カッカッカッ…。

広い紅魔館の廊下に響く一つの足音。心なしかその足音は速く、焦りを思わせた。

この広い館を管理する多数のメイド達。

そのメイド長である十六夜咲夜はここ数日気になることがあり毎日あまり機嫌がよくなかった。

周りにあたったりすることは無いものの、見るものが見ればただでさえ近寄りがたいその冷静な雰囲気がより一層近寄りがたくなっている。

彼女の心配事はその主人たるレミリアによるものであった。

咲夜は普段、メイド達の仕事の指示や館全体の管理の他に、レミリアの身の回りの世話をする役割を持っている。

しかしここ23日、レミリアの様子がおかしいのだ。

夜レミリアが目を覚ます時間に行っても部屋に居ない事も多く、心配する咲夜にも

『大丈夫、気にしないで。』

の一言しか告げられない。主人にそういわれしつこく食い下がる事も出来ず、気が気ではない日々。

レミリアの力を知らないわけではない。いや、未だにその全ての力を計り知ることすら出来ない。

運命を操り、その強大な力を持つレミリア。だがその分種族的欠点もある。

しかし並大抵の妖怪ではレミリアに傷一つ付けるどころかその領域に入ることすら出来ないだろう。

そういった意味ではまだ心配は少ない。

一番心配な部分…そう、何をしているか分からないからこそ逆に心配になるのだ。

レミリアが大いに懐いている人間の巫女…霊夢の所に行っているのかと思えばそうでもないらしい。

門番である美鈴に聞いても見かけたことは無く、表に出ているわけではないという。

この広い館。もちろん咲夜は通常使用できる部屋や設備などは全て把握している。

しかし、咲夜ですら立ち入る事も出来ない場所も存在する。

あれこれと考えては違う可能性を見つけ、それも違うとなればまた考える。

ここ数日一人で居るときはその事ばかり考えては難しい顔をしているのだろう。

「はぁ…。」

気がつくと自室の前に立っていた。ため息を一つつき、ドアを開け部屋に入る。

ぱたん。

夜の管理をする少数のメイド等に指示を出し、メイドとしての一日の仕事を終えた。

いつもならすぐさまシャワーを浴びて着替え、目を覚ますであろうレミリアの元へ向かうのだが今日は体が重くそのままベッドに倒れこんだ。

言うまでもなく、咲夜はレミリアに絶対の忠誠を誓っている。

それはされたものではなく自らが望んでしたもの。その意はレミリアの傍に居たかったからというものが大きい。

「…はぁ。」

もう一度ため息をつく。これまでレミリアがこういったことでお茶を濁す返事をすることは無かった。

彼女に隠し事をされた彼氏のような妙な心配感がまとわり付く。

咲夜は苦笑した。レミリアの事が好きなのだ。それは昔から分かっている。

起き上がり、深呼吸。着替えると言ってもお側役としての仕事はこれからだ。

洗濯されたメイド服を手に取りシャワールームへ向かう。

自分には自分にしか出来ないことがある。気分を入れ替えよう。主人の事を信用しなくてどうするの。

熱いシャワーを浴びながら自分にそう言い聞かせた。。

 

