仲間たちのつぶやきシリーズ                                                      

 2006/11/20 

           タイプ4w5の父のこと   

                                         Orange water(タイプ2w1   

  私は、昔から父のことを不思議な人だと思い続けていましたが、数年前にエニアグラムに出合ってから、父の内面を少しは理解できたような気がします。今回はそんな父とのエピソードを幾つかお話したいと思います。  

            

父は、娘の意志を尊重する人? 

私は5歳から9歳くらいまで、ピアノを習っていました。習いたくて始めたピアノレッスンだったのですが、だんだん難しくなるレッスンに嫌気がさすようになりました。小2年生のある日、母(9w1)に「やめたい!」と告げたところ、「私の一存では決められない。(ピアノの)先生とパパに聞いてからにして‥」と言われました。私は「みんなに相談するのか。やはりこれは簡単にやめられないな!」と思ったのです。父親から「どうしてやめたいのか?」と、静かな調子で尋ねられて、「練習を毎日するのがつらい。とにかくもう嫌だ。やめたい!」などと私は答えました。すると、「やりたくないものは仕方がないね」と、つぶやくように言い、了承してくれました。私は怒られるか説得されるものと思っていたので、拍子抜けしました。

  その後、私は苦痛だったピアノのレッスンから解放されて、さっぱりした気分になるはずだったのに、なんだか心にわだかまりが残っていました。「もっと頑張ればよかったかな? 頑張って続けなさい! とか、もしも叱咤激励されたりしたらもう少し続けていたかもしれない…」とたまに思い出しては逆恨み(?)のような勝手なことを考えていました。時間が経っても何故か腑に落ちませんが、父には何も言いませんでした。しかし、母に対しては、「なぜあの時私にやめていいと言ったのか?」と何回か尋ねた記憶があります。母はその度にいいました。「そうね。そうだよね。私も、今までの苦労がもったいないし続けたらいいのにとも思ったのよね。でも誰もそうしなさいと言わなかったからね…」   

☆すぐにどこかに行ってしまう父   

 
私が小学校の低学年くらいの頃のことですが、父はよく休みの日に朝から姿が見えなくなりました。気をつけて見張っていると、父が出かけるところを捕まえることができました。「パパどこ行くの?いっしょに行く!」と言って、よく勝手に付いて行きました。父から拒まれたことはありません。行き先はごく普通の喫茶店です。わりとよくいっていた店らしく、店の人とも挨拶程度はする感じでした。父は好きなものを注文させてくれました。私は一人で漫画本をめくったり、店の中を自由に動きまわり、知らない大人とおしゃべりしていました。父のほうは新聞や雑誌などに目を通しており、娘の行動に干渉することなく、何をしようと眼中にありません。読み終えると「帰るよ」とだけいい、寄り道もせず、ただまっすぐに帰宅しました。父に関して思い起こすと、父は今までそこにいたのに、気がつくといないということがよくありました。   

父の休日の過ごし方 

物心ついた頃から中学に入る前くらいまでは、休日は家族4人(妹一人)で、母方の祖母や叔母の家に遊びに行っていました。車で片道30分くらいの道のりを月に二、三回くらいお邪魔していたと思います。子どもの頃は当たり前でしたが、今思えば親戚とはいえ頻繁に顔をだしていました。そこでの父はというと、到着してしばらくはお茶など飲んでいますが、腰は落ち着かない感じで、心はここにあらずになります。その様子は「出かけてしまうだろうな」と、幼い私にも分かります。「ちょっと事務所いってくるわ」と、ボソッと母に小さい声で告げて、さっと出かけてしまうのです。 夕方になり帰るときは、父は私たちを拾って帰りました。たまには、私たちが地下鉄に乗って出向き、事務所の近くで待ち合わせて外食したり、デパートに寄ったりすることもありました。

☆親戚の集まりは居心地が悪そう

私の母方の親戚は、盆正月は必ず集まっていました。祖母と叔父家族が同居しており、その家で法事と宴会をするのが恒例でした。母は6人兄弟でそれぞれの夫婦に子どもが2人いますから集まるとかなりの人数になります。その宴席で、父はよく寝ていました。はじめは多少はみなの話につきあっているのですが、酒が入ってしばらくすると、みんなに気づかれないように席から外れ、奥の座敷でテレビを見ながら寝込んでしまうのです。つまらないから、わざと多めに酒を飲んで酔いつぶれたふりをしているのかと思いました。いつも、おつきあいでそこにいるというのが、丸わかりでした。

 しかし、ご近所で集会や宴席があったりすると、父はけっこう盛り上がっていました。その頃は団地に住んでいましたが、たまたま世話好きな人が近所にいて、私たち家族にも親切にしてくれて、宴会もそこの家でします。また、料理がおいしいので、私も子どもながらに、ここの家の料理を食べられる機会は逃したくなかったくらいです。

