仲間たちのつぶやきシリーズ                                          

                           
          
   自分について (4w5) 

                                          by/   青紫

 
私はタイプ4w5です。今回は自分のことを書きたいと思います。
 
   幼い頃、悲しかったこと  

 幼い頃、一番嫌だったことは髪を短く切られることでした。私が3、4歳の頃のことです。いつも近くの床屋さんで、まるで男の子のように短く刈り上げられました。それは私にとって大変に屈辱的なヘアスタイルでした。もちろん嫌がって泣いたりしましたが、まったく聞き入れられたことがありません。
 未だにそのことを思い出すと、胸の奥がキリキリ痛みます。このレポートを書いている今も、幼い私が呆然と立ちつくしているのです。そんなことで未だに気にしているのは、他人から見れば奇異に感じられることでしょう。

 「よほど苦労を知らず」で、甘やかされて育ったから些細なことでも傷つくのだと、人から言われてしまうかもしれません。そのように言われたら、そうなのかもしれません。でも、当時の私にとって髪を短くすることは、自分が自分でいられなくなってしまうことに他ならなかったのです。それは幼い私にとって恐怖でした。でも、その当時の私は幼すぎて、そういう自分の恐怖や屈辱感を上手く言葉にできませんでした。


  
大人が怖かった
 
 当時は祖母に連れられて、いろんなところへ出掛けたものでした。私は知らないところに連れられていくのは平気でしたが、知らない大人たちが幾人もいる狭い空間は、恐怖の対象でもありました。訳の分からない恐怖感でパニックになったりしました。パニックになって、家の外に飛び出して、「帰ろうよー!」と、泣きました。
 そういう時はどうやってなだめられても、恐怖は消えませんから、祖母はあきらめて私を連れて早々に引き上げるのが常でした。今思えば、なぜあんなに恐怖に支配されたのか分からないのですが、自分がまるで悪魔教団の集会に連れ出された「生け贄」のような気分でした。その恐怖は鮮明に覚えていて、大変に生々しく、ホラー映画の一場面のようなイメージ だと言えば、少しは想像して頂けるのではないでしょうか。


  
多動児だった
 
 3歳から幼稚園に通っていましたが、当時の私は多動児で、目が離せない子どもだったので、祖母が毎日幼稚園に付き添いで来ていました。自分では覚えていないのですが、途中でひとりで家に帰ってしまうこともあったと、親からは聞かされています。迷子になったり、交通事故にでもあったら大変という理由で、幼稚園から付き添いを求められていたようです。

 実際、教室から抜け出して一人で園庭で遊んでいたこともしばしばありました。その頃、何故そういうことをしたのか、理由は自分でもわかりません。ただ 勝手に教室を抜け出してしまう自分がいたことを記憶しているだけなのです。小学生になると、さすがにそういうことはなくなりましたが、相変わらず目立つ行動の絶えない子でした。


  
廊下水まき事件
 
 小学校2年のとき、「廊下水まき事件」なるものを引き起こしました。掃除の時間のことです。その日、私は水汲み当番で、流し場で汚れたバケツの水を捨てて、きれいな水を入れて教室に持って帰るのが、与えられた仕事でした。私のクラスの教室から流し場までは少し離れていて、隣のクラスの教室の前を通らなくてはなりませんでした。

 小学2年の子どもには 水のいっぱい入ったバケツはかなり重く、戻る途中、廊下に「バシャっ!」と、水をこぼしてしまいました。あわてて「ごめんなさい!」と謝ると、廊下を雑巾でこすって掃除していた隣のクラスの子たち数人が、口々に、「いいよ、いいよ、こんなの水をまいたほうが掃除が助かるよ。こうやって、こするだけだからさー。」と言ったのでした。
 私はその瞬間、「そうか、水をまいた方が皆助かるんだ!」と思ってしまったのでした。そして、「じゃあ、水をまいてあげるね!」と言うなり、バケツの水をぜんぶ、ザーっとぶちまけてしまったのでした。その子たちがいっせいに「大変だーっ! 水浸しだー!」と叫んで、先生を呼びに走ったのはいうまでもありません。大騒ぎになりました。

