仲間たちのつぶやきシリーズ                              

 2007/02/20
             
タイプ7w8の父のこと 
                               
                    By/happy-time

  エニアグラムに出会う前から、私は父のことを「子どもっぽい人」と感じていました。子どもの頃の家族は人で、祖父・祖母・父(7w8)・母(2w)・私(w)・弟(w)でした。ちなみに、父は「タイプ7」ですが、ウイング8は軽いようですが、まだ正確にはわかっていません。

 私は自分のことを「マザコン」だと思っていたくらいで、父には関心がないと思い込んでいました。しかし、エニアグラムを学んで、本当は「ファザコン」なんだとわかった時、「理想の父を追い求めている自分」がいることに気づきました。父に関しては、あまりいいことを思い出せません。正直、あまり考えたくないんです。でも、試練だと思い、書こうと思います。

 
 父なりに娘をかわいがっていた!?

 父は、赤ん坊の私を膝に入れて食事をしたり、室内用のブランコを買い、ミニカー(足でこぐタイプ)を買ったり、庭に鉄棒を作ったそうです。カメラが大好きで、自分で現像していました。また、私が写っているアルバムは、5歳までのものが、10冊ぐらいあります。

 父は出かけるのが大好きな人で、私が小学生くらいまでは、休日は必ずと言っていいほど、どこかに出かけていました。また、毎年のように父の友だちの家族と旅行しました。遊びの予定は決まっており、父に「どこに行きたい?」と聞かれた記憶はありません。私は毎週どこに連れて行ってもらえるのかと楽しみでした。例えば、遊園地、動物園、各地の花火大会やお祭り、プール、アスレチックなどです。面白かったのはフェリーでクルージングしたこと、乗馬したり、船で島に渡ったりしたことです。夜のカブト虫獲りやカニ獲りとか、蛍を見に行ったこともあります。まだまだありますが書き切れません。新しい遊び場ができると、そこにすぐに出かけたような気がします。

 近場で遊ぶのではなく、遠出することが多かったように思います。近所で遊ぶ時は、家に船があったので、よく沖まで連れて行って魚を掴んだりしました。父は船が好きで、「船舶一級の免許があるから、すごいんだぞ!」とよく話していました。父は一見するとクールな感じに見える人で、出かけても大騒ぎすることはなかったので、楽しんでいたのか、それはわかりません。また、私をいろいろなところに連れて行ってくれましたが、可愛いがられているとは思えませんでした。どうしてなのか、今もわかりません。

父は命の恩人

 私が幼ない頃、実家はうなぎの養殖をしたり、海苔などを作っていました。祖父母と両親が一緒に仕事をしていたのですが、父は真面目に働かず、ヒマができるとすぐに遊びに行ってしまうようでした。うなぎの餌やりは父の仕事で、3〜4歳の私はよく付いていきました。うなぎの餌は、粉と油みたいなものを機械でミックスさせて作りますが、すごくベタベタしたものです。ある日のこと、私が餌を投げているうちに池に落ちてしまいました。父はあわてて池に飛び込み、私を助けて、二人でずぶ濡れで帰ったそうです。父は命の恩人です。

父は遊び人らしい!?

 父は、地元出身の衆議院議員を応援していて、票集めみたいなことをやっていたそうです。趣味は「選挙」と言えるくらいで、選挙の時は家にはいません。また、お酒が全く飲めませんが、なぜか宴会の幹事をやっていたそうです。父が利用するのは主に料亭で芸者が揚げられるような店だったそうです。父親は独身の頃から芸者遊びをしていたので、そういう店をよく知っていると母から聞いています。父は「遊び人」だと思うのですが、見た目は真面目でクール、お堅い感じなので、遊び人らしく見えません。
 
父は車好き

 父は、船やバイク、車や機械いじりが大好きです。船は仕事用でしたが、もちろん遊びにも使っていました。バイクはなぜだか、3台はあったような気がします。私のアルバムには父が乗っていた何台かの車の写真があります。一台を長く乗るタイプではないようです。バイクに娘の私を乗せて、よく走っていたそうです。

