赤坂の幕末の志士

所郁太郎



中山道ぞいにある
本陣跡公園には
所郁太郎の銅像があります。
この人は、赤坂出身で
幕末の志士として
とても有名な人です。

所郁太郎の一生


1838(天保9)2月16日赤坂で生まれる。
1848(嘉永元)大野郡西方村、所伊織の養子となる。
1853(嘉永6)ペリー、浦賀へ来航。
1855(安政2)郁太郎、京にのぼる。
1858(安政5)日米修好通商条約
1860(万延元)大阪、緒方洪庵(おがたこうあん)の
         適塾へ入る。
1862(文久2)大野郡の所家にもどり、お辰と結婚する。
         郁太郎、再び京にのぼる。
1863(文久3)8月18日の政変により、郁太郎は長州
         (今の山口県)へ行く。
1864(元治元)井上聞多、おそわれて重傷。郁太郎が助ける。
1865(慶応元)郁太郎、腸チフスで死ぬ。(28歳)



郁太郎の生家

   
所郁太郎の生まれた場所は、現在、子安神社の入口にある
姫普請で有名な家の所です。
昔は、矢橋屋といわれる、つくり酒屋でした。


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郁太郎の学業


12歳  詩文を学ぶ。
16歳  外科の医術を中心に
     岐阜(加納)の医者に学ぶ。
18歳  養父、所伊織にかわり
     かん者の診察をする。

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京へのぼる



梁川星巌
☆京の安藤桂州の門に入り、
 学問をする。
☆神道無念流の剣を学ぶ。
☆美濃・大垣出身の偉人
 梁川星巌に会い、
 新しい世の中について
 語り合う。

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再び京へ


郁太郎は、京で町医を開く。
やがて、長州藩の屋敷に住むようになり、
桂小五郎、井上聞多(もんた)などと
幕府にかわる新しい日本について
考える。外国を攻撃するのでなく
まず日本の軍備を強める
べきだと、考えるようになる。

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井上聞多を助ける


井上聞多の傷口は13個所
郁太郎は、手術する道具を
持っていなかったので、
畳針(たたみばり)でぬった。
郁太郎は、聞多をはげました。
「生きるためには苦痛がある
 がんばって生きよ!」

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郁太郎の死


郁太郎は、腸チフスにかかり
わずか28歳で世を去った。
墓は山口県と赤坂にある。
高杉晋作、井上聞多、桂小五郎
伊藤博文などとともに、幕府を
倒し、新しい日本を作ろうと考えた
郁太郎は、明治の世を見ずに
世を去った。

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