2015年1月記載、2019年11月ページのレイアウトを変更
植物によって必要な光の量は違う
 地球には植物が満ちていて、極地から赤道直下、数千mの高地から低地や海の中、光を遮るもののない荒野から森林まで様々な植物が生きています。太陽の恩恵を受けているのは同じでも、太陽サンサンの陽光の下で育っている植物と薄暗い熱帯雨林の林床に生えている植物とでは、光の要求度が違うはずです。
 要求度が同じであったら、生存競争に負けて薄暗い林床に追い込まれた植物は絶滅してしまったはずだし、これほどの植物の種の多様性はなくなってしまったはずです。それぞれの生育場所で生き残れるようになれたからこそ、たくさんの植物に満ち溢れた地球になったのでしょう。

 右図は、高校生物の教科書にあるような「光・光合成曲線」です。縦軸に光合成速度、横軸に光の強さをとったものです。
 植物は、光合成を行い糖やでんぷん等のエネルギー源を蓄え、それを生命維持、成長や繁殖に消費します。「光合成」を、内部の複雑な働きを無視して単純に外から見たとき、二酸化炭素を吸収し酸素を放出しているように見えます。このため、二酸化炭素の吸収速度を見れば、光合成速度が分かります。逆に、蓄えたエネルギー源を消費するとき酸素を吸収し二酸化炭素を放出します。この酸素を吸収し二酸化炭素を放出することを「(暗)呼吸」と呼びます。
 植物は昼夜ともに暗呼吸を行いますが、太陽の光を受ける日中は「光合成」を行うので、暗呼吸により放出する二酸化炭素より、光合成により吸収する二酸化炭素が多くなります(消費するエネルギーより光合成で作られるエネルギーの方が多いため)。夜になると光合成は行われなくなり、エネルギーの消費を示す暗呼吸のみになり、酸素を吸収し二酸化炭素を放出します。(植物によってこの仕組みが異なることがあります。)
 さて、この図の「強い光を好む植物」を見ましょう。与えられた光が強くなればなるほど光合成は活発になります。それならば光を与えれば与えるだけどんどん光合成するのかというとそうではなく、あるところ(いわゆる光飽和点)までいくと光合成速度(光合成によるエネルギー源の生産)は横ばいになります。
 逆に光が弱くなると光合成速度は低下していき、あるところ(いわゆる光補償点)までいくと、光合成による二酸化炭素の吸収より暗呼吸による二酸化炭素の放出が多くなります。つまり、消費が生産を上回ることになります。この状態がずっと続くならば、いずれ植物は枯れてしまいます。
 一方「弱い光を好む植物」は、「強い光を好む植物」と比べて見かけ上、光補償点、光飽和点とも低くなります。これは、魔法のような力があって弱い光でも光合成がいっぱいできるということではなく、暗呼吸の量が少ない、つまり、エネルギー消費量がそもそも少ない「省エネ」型の植物として、その環境で生き抜くことができるようになったと言えます。
 陽光サンサンの元で生きている野菜や花卉、サボテンや多肉植物は「強い光を好む植物」であり、多くの観葉植物等森やジャングルの林床に生きている植物は「弱い光を好む植物」が多く、その光に対する要求度は違ってくるのです。この図はモデル化したものであって、実際の植物がきれいに2つのグループに分けられるわけではなく、中間型のものや、さらに光飽和点等の高いもの低いものがあるでしょう。
 例えば、シダの仲間は「弱い光を好む植物」の代表ですが、数多くあるシダの仲間にも、林床を好む種類もあれば、日当たりのよい場所にしか育たない種類もあります。
 植物により「省エネ」かどうかの違いはあったとしても、もし、世界が夜の闇に永遠に閉ざされたのなら、植物は光合成ができなくなるので、それまでに光合成で蓄えられたエネルギー源を消費して消費し尽していずれ枯れてしまいます。
 人工照明による植物育成を考えるとき、太陽から地上に注がれる光量とは格段に違うことを念頭において、自分の栽培したい植物の光の要求度を掴んでおかないと上手くいかないでしょう。「弱い光を好む植物」には充分な光量であっても、「強い光を好む植物」にすればお話しにならない光量かもしれないのです。

 先に植物の成長には、赤色波長、青色波長の光が重要と書きましたが、「弱い光を好む植物」は、そのうち青色波長の方が重要でないかと考えています。
 波長が短いほど、光は強く「散乱」します。つまり、赤色波長に比べるなら青色波長が「散乱」しやすいのです。空が青く見えるのもそのためであり、池や海など水深が深くなればなるほど青色の光しか届かなくなるのもそのためです。森の中でも同様で、光が直接射さない林床で生きる植物は、ほとんど青色波長(あるいは他の植物が反射した緑色波長)の光を受けているはずです。また、季節によって差し込む光が違うのであれば、波長の違いが季節的な成長に何らかの影響があるかもしれません。
 つまり、植物により、光の強さはもとより、本来の姿に機嫌よく育つ波長も違う可能性があるということです。