 私は担任の先生に、コッテリと叱られて、隣のクラスに謝りに行かされました。なぜ叱られるのか、なぜ謝らなければならないのか、さっぱり解りませんでした。良いことをしたつもりなのに叱られて、ショックで、謝りながら、その理不尽さに涙があふれました。その時、手に持っていた雑巾で顔を拭いたらしく、大笑いされてしまいました。その後も暫くは、「雑巾で顔を拭いた女」と、隣のクラスの男子たちから言われ続けたのでした。


  
同性苦手意識
 
 このことで、母親は担任の先生から「馬鹿正直と言っても、こんな子は見たことが無いと言われた」と、ため息をつきました。それでも、なぜ叱られたのかよく判りませんでした。 
 小学校高学年になると、女の子たちは幾つかの仲良しグループができ、そのグループでかたまっていることが多くなりました。でも私はそういうことに全く疎く、いつしか女の子の仲間から浮いていることが多くなりました。自然と男の子と遊ぶことが多くなり、友だちは男の子のほうが多くなっていました。

 加えて、当時私は、野球観戦に熱中しており、高校野球やプロ野球を観るのが大好きになっていて、そういう傾向に拍車をかけていたと思います。女の子は野球に興味が無く、野球の話は男子しか通じなかったのです。でも、男の子たちに女の子扱いされていなかったから、友だちづきあいができたのだと思います。いわゆる「男子に人気のある女子」というのでは全くありませんでした。でも、それを誤解する女の子もいたようでした。
 「男子のほうが気が合うんでしょ!」とか、「男子と遊べばいいでしょ!」などと言って、仲間はずれにされたことも時々ありました。私は、「男子とばかりつるんでいる変な子」という目で見られていたような気がしています。当時の私は、このような状況を、「女の子ってなんだか付き合い方が難しいんだな・・・」と漠然と感じていました。ちょっとだけ同性苦手意識があったと思います。そんなわけで仲良くしていた女の友だちは2人くらいしかいませんでした。

 

  推理小説好み
 子どもの頃は本を読むのがとても好きでした。中学生くらいから、小説はあまり読まなくなり、新書とか興味のある分野の解説書や専門書ばかり読むようになりました。そんな中で、芥川龍之介と宮沢賢治だけは例外的でした。
 特に芥川作品には嵌りました。私にとって「芥川龍之介」は、他の作家とは明らかに違っていました。芥川作品全体を流れる皮肉っぽくて、哀しくてやるせない空気は、自分自身の心の内にも存在するものでした。

 その作品の多くは私にとって、ある種のカタルシスをもたらしてくれるもので、それは当時の自分自身には必要なものでした。現在も、芥川龍之介・宮沢賢治を除いては、私の読む小説のほとんどすべてが推理小説です。それも外国物に限られていて、謎解きにポイントを置いた、本格派と言われているものしか読みません。
 外国物で謎解きパズル系のものは、現実感が希薄で、いかにも作り物の世界なので、安心して楽しめるからです。推理小説でも、日本のものや社会派推理小説は読みません。現実感がありすぎて生々しいものは、心がざわついて疲れるのです。もちろん推理小説以外の小説を読まないのも、同じ理由からです。
 小説に限らず、映画でも、ドラマでも、人間関係のドロドロしたものが苦手なのです。おぞましくて気持ち悪いと思ってしまうのです。人間以外のことを扱った内容の本は安心して読んでいられます。「人間一般コンプレックス」に拠るものなのかもしれません。


  
少女マンガ好み
 本以上に、私が夢中になって読んだのが、漫画です。お小遣いの大半は漫画本の購入で消えました。漫画を読むだけでなく、描いたりもしました。もっとも、描くほうは、画力が無いので早々に挫折してしまいましたが・・・。