コンコン。

館全体が寝静まり、その音が大きく廊下に響き渡る。

コンコン。

もう一度ノックをし

「レミリア様。咲夜です。…失礼します。」

そう言って扉に手をかけ、ゆっくりと開く。

寝ているときは入室し起きるまで傍に。起きているときはすぐに返事が来る。

昨日は既に部屋を抜けた後だったため慌てて館内を探し回ったのだが、今日はどうやら前者らしかった。小さな寝息が聞こえる。

静かにベッドの傍にある小さな椅子に腰掛ける。こうして見るとまだ寝顔は可愛い子供のようだった。

一定の時間で起きるレミリアだが時には遅いときも早いときももちろんある。

待つのは辛くないのか。誰かに聞かれたことがある。咲夜はほぼ即答で否定した。

彼女にとってレミリアの寝顔を見ているのも幸せな時間の一つだからだ。

程なくして、小さな主人が目を覚ました。

「…ん…」

咲夜は立ち上がり、窓を覆う大きな漆黒のカーテンを開いた。その窓には大きな…紅い月。

目をこすり、上半身を起こす。そしていつもの口調で。

「…ふぁ…おはよう、咲夜…。」

「おはようございます、お嬢様。」

それに応え薄明かりの中ベッドの隣へ立ち、頭を下げる。

「先にお食事になさいますか?それと」

「あ、えっと。」

咲夜の声を制しレミリアが声を上げる。

「?」

思わず首をかしげた。頭の上に疑問符が浮かぶようだ。

「昨日は悪いことをしたわね。」

昨日…咲夜が訪れる頃には既に姿が無かったこと。

館中を探し回って部屋に朝方部屋に戻ってきたときには既にレミリアは床についていた。

「いえ、お気になさらないでください。」

「美鈴が驚いていたわ。咲夜がものすごい必死で探し回ってたって。」

少し顔が赤くなるのを感じた。

咲夜は館中を探し回り、護衛隊長である美鈴をたたき起こしたり夜館を見回っているメイドや警備の者に尋ねまわっていたのだ。

「…」

恥ずかしくなり俯く。その前日の事もあり余計心配になっていたのだ。

回りからみたら驚くくらい必死だったのだろう。今思うとあの時はあまり冷静になれていなかった。

「無礼を承知でもう一度お聞きしますが…。」

一昨日。部屋に訪れた咲夜に『今日はいいから、体を休めて頂戴。』といい半ば強引に退室を迫った後にも聞いたこと。

「何か、私に力になれることはありませんか?」

何をしているか分からない以上この質問は適切ではないのは確かだ。

しかし直接聞いてもはぐらかされてしまうため、こう聞く他ない。

「ありがとう。でももう大丈夫よ。」

違う返事。もう大丈夫ということは…終わったという事?

再び咲夜の頭上に大きな疑問符が浮かぶ。

「あの…」

「おなかがすいたわ。咲夜、お願いできるかしら?」

「…かしこまりました。」

これ以上質問は不要、といった言葉に一瞬戸惑いながらもその言葉に従う。

「ちょっと寄っていく所があるから先に準備してて。」

帽子をかぶり、机の上においてある本を手に取る。

パチュリーに借りた本を返しに行くのだろうか。この時間ならまだパチュリーは起きているだろう。

そう思いながらもどこかで心配をする咲夜。

が、やはり気が気ではない。

 

「やっぱり、咲夜の入れてくれる紅茶は美味しいわね。」

「ありがとうございます。」

食後のティータイム。レミリアの血の入った紅茶ではなく普通の紅茶を口に含みながらやはり心配そうな視線を向けてしまう。

レミリアといえばどこか落ち着きなさそうに見えるのが不思議だ。

いつもの堂々と、優雅な態度ではない。

やはり自分では力になれないのだろうか。色々な意味で咲夜はレミリアに大きく劣る。

人間の中では異常なほどの力を持ってはいるが、それでも所詮は人間。

「…咲夜。何かあったの?」

そんな事をここ数日思っていたせいだろうか。無意識のうちに表情に出ていたらしい。

「あ…いえ、なんでもありませんよ。」

笑顔を返す。が、どうしても自然に行かない。

レミリアはその一連の咲夜をどう捉えたのだろう。ふと心配になった。

「…申し訳ありません、ここ数日のお嬢様の行動が分からず心配で…。」

余計な心配をさせたくない。レミリアがしたいことがあるならその妨げになってはいけない。そう思い素直に告げる。

「あ…」

少し驚いたような表情をした後、ばつの悪そうな、いたずらを見つかった子供のような表情。

「…そんなに心配だった?」

「はい。ただ、お嬢様が何かすることに邪魔になってはいけないと思い。」

「…ふふ、そう…。」

くすっ、と笑う。再び咲夜の頭に疑問符が浮かんだ。

私の知識が間違って居ないのなら、お嬢様は少し嬉しそうに見える。しかしその意味は分からない。

「咲夜。ちょっと部屋に来てくれるかしら。」

「はい。では片づけが終わったらすぐにお伺いします。」

そういって部屋を後にするレミリア。その足取りはどこか軽かった。

一方咲夜といえば…頭に疑問符を浮かべることしか出来なかった。

 