父と祖父母の関係

 父と祖父母は一緒に暮らしていましたが、特に会話もなく、また互いに干渉もしないので、お互いが無関心な親子にみえました。結婚した時、祖母は嫁(母)に「あなたに全部任せるわ」みたいなことを言ったようです。言葉どおり、祖母は自分のやりたいことだけをして、ほとんど家にいないので、世間で言う「おばあちゃん」という感じの人ではありませんでした。

 新婚当時、父は夜中になっても帰宅しなかったことがあります。そこで母は、「父が連絡もなく帰ってこなくて心配だ!」と祖母に相談したようです。すると、「何かあれば、どこからか連絡はあるから、そんなこと心配しなくていい! 早く寝な!」というようなことを言われたそうです。
 祖母は息子(父)の世話はあまりしなかったようで、高校生の時は、父は自分でお弁当を作って持って行ったそうです。でも、祖母を嫌っているようには見えません。仲がよくも見えませんが。なお、このおばあちゃんもタイプ7w8かもしれないと判定されています。


内と外では別の人

 父は家事などは全くしない人でした。服は脱ぎっぱなしで、ご飯も食べっぱなしです。当日に着る服も母が用意していたので、殿さまのような暮らしぶりです。母もそれを当たり前のようにしているので、私は「男って、結婚したら奥さんに全て任せて、自分は何もしなくていいから、なんて楽なんだろう。女は結婚したら絶対に損だ! 私も男に産まれればよかった‥」とよく思いました。

 そんな父も家の外では「仏のかっちゃん」と言われていました。父の友人やその子どもたちからは「優しいお父さんでいいね〜」です。でも、父は「釣った魚には餌をやらない」人だと私は思っています。


父は、ご近所では大活躍

 父が子ども会の会長を引き受けたと知った時、とても驚きました。家庭内の父は何もしない人なので、「なんで会長するの!?」と思いました。
 父は「自分が会長の年はみんながやったことのないことをやろう」と張り切っていました。バスを貸し切り長島温泉に行ったり、なぜか映写機を使える免許を持っていて、フィルムをどこかから借りてきて、映画の上映会を開きました。父のイベントはどれも大成功で、長島温泉はそれ以来、子ども会の恒例の行事になったほどです。


父の転職

 私が小学校低学年の頃、うなぎの養殖はビニールハウスでやるのが主流になってきました。資金のなかった家はうなぎの養殖を辞めましたが、父も外で働くことになりました。父の叔父が町の助役だったので、その紹介で、トヨタ関連で高給が取れる仕事があったそうです。しかし、父はサラリーマンや拘束される仕事を嫌がり、自由にやれる仕事がいいらしく、建設会社の現場で働く仕事に就きました。
 朝に出社したら、すぐに各自で現場に行きますが、たまに現場が自宅に近い時は帰宅しました。私たちに「現場に遊びに来い!」と言うので、遊びに行ったことがあります。ダンプカーやショベルカーやユンボーなどに乗せてくれました。父がショベルカーを運転して砂を掘っている姿は、ちょっとカッコよかったです。


父不在の家庭

 「うちは母子家庭」とよく母が言っていました。それぐらい父は家にいませんでした。私は、父は夜中まで毎晩よく働く人だと思っていたのですが、実は仕事は5時に終わっていたのです。後から知ったことなんですが、「だったら毎日、どこに行ってるんだろう‥‥」と、母に行き先を言う事もなく、また、母も行き先を聞かなかったようです。私も中学になり勉強や部活に忙しくなり、父とはほとんど話さなくなりました。父が旅行したことも知らないほどでした。父がいなくても毎日は過ぎていき、相談事は母親にしていたので、父の存在はますます薄くなり、「お父さんなんていなくても平気だぁ〜」と思っていました。

父の隠し事

 中学の時、押し入れでエッチ本(マンガタイプ)があるのを見つけてしまいました。父がその類の本を読んでいるのを見たことがなかったので、ショックを受けました。なんか信じられなかったです。父は真面目で堅物で、私がテレビで、「ドリフ」とか「ひょうきん族」を見ているだけで不機嫌になりました。「そんな番組を見るとバカになる」と言ったことがあります。たとえば、「かとちゃんのちょっとだけよ」を見て笑っているような父だったら、私もそれほどショックは受けなかったと思います。父から「テレビを見る
と言われるとむかついて、意地になって見たような気がします。
 
父はつめたい人なのか!?