 そのご夫婦と父と同郷で、年齢も近く、話も舌も割合とよく合います。父の様子は、普段家にいるときから比べると、白々しいくらい元気に見えました。気を使って自ら盛り上がるようにしたのかもしれませんが、実際本当に楽しかったのだろうと思います。宴が終わり、マージャンが始まるとかなり気合が入ります。めずらしく興奮気味になって、勝負や上がり手に一喜一憂していました。またカラオケなども好みのようで、しっかり歌い上げて皆に拍手喝采されました。ほめられてうれしそうにしていますが、自慢げには決して見えません。

☆約束を守る父 

私が高校生くらいの頃から、父と母との折り合いが悪くなり、私が短大を卒業して就職した頃、ついに離婚しました。父は「どうしても離婚してほしい!」の一点張りで、とりつかれた様に、とにかくハンコをついてほしいと母に告げていました。そして、一方的に「慰謝料」と称して、妻と娘が住むためのマンションを購入しました。それからというもの、今日までずっとマンションのローンを払っています。自分の収入が厳しかった時を除いて、支払いが遅れたことはありません。一度、遅れたことがあり、こちらが尋ねると、「遅れるから立て替えておいて。必ずあとで払います」と言ってきました。踏み倒されることはなく、遅れてもチャンと払ってくれます。よく離婚時に取り交わした約束を反故にする人も多いと聞きますが、約束はよく守るほうだと思います。 


☆たまに会った時の父の様子

 現在も、頻繁には会わないけれど、ちょっとした用事があれば会います。たとえば、父の(現在の)妻が料理をたくさん作ったから「取りにいらっしゃい」とか、私のところに祖母から荷物が届いて託ったものがあるから「渡したい」等々です。
 父は、離婚後からワンルームマンションに住んでおり、恋人もずっといて、その恋人とは最近入籍したところです。部屋はいつも小奇麗にしています。訪ねに行くと、父はお茶をいれてくれますが、私と二人で話していると、だんだん手持ち無沙汰になり、やたら机の上を台布巾で拭いたりしています。

 一体、父の心はどこにあるのでしょう? こちらに向いている時もあるみたいだけれど、娘相手にリラックスはしていません。私も半分は顔を見に行っただけなのに、なんだか歓迎されていないなと思ってしまい、落ち着かない気持ちになってしまいます。「もう帰らないと…」というと「そうだね」という返事を間髪いれずに返します。「まだ大丈夫でしょう?」とか「もう帰るの?」とか言われることは絶対ありません。「帰らなくていいの?」と、聞かれることもありませんが‥‥。

                         

  

 
今回、父親とのことを思い出そうとしても、自分のなかでハッキリとして来ません。それで、急遽、父と会う約束を取り付けて、昔の出来事を尋ねました。最初、父は何の話があるのかと不思議に思ったようですが、いつの間にか、トツトツと自分のことを語り出してくれました。その中でも印象的なことをまとめてみました。


☆親友の死に出会いショックを受ける

 
父には高校生の頃、仲のよい友人(
H)がいて、「自分は彼のことを親友と思っていたが、向こうはどう思っていたか知らない」そうです。県下でもトップを争う進学校だったせいか、学校全体が「勉強、勉強」というムードで、父はよくH君の家に行って、一緒に受験勉強をしていたと言います。

 高校一年の夏休みのある日、勉強の息抜きに泳ごうということになり、海岸に出かけました。海岸には、他にも同じ学校の生徒がいて、みんなでワイワイと遊んでいました。しかし、ふと気がつくと、
H君の姿がいないと気づき、みんなに聞いてまわりました。すると、誰かが海の中に沈んでいるH君を見つけて、父に知らせました。
 父は必死で
H君を岸に向かって運びましたが、水から揚ったら重くて、一人では運べず、他の人の手も借りてなんとか松の木の根元に彼を横たえました。「きっと水をたくさん飲んでしまっている!」と思い、お腹から水を出そうとしたのに水はぜんぜん出て来ない、それで人工呼吸したり…。そうこうしているうちに、救急の人がきて処置をしましたが、もう彼は亡くなっていました。死因は溺死ではなく、心筋梗塞でした。

  ☆親友の実家に入り浸りの日々

 父は「自分が海に誘ったから
H君は死んだ」と思い、本当に辛かったそうです。なんと父は、それから高校卒業までの二年半もの間、ずっとH君の家に入り浸りだったというのです! 学校から直接H君の家に帰り、自宅には寝に帰るだけで、泊まることもたびたびでした。「H君の母親のあまりの落胆振りに、なんとか慰めになれば、というその一心だった」と言うのです。