コンコン。

「はいっていいわよ。」

ノックの音にすぐに返事が返ってくる。

「失礼します。」

部屋に入り一礼。見るとレミリアが机の前に立っていた。

ちょいちょい。小さく手招きをする。

咲夜がその前に立つ。真正面に立つ時は顔一つ以上ある身長差のため、見下ろすような形にならないよう片膝を立てて座る。

「えっとね…。」

どこか落ち着かない様子のレミリア。

「お嬢様…?」

首をかしげる。ますますここ数日の行動の不明さに拍車がかかる。

「えーっと…これ。」

後ろ手に回された手が前に。その手には小さな箱が乗っていた。

「私に…ですか?」

「うん。…あけてみて。」

ゆっくりとその箱を手に取る。少しの重みがあり可愛くリボンが巻かれている。

真っ赤なそのリボンを解き箱を開ける。

「わ…。」

驚きの声。箱の中には手のひらに納まる程の紅いお菓子のようなもの。

「えっと…今日ってバレンタインデーっていうんだっけ?パチュリーに教えてもらったんだけど、好きな人に送るんだって。

あ、パチュリーは魔理沙にあげるみたいなんだけどね。で、私も咲夜にいつものお礼も兼ねて…。」

恥ずかしそうにまくし立てる。そういえばそんな習慣があった。人間界から離れて長い咲夜はすっかり其のことを忘れかけていた。

「パチュリー様と…一緒に?」

「あ、うん、初めてこういうことしたから美味しくないかもしれないけど…。」

(血のかたまり…いや、チョコのつもりなんだろうなぁ…。)

心の中で苦笑してしまう。しかしそうは思ってもレミリアからの贈り物。嬉しくないはずは無い。

「…」

レミリアが照れたような、しかし少し心配なような表情で咲夜を見ている。期待半分、不安半分といった感じだろうか。

真っ赤な血のお菓子…半分、口に含んでみる。

ベースはチョコなのだろう。独特の甘さが口中に広がる。そのほかは…特になかった。一見すると普通のチョコと変わりない。

「…どうかな?」

そうか…お嬢様はこれを作ってて…。

咲夜の中に暖かな充実感が広がる。自然と笑みがこぼれてくるのが分かった。。

レミリアもその表情で分かったのだろう。満面の笑顔。

「とても美味しいです…ありがとうございます。」

「よかった。咲夜、いつもありがとう。」

「もったいないお言葉…。」

少し熱っぽい視線でレミリアを見上げる。

「心配させちゃってごめん、でもなんか嬉しかったわ。」

レミリアを慕うものの大半はその種族に対する畏怖であり、恐れおののくもの。

500年以上の時を過ごしてはいるが中身はおさないわがままな少女でもある。

他のメイドのどこか怯えたようなものとは違う、自分に向けられる分け隔てない眼差し。

一度咲夜の血を吸ったことがある。

死ぬかもしれないその行為を咲夜はいとも簡単に受け入れた。

ただでさえ小食なレミリアの事、咲夜はこの通り元気な姿を保っている。

しかし咲夜はそれを根拠にその行為に応じたのではないとレミリアは理解していた。

それほどまでに自分に好意を持ってくれているのだと。咲夜の穏やかな瞳が語っていた。

その瞳が、レミリアはとても好きだった。

「でも、本当に心配したんですよ。」

「ふふ、こういうのはね。本人には内緒で進めるのが基本でしょう。」

「…そう、ですね。」

二人で笑う。気持ちのいい笑い声が月の光が照らす深夜の部屋に響き渡った。

 

翌日。図書館にて。

「パチュリー様。」

「どうしたの?…お嬢様からのプレゼントはお気に召しまして?」

可愛い皮肉。読んでいた本から顔をあげ、声の方に視線を映す。

「それはもう。で、お聞きしたいことがありまして。」

ホワイトデーというものの口止めをしている咲夜の姿があった。

「…というわけで、私もお礼をしたいので。驚かせたいんですよ。」

「…物好きね。」

パチュリーが小さく笑う。

「えぇ。お嬢様が喜ぶ顔が見られるならなんでもしますよ。」

数日振りの咲夜のいつもの表情。

紅魔館は、今日も平和だった。

 

 

 

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