったようですが、躊躇なく若い人向き
の講座を選んだようです。自分を除くと平均年齢が23歳位だと喜んで話して
いました。 
 また、お世話になった川柳の先生が辞めるので、先生のために見よう見
まねで句集をつくりました。それが評判が良かったので、製本の勉強まで始
めました。今はいろいろな人に頼まれては、せっせと句集を作ってあげている
ようです。次々広がって終わりがありません。貪欲に学ぶというよりは、淡々
コツコツといった感じがします。


  
 父と私
 
 父は報告魔で、知らない間に事実を並べた長いメールを送信してきます。また、父は、大変だまされやすい気がします。最初に、「これは権威ある大学教授の意見である」などと前置きをすると、すぐ関心を示し、まじめに聞く態勢になります。頼りになりません。

 40歳を過ぎた私に、何の躊躇もなくいろいろな可能性を示し、励ましてくれたりもします。大変前向きな、それでいて押し付けがましくない助言をしてくれます。もし、私が小さいときから父と話が出来ていたなら、かなり違った人生を歩んでいたような気がします。

 人と人との関わりは不思議です。たった一つでも好意をもち、見方を変えることができると、もつれた糸がほどけていくように、いろいろなことが解決していきます。私にとって、父の存在は重要なものでした。「コンプレックス」にあたる人間関係はあなどれません。私には「父親コンプレックス」があることを実感できるようになりましたが、この一つが解決することによって、私の心はかなり軽くなりました。

 自分の問題は、ずっと7w6の母にあると思っていましたが、父との確執が取れてきた今、なぜか母のことも自然と解決がついてきました。今後は、もっともっと自分自身の「2w1」を勉強し、理解したいと思っています。