 父がそんな状態から抜け出せたのは、母親(私の祖母)の策略があったからです。進学校にいっていたにもかかわらず、母親は勝手に就職口をきめてしまい、わざと遠くへやってしまいました。飛行機で一時間ほどかかるところです。母親は、このままでは「
H君の家に息子を盗られかねない」と思っていたそうです。実際に養子の話も出ていたようです。母親にすれば、自分の目の届かないところにかわいい息子をやるのは「涙の決断だった」ようです。父は母親の意向に逆らうことなく就職しました。そして私の母と社内恋愛で結婚し、私と妹が産まれます。

 ☆営業の仕事は父の性に合わない

 父の仕事は、工作機械メーカーの営業でした。これはと思う客のところには「毎日朝一番にあいさつに行き、その後で自分の会社に出社した」そうです。「手間ヒマかかるやり方だけど、会社ではなく、自分自身を売り込むという方法をとった」と言います。
 しかし、嫌な営業の仕事を毎日こなしていたためか、体調が悪くなりました。最初に吐血して倒れたのは今から三十年くらい前のことで、胃潰瘍でした。体が手術に耐えられないので薬で治すことになり、三ヶ月も入院しました。父はその時の入院生活でショックを受けたみたいです。

 「内科は、病気の重い軽いは関係なく、みんな一緒くたに入院させるから酷い。毎日、毎日手当てが追いつかなくなって、誰かが死んでいく。いくら生きたいと、もがいても、人は死ぬときは死ぬ。それを見て、だったら自分自身に正直に生きていこうと思った」と一種の開き直りみたいな気持ちになったらしいです。

 なお、無理がたたったのか、この5年後に胃潰瘍は再発しました。父は、吐血したために救急外来に一人で行ったようで、すぐに緊急手術となりました。結局胃の半分を取ってしまいました。
 

☆父親の本音を知る 

 その頃、父からすればこんなに「ぎりぎりの自分」なのに、「あんなにノホホンとしている妻は?!」ということらしいのです。しかし、娘の私から見ると、母はノホホンとはしていなかったです。最初の入院のときも、家から電車を乗り継ぎ一時間弱かけて、10歳と6歳の娘ふたりを連れて、毎日のように病院へ通っていました。それだけでもたいへんです。私は、気持ちがなければできない行動ではないかなと思います。

 でも、父が言うには、「母という人間は父の心の状態を理解しようという気がない」と、ボーッとしている人らしいです。「彼女にはアンテナが無いのが致命的だった。感性がない。感じようとしないから情報もないし判断基準もない。彼女にとって自分がどうしても必要な存在ならば、気をつけてみているだろうし、いろいろな相手の苦しみも言わなくてもだいたいわかるだろう。わからなければ聞けばいいのに、向こうからどうして? という質問もない!」ということになっています。

 父曰く。「結果的にはお互いの責任。彼女は自分を野放しにしていたし、自分も我慢が足りなかった。重要な結論を出すのに十分話し合うことをしなかった。その時の自分は穴に落ちてもがいていたような感覚だった。何でも問答無用と切り捨ててしまうし、有体に言えば面倒くさい。彼女には説明してもわからないという決め付けがあった。人間はただ朝起きて、ご飯食べて、仕事して、ご飯食べて、寝てと繰り返しているだけの生き物じゃない。考えたり、感じたりするわけで、そういうことで共有するものがあれば一緒に耐えることができる。しかし、彼女とはできなかった。人間は弱いから分かり合えてフォローし合える関係が大事なのに‥‥」
   
 父と母の間には、この手術から2、3年後で、決定的に溝ができてしまいました。


☆父の愛情表現
 
 父は頑固で、自分に嘘のつけない人です。私からすれば勝手なことばかりする人ですが、父の意見を聞いてみると「そんな考え方もあるのか」と納得することも一杯にあります。それに、自分がそんな風なので、私が勝手なことをしても絶対怒ったりしません。指図もしないし、自由にさせてもらえます。力は貸してくれる時と、そうでない時がありますが、気持ち的には、私の味方でいてくれたように思います。以前は、父に手をかけてもらっていないと不満でしたが、今では、傍にいてくれたり、話を聞いてくれることが父の愛情表現だったのかなと思います。
 

 最後に、人間、努力すれば流れを変えることは可能じゃないかとつくづく思いました。自分を知り、相手を知り、タイミングを見計らうのです。尤も、すごく頭を使いますが。両親の離婚理由を知ると、回避が十分に可能な事例ではないかと思います。もし、私がそのときに、今ぐらいエニアグラムを勉強していたら…? と思うと残念な気もします。だからこそ、これからも、もっと知りたいし、がんばって学びたいと思っています。

             

   
タイプ9もアンテナはあります。アンテナを張っているところがタイプ4とは違うので、意思疎通がうまく行かなかった可能性があります。感性が無い人はいませんが、タイプ9には感性がないと言うのであれば、タイプ4は感性過剰になるかもしれません。どちらを基準にして判断すればよいのでしょうか。誰もが自分を基準にして、相手のことを判断しています(りゅうとうより、一言)。