 父が仕事から帰ったとき、母が頭痛が重くて寝ていたことがあります。「オイ起きろ! 飯は?」などと言い、わざわざ母を起こして、ご飯を作らせました。それを見て「なんて嫌な人なんだろう! 母のこと苛めている」と思いました。エニアグラムを知ってから、妻の病気には過剰反応して、少しのことでも耐えられなくなる人だということが少しわかりました。
 しかし、当時は、父の態度を理解できませんでした。母が病気で入院したときも、「死ぬんだわ」などと不吉なことを言いました。自分が一番母を必要としているくせにと、信じられない思いがしました。


父にとっての母

 私が高校生ぐらいの頃、家事と子育て一筋で家をあけたことのない母が、夜チョクチョク出かけるようになりました。ダンス教室に通うようになったからです。
 一方、父は家族に行き先も言わず、どこにいるかもわからない「切れた凧」で、きままに遊んでいました。しかし、「妻が子どもを置いて家をあける」ことを凄く嫌がりました。でも、口では「子ども」と言うが、母が出かけるのが嫌なだけじゃんと私は思っていました。今更、母に出かけるなとは「何事だ!」と思いました。

 その頃から父と母のケンカが多くなりました。母は、はじめの頃は夕食の支度をして父にも行き先を告げてから出かけていました。しかし、父は帰ってくると、何かと文句をいい用事をあれこれ言いつけます。母が出かけられないように邪魔しているみたいでした。
 そこで、母は私だけに出かけると告げて、父に黙って出かけてしまうようになりました。でも、そんな日は最悪で、有り得ないと思うほど父は不機嫌でした。イライラして、明らかに様子がおかしいのがわかりました。

 
父は妻に執着している

 後になって判ったのですが、母を探しに行ったり、待ち伏せしていたことがあるようです。母が浮気しているのではと疑っていました。それは母には有り得ないことですが、父は嫉妬に狂っているように見えました。母のことが頭から離れないようで、度だけ母を殴ったのを見たことがあります。
 家の外で帰ってくるのを待ち伏せして殴りました。母は父に殺されるかもしれないと思い、「もう遊びに行くのはやめてほしい」と、私は母にお願いしました。嫉妬に狂った父の醜い姿は見たくなかったです。
 なお、父が殴った日は、母が男の人と車に乗っているのを見た日だったそうです。そんな父の姿を見るのはホントに嫌で泣けてきました。早く家を出たいと思いました。

 
娘が心配?

 私が高校生となり大学に入って帰宅が少し遅くても父は心配します。母に「(私を)探しに行け!」とよく言っていたそうです。娘に直接怒るということはありません。母から父の様子を聞きましたが、いつも私には何も言わないので、私のことを心配しているようには思えませんでした。
 肌の露出や化粧が派手だとか、男関係とか、一人歩きさせるな!など、いろいろ心配していたそうです。父にとっては、子育ては母親の役目で娘を躾けるのも母親のすることのようで、父から細かい注意をされたことはありません。「母に言わないで、私に直接言えばいいのに!」と思っていました。しかし、父に怒られるのはやっぱり嫌です。


父は娘に厳しい

 私の両親の子どもへの教育方針は表面的には同じような気がします。娘には厳しく、息子には甘いことです。高校生の時、私が「友だちの家に泊まりたい」と言ったら猛反対されました。弟が高校生の時は、両親ともあっさりOKでした。短大生の時も「寮に入りたい」と言ったら、やっぱり反対されました。でも、弟が神戸の大学に行くと言った時、両親は「(弟が)そう決めたならば出してやろう」と言い、弟は家を出ました。
 父と母が心配してくれているのはわかりますが、父は私を信用していないのだと思います。父はたまに冗談とかで「お前は何するかわからん!」みたいなこと言うので、「きっとそれが本心だな」と思っています。
 
父は結婚に反対したかった!?

