![]() ![]() 作曲家・江口夜詩 昭和6年に海軍を退役し、翌7年、亡妻をしのんで作曲した「忘られぬ花」が大ヒットしました。それまでクラシックの作曲家を目指していた夜詩は、これを期に流行歌の作曲に一生をかけることを決心します。その後「十九の春」「秋の銀座」「急げ幌馬車」「夕日は落ちて」「心のふるさと」「月月火水木金金」「長崎のザボン売り」「憧れのハワイ航路」「東京の空青い空」「赤いランプの終列車」「瓢箪ブギ」など数々のヒット曲を作曲。また、歌謡学校を設立するなど、何人もの新人歌手や新人作詩家を発掘し世に紹介。大衆音楽の父と呼ばれました。校歌や社歌、町民歌、地域の音頭なども数多く作曲。生涯にわたる作曲数は4,000曲を超えます。 昭和38年、惜しくも病に倒れ、リハビリテーションに専念しましたが、復帰することができず、昭和53年12月8日、75歳で亡くなりました。 江口夜詩の長男・江口浩司氏も、作曲家として活躍されました。代表作に倍賞千恵子さんの「下町の太陽」や菅原洋一さんらが歌った「忘れな草をあなたに」などがあります。長年にわたる音楽活動を通じて日本音楽界の進展に多大な寄与を果たされた業績に対して、第48回「日本レコード大賞」功労賞が贈られました。(社)日本音楽著作権協会評議員、(社)日本作曲家協会常任監事、全日本音楽著作家協会会長など多くの要職を歴任されました。 上石津中学校校歌、上石津町民歌、新上石津音頭、大垣市民賛歌、大垣養老高校校歌などを作曲(作詩)。 日本昭和音楽村では、資料協力、シンポジウム、講演会、コンサート、合唱祭など各種事業への出演、編曲、運営アドバイス、合唱団の育成など、地域の文化振興に多大なるご尽力をいただきました。 平成22年1月23日東京都世田谷区の病院で死去されました。
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