 その頃読んだ本や漫画が、今もなお心の糧になっています。タイプ4は、漫画好きが多く、しかも、タイプ4の作品ばかり読む傾向があるそうで、それは私にも言えます。心が疲れているとき、自分と同じタイプの作品を読みふけると、ある種のヒーリング効果が得られるような気がします。そして、好きな漫画は必ず取っておきます。私は、好きな音楽を聴くように 好きな漫画を何度も読んで楽しむことができます。
 大人向け漫画も読みますが、主婦になり、母となった今もなお、少女漫画ばかり読んでいます。なぜ少女漫画なのか、理由は明白です。私自身の心の年齢が10代のままだからです。

 もちろん現実には、夫と4人の子どももいる主婦ですが、アイデンティティが15、6歳のままなのです。このことは、漫画を読んでいると強く実感させられます。私は漫画の中の「10代の少女の気持ちそのもの」になって読んでいます。主人公のお母さんなどが出てきても、母親の立場などまったくイメージできません。幾つになっても、子どもにしか感情移入できない自分がいます。

 いつだって子どもの立場からしか、ものを考えられない自分がいます。夫(2w3)は、よく「俺は、妻がいなくて子どもが5人もいるから大変だ!」と言います。これは冗談ですが、実は本音だと思います。


  
母親らしくない私
 
 妊娠してからも、今のうちとばかりに毎日のように出歩いていました。そうしたら、動き過ぎたのか、9ヶ月に入って突然にお産が始まってしまったのです。早産でした。私は、まだ母親になる心の準備ができていませんでした。無事に長男が生まれたのですが、私の母が「おめでとう。お母さんになったんだよ!」と言ったのです。

 ごく普通の当たり前のせりふなのでしょう。しかし、私は「お母さんになっ…」と言われてパニックになってしまいました。説明のつかない恐怖と動揺に襲われました。「嫌ー!! なんでそんなこと言うの?!」と、泣き叫んで取り乱してしまいました。それで鎮静剤を注射され、その夜は夫に病室に泊まってもらったのでした。もちろん、次の日には平常心を取り戻していましたが・・・。

 エニアグラム仲間の2w1の友人に、この話をしたら、友人は、「私は、子どもなんて好きじゃないと思ってたけど、実際に子どもが生まれたら、産んだ直後から母性愛が溢れ出て来て、すごく感動したの。自分じゃそれが当たり前だと思ってたけど、私がタイプ2だからなんだね!」と言いました。

 そんな「末っ子タイプ」の私ですが、それでも母親の役割を精一杯頑張って、これまでなんとかやって来ました。子どもたちには、子どもっぽくて「母親らしくない」と言われ続けながらではありますが・・・。
 
 
  困った癖がある
 私は被害妄想の病を抱えているようです。家族の証言によれば、誰もそんなことを言っていないのにもかかわらず、勝手に酷いことを言われたと思い込む傾向があるそうです。泣いたり落ち込んだり、過剰防衛に走って攻撃したりなどがあるということです。

 それは私のなかに、他人の言葉の「真意を訳す翻訳機」があり、その翻訳機が自動的に作動して、まちがった真意を私に知らせるからです。この翻訳機が働いているとき、聞こえてくる言葉は事実ではなくても、私にとってはそれが真実のように聞こえます。

 そして、私のなかにある「翻訳機」は故障しているらしいのです。普段はOFFになっているのですが、あるとき勝手にスイッチONになってしまうのです。私が家族と揉める時は、必ず自動的に動き出します。家族からは、「これさえ無ければ揉めることも無いのに」と言われています。

 もちろん、はた迷惑な機械を外したいのですが、自分でもどうやって外せばいいのか解らない困った状況になっています。この「翻訳機の外し方」を誰か教えてください。


 
 申し訳ない自分の気持ち
 私は自分のことを無能だと感じています。この「無能感」は、実際の私が無能かどうかにかかわらず、私のベースを形作っているという気がしています。家族や仕事仲間に、役に立てなくて「ごめんなさい」という気持ちがあり、無能な自分を申し訳なく思っております。