 私の結婚には、なんとなく反対している様子が見えました。直接私には何も言わないのでわからないのですが、「今日は彼が挨拶に来るから早く帰ってね」と伝えたはずなのに‥‥、父は帰宅しません。
 そして、彼には、「よくこんな娘と結婚する気になったな」とか言います。「彼がかわいそうだ!」とか、結婚させたくないのか邪魔しているような口ぶりです。私のほうは、「父親なら、ウソでも少しはほめろよ!」と思いましたが、父が私のことを褒めてくれた記憶はありません。


父は、孫娘を溺愛!!

 私に娘が産まれて、父のあまりの変わりように母も私も驚きました。なんと自分の子どものオムツは換えたことがないのに、孫のオムツを換えようとします。でも、紙オムツを外したものの穿かせ方がわからなかったようです。でも、やろうとしただけでも凄いことです。また、父は赤ん坊と一緒にお風呂に入りたがりました。しかし本当に一緒に入るだけで、シャンプーしたり体を洗ったりはできないようです。
 娘(父にとっての孫)が歩けるようになると、父は「今度いつ帰ってくるんだ? (私と娘が)来れないなら行くぞ!」と、母に毎日のように聞いていたそうです。時間があれば毎週のように我が家に来て、娘を連れて遊びに行きたがります。一人では絶対に我が家には来ないので、いつも母に「行こう、行こう」とうるさく言っていたようです。
 娘を可愛いがる姿を見ると、小さい頃の私にも、「こんなふうに接してくれてたのかなぁ〜」と想像します。娘の姿を重ねると、懐かしいような感覚になりました。父のやさしい姿をほとんど覚えていないのが、とても残念で勿体ない気がします。

父の防犯意識は高い?

 実家は平屋ですが、私はマンションに住んでいます。父は、我が家に来て、「外から家の中が丸見えでダメだ」と言い、すぐにスダレを買いベランダに取り付けてくれました。そういえば、実家は人が来るとライトがつくような仕掛けがあります。父が作りましたが、その後も改良され、ライトは一段と明るくなり、パトカーに点いているような赤い回転灯がつきます。家の戸締まりも、父が必ず確認していました。

父の最近の暮らしぶり

 父は定年を迎え退職しました。しばらくは家にいましたが、前の会社でまた働けるようになり、現在も毎日働いています。私がゼミ会などで出かける時、母に来てくれるようお願いするのですが、父も必ずついて来ます。仕事を休んでまで母に付いてきます。今では母と仲良く暮らしています。家事を全くしなかった父が、洗濯ものを取り込んだりしているそうです。

 
私は父と話すのが苦手です。なんでだろうと考えました。父を意識し過ぎて話しにくいのか、私に対する否定的な言葉を聞くのが嫌だからなのか、といろいろ考えました。父も私と話すのが苦手のようです。母を通してお互いが思っていることを話します。相手に思ったことを直接には言えない変な親子です。

 私は、父のような人とは絶対に結婚したくないと思っていました。そして、現在の夫(9w1)と知り合い結婚しました。のちにエニアグラムを知り、父と夫のタイプが違うとわかり、私の選択は間違っていなかったことがわかりました。でも、最近の父と母の様子を見ていると、ケンカしていても仲がいいです。執着しあう激しい夫婦も悪くないし、それも、もしかしたら「いいかも」などと考えています。子どもっぽい父のことも、かわいく見えることがたまにあります。

 こんな気持ちになれたのも、エニアグラムで理解不能だった父のことが少しは見えるようになったからだと思います。これからもエニアグラムを勉強して、視野の広い人を目指したいと思っています。下手な文章にもかかわらず、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。