 もちろんタイプ4の人がすべて、そう感じているわけではないと思います。私自身の置かれている立場や環境のせいかもしれません。でも、1番の理由は私が本当に無能だからに違いないと思っています。
 
  心と実年齢について
 幾つになっても、大人になれない自分をヤバいのではないかと感じています。このまま歳を重ねて、自分の実年齢と心年齢が離れてしまうことに不安を感じます。老人になったら、どうなるのかと心配でなりません。

 世間一般でいう「老いの恐怖」とは違うようで、自分の心と実際の肉体の年齢とのギャップに対する不安が、歳を重ねるごとに強くなっています。おばあさんになっても、少女漫画を買う自分を、世間は奇異の目で見るのではないだろうか? 歳相応の服装をしたくない私は、着る服に困るかもしれないなどという、バカバカしいけれど漠然とした不安感を抱えながら生きています。


  
タイプ4の私と、タイプ5の私
 自分の心の中の印象に過ぎないのですが、私の中には「タイプ4の私」と「タイプ5の私」がいます。それぞれは、まるで別人の様です。「タイプ4の私」は、弱虫で情けなく、子どもっぽくて、悲しみに支配されやすいけれど、素直で謙虚でもあります。
 「タイプ5の私」は、傲慢で一段高いところから世の中を眺めていて、法律とか行政の不備に対して常に批判をします。まるで将棋の駒を動かすように、問題を解決するためには、仕組みや人や物をどうやって動かせばいいのかと、頭の中でずっと考えを巡らせている奴なのです。

 人の気持ちや感情といったことは頭に無く、人も道具のように扱うことが出来ます。この「二人の私」は、たいてい別々に存在していて、あるときは「タイプ4の私」が、別のあるときは「タイプ5の私」が顔を出します。他人の相談に乗るときは、「タイプ5の私」が活躍していますが、自分のことになると、からきしダメで、「タイプ4の私」しか出て来ません。

 私はパニックになりやすく、パニックになると「タイプ4の私」が自動的に出て来て、「タイプ5の私」は、どこかへ行ってしまうようです。感情的になって屁理屈をこねるのも、もっぱら「タイプ4の私」です。パニック時に、「タイプ5の私」が顔を出してくれたら、直ぐに収拾がつくだろうと思います。だから、そうなれることを願っているのですが、無理みたいです。残念!

  
  
傷ついている自分は惨めな自分

 よく、「タイプ4は傷つきやすい」と、思われているようですが、私は自分が傷ついたとは言いたくありません。そういうせりふは、決して口にしたくないのです。悲しいとか辛いとか、恨んでいるなどという言葉を口にすることはありますが。「傷ついている自分」というのは、すごく惨めです。「傷ついた?」と訊かれたら、「傷ついたりしてないよっ!」と答えます。

 傷ついても傷ついていなくても、返答は同じです。「傷ついてないよ!」と言ったからとて、強がりとは限らない。「傷ついている自分」というのに、ハマらないようにしているので、傷ついたと自覚することも少なくなって来ていると思います。些細なことで傷ついたりしない、タフな自分でありたいのです。そういうタイプ4は「少なくないんじゃないかな・・・?」と、実は密かに思っているのですが、同じタイプ4でもいろいろなので、実際のところはよくわかりません。
 
  エニアグラムを学んで変わったこと
 エニアグラムを学んで、人間が怖くなくなったとまでは行きませんが、以前よりはずっと、人間に対する恐怖心は減ったと思います。それが生き易さに繋がっている気がします。以前は、深呼吸が出来ない感じがありました。息苦しくて、背中が詰まった状態でいました。
 現在は、「普通に呼吸できるようになった!」と思います。そして、エニアグラムが私に与えてくれたものは、計り知れないほど大きいというのが、私の実感するところです。この与えられた素晴らしい宝物を、大切に育てて行きたいと思います。